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2004年1月号No.365  2004.1.17

1 わたしは罪人です 加藤 豊神父
2 聖劇「インマヌエル」いかがでしたか? 加藤 幸子
3 クリスマスコンサートを終えて 小俣 亜里
4 シメオンを演じて 川原 星悟
5 出会い テレサ 土井 蓉子
6 洗礼を受けて マリア・アンジェラ 内海喜佐子

         わたしは罪人です
                             主任司祭 加藤 豊神父
 先日、車の免許の更新にいってきました。更新程度と侮らず、心して受講してきました。今回は午前と午後それぞれ二時間の講習でした。「そんなに長時間?」という声が聞こえてきそうですが、自分でそう望んだのではなく、わたしの場合そう義務づけられていたのです。告白しますが、わたしには違反歴があり、単なる更新の講習ではなく長時間の違反者講習を受けることになっていたのです。わたしの数々の道路交通法違反については、今や岡田大司教様をはじめ、一部の司祭たちの間でも周知の事実となっており、わたしとしては痛悔の恵みを希い願いつつ、今後のよりいっそうの安全運転を心がけ、公安のお役人様のみもとで填み深く講習を受けてまいりました。
 ところで免許の更新時、交通事故の悲惨さをあらためて認識するための映画が放映されたわけですが、それを見終わった後、わたしはなぜか妙な不快感に襲われました。その映画には、種々の交通事故の背後に潜む人の心の暗闇が全く描かれていなかったからです。たとえばトラックがスピード違反をする場合、その理由は運送会社のノルマの達成と、雇用主(依頼客も含めて)の無理な要求に応えるための加重労働が必ずや水面下に潜んでいるはずですが、そのような人間社会の構造悪とは無関係にドライバー次第で事故が起きたり、起きなかったり、というものの見方のみを押し付けるのは、いかがなものか? 本気で事故を無くしたいと思っているのか?と疑わしくなってしまったのです。その映画では事故を起こしたトラックのドライバーに不法な労働を強いた会社の不正にまったく触れていないし、ましてや運送会社同士の競争の原因の一つが依頼客のわがままであることなどはどこ吹く風でした。せめて「あなたもそのようなわがままな依頼客の一人ではないでしょうか? あなたが不運にしてこの一件の被害者になったとしても、他の被害者から見ると加害者側に立ってはいないでしょうか?」といった問いかけぐらいはして欲しかった(街で見かける○○便は多くの場合、人間社会の構造悪を載せて猛スピードで走ります)。「兄弟に『ばか』という者は最高法院に引き渡される」(マタイ五章二十二節)とい われています。しかし、それを額面どおり守りきれる人は誰もいないと思います(これは人間の注意力の問題ではありません)。この「みことば」は、限界あるわたしたち一人一人に「罪人」の自覚と、神のあわれみにすがることの大切さを示してくれているのではないかと思います。


       聖劇「インマヌエル」いかがでしたか? 

                                  加藤 幸子
 今年は、例年、クリスマスのミサの前に行われていた聖劇が、初めてクリスマスコンサートの中に、組み込まれました。結果は、いつもより、時間がたっぷりとれ、また・休日ということでお父さん方の協力も得られ、いろいろな面でチャレンジすることができました。
 今年の特色のひとつは、聖劇の中に二人の大人(藤本さん、川原君)が加わったことです。お二人が加わったことで、子どもたちに大きな変化が見られました。二人を交えての初めてのリハーサルの日、子どもたちの目が明らかに変わりました。「これは大変なことになったぞ。ぱくたち、もしかしたら、本気でやらなきゃいけないのかもしれない‥‥」そんな表情が、子どもたちにみてとれました。実際それからというもの、真剣さも、声の出し方も、みるみる良くなっていきました。本番では二人に負けない熱演だったと思います。
 今回の聖劇では、多くの方々の力が得られました。衣装の協力、エルサレムの神殿を素敵に描いて下さった金子さん、床に這いつくばって光の演出をして下さった李さんを初めとする照明の方々・子どもたちの声出しの手伝いをされたお母さん方、そして、“主を待つ喜び”を見事に作曲して下さった小俣さんetc.・・・大人たちが、教会共同体のひとりとして力を出された姿を、子どもたちはしっかりと見、体験したことでしょう。
 もう一つ嬉しかったことは、未信者の方々が、「聖劇を見て、初めて、クリスマスがどういうことか分かった」と言って下さったことです。聖劇を通して福音が伝わる、というのは大きな喜びです。演じる方も、観る方もー体となって、福音の喜びを味わってみたいな−−そんな思いが募っています。
 そこで提案。福音劇団の団員を広く募集します!資格は、劇を通して福音を伝えたいという情熱のある方。情熱さえあれば、上手、下手・年齢は問いません。声の限りに福音を叫んでみたい。そのような方がおられましたら、ぜひ、加藤、小俣まで声をかけて下さい。あなたにぴったりの役とセリフと歌を、オリジナルでお作りいたします。

