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2004年5月号No.369  2004.5.8

1 目立たない花 加藤 豊神父
2 一年目の「信仰と光」 加藤 幸子
3 娘の初聖体 岩崎 信
4 初せい体をうけて 川久保 亮
5 ゴ ス ペ ル 吉田 雨衣夫
6 花と典礼 小田切 眞知子
7 中高生親睦合宿に参加して 石切山 開
8 サッカーチーム試合報告 加藤 泰彦

       目立たない花
                             加藤 豊神父

 「赤ワイン」や「ココア」などに含まれる最近話題の成分、といえば? そうです。「天然ポリフェノール」であります。円滑な血液循環に効果的な、この「天然ポリフェノール」は、赤ワインはもとより、その原材料である葡萄に多く含まれています。それはまた人々を潤し、癒します。
 ところで、皆さんは「葡萄の花」というのを見たことがありますか? 葡萄は藤科の植物で、一房に幾つもの小さな花が咲き、その花が実を結んであの甘く芳醇な葡萄の果実となります。ところがその花の外観ときたら、皆の眼を引くその実とは対照的に、目立たず、小さく、色彩もパッとせず、「花」というにはあまりに地味で、とても観賞用には適さない類いの外観をしています。
 木から枝が出て、枝から房が成り、房に花が咲き、花は実を結び、その実こそ人々を喜ばせ、また実際に人間の益となる、という葡萄の成長を見ていると、この植物のピークは「花が咲く時」ではなく「実を結ぶ時」なのであろうと思います。
 少々、情緒的に、そして人間本意の視点に立つと、たとえば、桜の樹は花が満開となってピーク、カエデは葉が紅葉となってピーク、葡萄の木は実を結んでピークといったところでしょう。
 さて、ヨハネ福音書15章で、イエスはご自分のことを「わたしはまことの葡萄の木」といっておられます(1)。また、弟子たちに向かっては「あなたがたはその枝である」といっておられます(5)。この関係はこんにちキリストの弟子である全教会にとって理想的なものであるはずです。葡萄の木のピークが実を結ぶときであるなら、わたしたちは花を咲かせることにそれほど気を遣わなくてもいいのではないでしょうか?
 宣教の伸び悩みが懸念される日本の教会です。確かに人目を引く活動や、教会全体の盛り上がりは最近めっきり減ってしまったかもしれません。しかし、だからといって、もう一花も二花も咲かせようとしてそこに体力、知力、財力のすべてを注ぎ込むより、その花はたとえ目立たず、小さく、色彩もパッとしなくても、むしろ実を結ぶキリストの枝でありたいと願うのはわたしだけでしょうか? 信徒の増加、活動の活性化、刺激的な演出、即ち、目立つこと、大きくなること、パッとすること、それらは奇麗な「花」を咲かせようとすることに似ています。また、それはそれで望ましくもあります。ところが教会本来の目的はすべての人が救われるための神の国、世の救いのための長い道のり、つまり実を結ぶことだったのです。「わたしに繋がっていればその人は豊かに実を結ぶ」(ヨハネ15:5)。


      一年目の「信仰と光」
                                      
                                加藤 幸子
 昨年6月に、多摩教会に“信仰と光”の集いが誕生して一年を迎えようとしています。この一年、知的ハンディをもった人たちが、何か大切なものを、私たちに与えてくれる、と信じて、集い、少しずつ友達になってきました。
 うれしいこと、かなしかったこと、うまくいったこと、困ったことなど、共に分かち合い、祈り、互いの存在を喜び祝っています。
 毎回来られる方、時折顔を見せて下さる方、一度だけの方などなど、集いごとに、少しずつメンバーの顔ぶれも異なり、毎回、新鮮な雰囲気です。
 一年続けてみて、顔はよく知っていても、話す機会のあまりなかった、多摩の信者さんとも、新たな出会いがありました。ハンディを持ったメンバーも、多摩教会の枠を越えて、近隣から、また、遠方からも、集まって来てくれるのは嬉しいことです。彼らを中心にした集いの中に、主イエスがいつもいて下さるという喜びは、“信仰と光”のたまものですが、この一年、その喜びを、皆で少しずつ分かち合えたのではないかと思っています。私、個人としては、娘の晶子の居場所があり、彼女を待っていてくれる人たちがいる、ということが、とても嬉しいことでした。
 試しに一度、顔を出してみよう、でも、何をしているのかのぞいてみよう、でも、動機は何でも構いません。終わるとちょっぴり、元気をもらえる集いです。どうぞ気軽に足を運んでみて下さい。
 多摩共同体の名称は「アレルヤ」に決定しました。知的ハンディを持った仲間と共に、心から主を賛美していきたいと願っています。
        ◎毎月第3土曜日 午後2時から 信徒館にて