        クリスマスコンサートを終えて  
                          
                                 小俣 亜里
 前回のコンサートはお客さんが著しく少なく、聴衆動員が問題になりました。宣伝をあまりしなかった、前売り入場整理券を作らなかった、が大きな反省点だったと思います。今回はコンサートをどのように進めるか?どうしようかと本当に悩みました。皆さんが別にコンサートを聴きたいと思っていらっしゃらないならやっても仕方がないかなぁとか、でも今まで続けてきたのにここでやめてしまうのもしゃくだしなあ、とか思いました。
 そこへ、私の父が聖劇と一緒にやったら?!と、とっぴょうしもないことを発言しました。子供達が出ると賑やかになることは間違いありませんが、コンサートとして統一できるか、クラシック音楽とバランスがとれるか?と夫も初め難色を示しましたが、逆に聖劇を「子供だけの劇」という観念を超えて大人も参加するものにしたら?その大人もアリアを歌ったら?etc.とイメージが発展していきました。そして、なにより音楽好きの多摩教会の某氏達の強い要望があり、「じゃ、がんばってやろう!」と決めました。
 以前からモーツアルトのクラリネット五重奏をいつかやってみたいっ、と思っていました。この曲は本当に名曲だと思います。お聴きになった皆様もそうお感じになりませんでしたか?クラリネットという楽器は気持ちが和む、かわいらしい音も出る、良い楽器ですよね。どうせやるんなら名曲を、そして上手な演奏者をと思い、9月に入ってすぐクラリネットの黒尾さんに相談し、他のメンバーにもお願いしました。みんな、とても気だての良い友達でこのコンサートの為に、多摩教会に3回集まって練習しました。練習日を調整するのに一苦労、12月は第九の季節、オーケストラの練習が済んでからやったので、夜の10時半頃までかかってしまいました。
 苦労の甲斐あって、お客さんも沢山入ってくれて、良いコンサートができたと思っています。チラシ、ポスター、入場券作り、婦人部の方々によるコーヒータイム、当日の駐車場誘導係、撮影、花束ならびに聖劇スタッフなど、大勢の方々が心をひとつにして今回のコンサートに臨めたのが何よりも嬉しかったです。みなさん、ありがとうございました。

            シメオンを演じて       
                                 川原 星悟
今回の聖劇は私にとって重要なものになったと思います。今回の聖劇によって私は多くの事を学びました。人前で歌うことのできる楽しさ、それと同時に人前で歌うというプレッシャー。台詞を覚えたのもまた聖劇まで後一週間といったときでしたし、実際に人前に立って演じるのは小学生の時に羊飼いの役で一言言った事があるくらいでした。今回シメオンという役をいただいて私が感じたのは、演じることの楽しさでした。劇の上で自分とは全く違った他人を演じる。本来の自分とは違った全く別の自分がいる。他人を演じることで新たな自分に出会えた気がしました。私が今回の聖劇によって得たもの。それは自信であると思います、それと同時に未熟さも感じました。藤本さんの歌声を聞いて改めてそう思いました。私はまだまだ未熟者です。これからの人生においてますます歌に磨きをかけ皆様に感動と希望を与えることができるよう努力していきたいと思います。多摩教会の皆様ありがとうございました。