        娘の初聖体
                              岩崎 信
 4月18日に、娘 莉乃が初聖体という神様のお恵みをいただくことが出来ました。
 その前日と当日、娘は日記に次のように書いていました。

 「4月17日
 きょうは、はつせいたいのまえの日でした。
 わたしは、ドキドキ、ワクワクしていました。それに、ごせいたいいって、どんなあじがするんだろう、と思いました。
 いよいよ はつせいたいです。ことしは2人しかはつせいたいをうけないからがんばろうと思います。」
 「4月18日
 はじめてごせいたいをいただきました。
 なんか、ほんとうに、こころがもわぁとあつくなり、イエスさまがこころにはいったような気がしました。1ぽかみさまにちかづいたような気がしました。
 1ぽかみさまにちかづいたと思うと、とってもうれしいです。
 これから、もっともっとかみさまにちかづいていきたいとおもいます。」

 加藤神父様、シスター久野はじめ、教会の皆様のあたたかなお導きで、莉乃の初聖体は喜びあふれるものとなりました。ほんとうにありがとうございました。イエズス様を初めていただいたこの日の、嬉しい、温かい、感謝に満ちた気持ちを大切に、神の子として歩んで行って欲しいと思います。


     初せい体をうけて

               マキシミリアノ・マリア・コルベ 川久保 亮
 去年はげきだんに入っていて前の日にドラマのさつえいがあると急に言われて、初せい体を、うけられなかったけど、今年は、げきだんをやめてじゅんびをしました。
 やっと初せい体をうけられて2倍うれしいです。
 ごせい体の味はふつうのパンとはちがってそんなに味はしませんでした。でもその中にイエス様がいると思うと、なんだかふしぎです。
 シスター・神父様1年間ありがとうございました。言葉では言いきれないほど、ぼくは、本当に感動しています。ありがとうございました。


Sing Along No.1
          ゴ ス ペ ル           

                         聖歌隊 吉田 雨衣夫
 数年来、「ゴスペル」が静かなブームになっているようです。先日見かけた音楽教室の看板にはピアノやギターと並んで「ゴスペル」とありました。変ですねえ。「ゴスペル」“gospel”、ご存知のように“良き訪れ”、“福音”のことですね。ある辞書には後ろの方に宗教的フォークソングとありました。でも、ここでお話する「ゴスペル」はアメリカの黒人霊歌のことです。
 それが昨今テレビやラヂオで『かっこよさ』が取り上げられてブームになったようです。先頃あるテレビで「ゴスペルを歌おう」的な番組を見ましたが講師の経歴にニューヨークのハーレムの黒人教会でゴスペルを勉強したとありました。参加した視聴者にゴスペルを教えるという内容のものです。講師は参加者に一曲の有名な黒人霊歌を2〜3回歌わせてから、「『ゴスペル』のエッセンスはアドリブにある」というようなことを説明して「もう一度歌いましよう。今度はアドリブをつけて」。 
 それはないでしょう!ちょっと変だよ!おかしいよ!「それじゃ教わる人がかわいそうだよ」と思いました。
 音楽教室で「良き訪れ」「福音」が教えられる所までは何とか認めましよう.でも黒人霊歌の本質が“アド・リブ”、これは許せない。
 アフリカ大陸から新大陸に「輸出」されて苦境に在った黒人が自分達の苦しさ、悲惨な境遇を神に祈り、訴えたのが黒人霊歌なのです。「ゴスペル」のエッセンスは決してアドリブなんかではありません。「Steal away“この世から逃げ出そう”」「Nobody knows de trouble I see“誰も知らない私の悩み”」、遠藤周作さんの小説の題名にもなった「Deep River“深い河よ、私の家郷はヨルダン川の彼方”」と彼らは歌ったのです。
 確か「アンクル・トムの小屋」の一場面だったと思いますがトムの知人が雨の中を帽子を濡らさない為に、帽子を上着の中にしまって濡れネズミで歩くのを不審に思って訳を尋ねると彼は「この体も命もご主人のものだが、この帽子だけは俺のモノだ。」と答えます。そんな彼らが思いを込めて歌い上げたのが「ゴスペル」黒人霊歌と呼ばれてきたのです。彼ら独特のリズムにノッて想いが高まり、祈りの音楽に集中した時に自然と湧き出るのが「ゴスペル」のアド・リブなのです。その「アドリブ」の歌い方を音楽教室で教えるなんて出来るものではありません。
 「ゴスペル」の中身はすべて神に救いを求めた祈りの歌で、辛い境遇を歌ったものや聖書の言葉にメロディを付けたものが殆どです。中学生位の英語を習い始めた若い人達に「ゴスペル」を歌って欲しいのです。というのは「ゴスペル」の歌詞はアフリカから無理矢理に連れて来られた人達が聞き覚えたとても簡単な解りやすい英語で歌われていて、初歩の英語の言い回しや感覚を理解するのに役立つからです。是非「ゴスペル」を歌って下さい。


        「花と典礼」
                                      
                            小田切 眞知子
 先日、井上さんから一冊の本をプレゼントして頂きました。
 以前、宮下神父様がフランス研修に行かれたときに、買い求められた本を翻訳したものです。
 「勉強になるから」と渡されましたがフランス語で書かれた本は読むというより眺めているだけでした。「フランス語はさっぱりわからないので残念でした。」と神父様が転任なさる際、お返ししようとしたところ、井上さんが「訳してあげましよう」と言ってくださいました。
 「花と典礼・祭儀における生け花」の内容はとても意味深く、花のいけ方・色彩・形や手法に留まらず、典礼・福音との関係にまで及び各典礼を理解する上でもとても参考になります。
 読み終えたときには、久しぶりに聖書研究に参加したような気持ちになりました。 一年がかりで翻訳していただいた上に、写真も入り製本までされ、とても立派な本となって渡されました。
 私一人の物にするのはもったいないのでぜひ皆様にも読んで頂けたらと思います。お読みになりたい方は声をかけてください。
 末筆になりましたが翻訳に関わって頂いた新谷さん・安嶋さん・井上さん本当にありがとうございます。〜感謝〜


    多摩教会中高生親睦合宿に参加して

                         田園調布教会 石切山 開
 今回、僕は他の教会の者として参加させていただきました。他の教会との親睦を深めるに当たり、とても良き経験となりました。合宿の内容もとても楽しく、充実した3日間を過ごすことが出来ました。初めてお会いしたにもかかわらず、僕の事を迎えてくださった皆さんにはとても感謝しております。
 今回の経験をいかして、これから先も他の教会との親睦を深めていきたいと思います。また機会があれば皆さんとお会いしたいです。
 本当にありがとうございました。


      サッカーチーム試合報告
                                      
                              加藤 泰彦
 4月24日(土)旧西落合中学校跡地にてサッカーチーム「インマヌエル多摩の2回目の対外試合が行われました。当初は、3月に対戦した調布教会のチームとの試合のみが行われる予定でしたが、ふたを開けてみると、落合サッカークラブの中学生チーム、同じく落合サッカークラブのOBチーム、それに調布と多摩という4チームによる、リーグ戦になりました。3試合もするのはかなりきつかったのですが、それぞれのチームの個性に応えながら、出場メンバーを組みなおし、楽しい試合になりました。
 前回13対0という不名誉な結果に終わった調布教会チームとの対戦では、毎週の練習の成果もあり、終了間際まで1対0でリードをし、最後の3分に同点という好ゲームになりました。貴重な得点をあげたのは豊島さん。ゴールに倒れこみながらの執念の1点でした。調布教会からは主任司祭の小坂神父様も駆けつけて応援に加わりました。
 調布のチームとは試合終了後、ウエルサンピアで皆でお風呂に入り、親睦会でお互いの健闘をたたえました。この日のために、前月からずっと禁酒を実行しトレーニングに励んだ宿里さんはもちろんのこと、とてもビールの美味しい一日でした。


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