           出会い
                            テレサ 土井 蓉子
 人は誰でも、人生の中で祈るしかないという試練に立たされることがあるといいますが、私にとってのそれは15年以上も前のことでした。その時から祈りが生活の一部になっていったように思います。
 そして、ある年の12月、私自身、大きな手術をしたのですが、病院内のチャペルで、クリスマスのミサがあるということを知り、何のためらいもなく出かけて行きました。 これがイエス様との最初の出会いだったように思います。それから、キリスト教とは何かを知りたいと願いながらも、実際には宗教と無縁な生活を送っていた私は、自己流に聖書を読んだり、書物や絵画や音楽からしか学べずにいました。
 ある時、どうしても教会に行きたいという気持ちが強くなり、知人の勧めもあって、カトリック多摩教会の前に立ちました。『いつも喜んでいなさい。たえず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい』という言葉が掲示されていました。2002年9月14日のことです。この日はそのまま帰りましたが、10月下旬からは「日曜日は教会の日」ということになりました。ごミサにより、清められ、強められて次第に癒され回復していく自分を感じる日々でした。
 洗礼式ではずっと胸が一杯でした。神様がひき寄せて、神の子として下さったこと、共同体のメンバーの一員にして頂いたこと、とても幸せで大きな喜びでした。そして、私の家族が、二度目の誕生日を祝ってくれたことにも感謝しています。
 最後になりましたが、私のような者を勉強を通して洗礼まで導いて下さった加藤神父様、また代母として、これからずっと見守って下さる南條効子様に心より御礼と感謝を申し上げます。


        洗礼を受けて
                       マリア・アンジェラ 内海 喜佐子
 今、私は幸せで一杯です。何年も待ち望んでいた夢の様な事が現実になったのですから。夫を亡くして悲しみに打ちひしがれていた私を神様は助けて下さり、又‘04年を前にして洗礼を受けさせて下さり、人生最高の喜びを与えて下さいました。何をどの様に申し上げてよいか未熟な私には分りませんが、お叱りを承知のうえで云わせて頂ければ“本当に大好きな御方”の側に少しでも近付けた様な気がすることです。
 思えば戦後間もなく英語が習いたくて家の近くの教会に行き、ついでに礼拝に出席し、賛美歌を歌い、牧師さんの説教を聞き、聖書も読まない私がまるで子供の様に何の疑いも無く神様を信じ、イエス・キリストを愛し尊敬し、誰が何と云おうと復活を信じていました。その気持ちは今も変りませんが・・・娘がカトリック教会に通い始めて教会の方達がよく家に来られたり、神父様にも度々お会いし、教会にも何度か行きましたが、どうしても私には敷居が高く特別な世界の様に思えてなりませんでした。私の求めているものと一寸違う感じがしたのです。
 その後修道生活に入った娘を訪ねてパリやヴェズレーに行き、修道士、修道女の方達と接して、ホット心が和む思いがしていましたが、初めてまだ御聖堂の完成されていない此の多摩教会に伺って神父様と信者の方にお会いしました時、今迄の教会に対するイメージが崩れて同行した主人も私も深い感動を覚えました。一寸足踏みはしましたが神様が私の思いを聞き入れて下さり、導いて下さったものと信じています。
 昔、娘が小学生の頃、冬の夜空を見上げて一番光る星を指差して“ママあのお星様にサンタクロースがいるのでしょう!! ”と云われた時、私はもうそろそろ本当の事を話さなければ学校の友人達から除け者にされると思い、真実を話すと、娘に“自分の願ったプレゼントが何時もクリスマスの夜に届けられているのは神様が良い子にしていれば必ず願いを聞き入れて下さるのだなあ・・・と思っていた、その気持ちは変らない”と云われてしまいました。そんな一途な心に、今、私も同じ気持ちでいたいと願っております。
 これからは真剣にお祈りし、勉強して一日でも早く少しでも皆様に追いついて共に歩んでいきたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。


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