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2003年12月号 No.364  2003.12.13

クリスマスにまつわる懸念 加藤 豊神父
親睦研修会について 井上 信一
親睦研修会に出席して 川島 一太郎
青梅の文化を訪ねて! 婦人部
婦人部の皆様有難う 森井 利江
多摩教会にサッカー部誕生 高橋 英海
ニュージランドの旅 (2) 海野 滋子

    クリスマスにまつわる懸念
                          主任司祭 加藤 豊神父

 以前にこんな話しを聞いたことがあります。ある人が道すがら教会の前を通り過ぎるとき、「教会でもクリスマスをやるんだね」と呟いたとのことです、この話から、わたしたちは三つの教訓を得ることができると思います。先ず一つは、今やクリスマスは日本において完全に認められたといってよい年末行事となってしまっていること、そして二つめは、この時期、あちこちの職場でよく話題になることですが、クリスマスが肝心のイエス・キリストの降誕とは無関係に祝われてしまっていること、であります。さらにこうした現状の背後に、三つめの教訓が潜んでいると思います、それはメディアの影響カの凄まじさで、正直、恐ろしい程です。
 これと似たようなことは、いわゆる「バレンタインデイ」にも見られます。こんにち、誰が知っているでしょうか?その目がバレンチノ(バレンタイン)司教の殉教を記念した日だということを。また、その記念日は、2月14日ではなく、本当は2月13日だということを。ましてバレンチノ司教がどうして若い男女の守護聖人とされるに至ったのか、すなわち彼の生前の徳業がどのようなものであったのか、ということを。にもかかわらず、バレンタインデイそのものを知らないという日本人は現在では皆無といえます。これまた、メディ アの影響(否、悪影響)としかいいようのない現象です。
 さらに、さらに、いうならば「リオのカーニバル」などと聴くと、日本人のほとんどが「賑やかで派手なお祭り騒ぎ」を連想するに違いない、と考えてしまうわたしなのです。カーニバルのもともとの意味は大斎・小斎の「肉断ち」で、それは本来「明日から四旬節に入るので今日のうち心置きなく楽しんでおこう」という発想から生じた「謝肉祭」のことです。にもかかわらず、それとは無関係にカーニバルの曲解されたイメージだけが一人歩きをしています。これまたメディアの悪影響でしょう。
 現代の日本の社会の中では、クリスマスも、バレンタインデイも、リオのカーニパルも、すべてキリスト教から切り離されており、「クリスマスには未信者の方も大勢教会に来るので宣教のよい機会となりますね」などという呑気な宣教理解はもはや説得力がありません。こうしたわたしの悲観論から、洗礼も堅信も受けている人たちの中から「教会でもクリスマスをやるんだね」とい声が上がりかねないのではという懸念が起きます。もちろん、そのようなことは今のところ「まさか」と、一笑にふされるようなこと、とても有り得ないことのように思われます。しかしながらメディアが今後増々影響カを持ち続ける以上、やがて事態が思わぬ方向へと流れて行くこともあるのではないでしょうか? 難いことをいうつもりは毛頭ないのですが、わたしたちは今、後世に伝えるべきみずからの信仰の中身を自分なりに整理しておく必要にせまられているのかもしれないのです。


    親睦研修会について
                                 井上 信一

 今年の多摩教会の親睦研修会は、11月24日(月)にウエルサンピアにおいて調布、府中 両教会の信徒の皆様にも参加を呼び掛けて、午前11時から午後5時まで6時間にわたっ て開催されました。参加者は4人の神父様とシスターたちを含めて、75名でした。
 宣教協力体の発足の年でもあり、3教会の信徒間の交流を深め、この協カ体の今後のあり方を話し合おうというのが、何よりの目的でした。そのため講話をして下さる方と して、教区本部次長の江部純一神父様に来ていただきました。もちろん、3教会の主任司祭であるバスカーレ神父様、小坂神父様、加藤神父様も参加されました。
 11時からミサ、その後に昼食をいただきながらの懇親、1時を少し過ぎたところで江部神父様の講話が始まりました。そして、その後で参加者を6つのグループに分けて、その各々がまとまって、コーヒーやお茶を飲みながら、分かち合いの場を持ちました。自己紹介から始めて、宣教協カ体のことや自分の信仰について、皆さんがそれぞれの考えを述べ合いました。
 和気あいあいの中にも、自分の経験を交えて、各々がこれからのことを真摯に語り合いました。3つの教会の人たちが知り合いになれたことは、何よりの成果であったと言えましょう。これがきっかけで、また信徒間の交わりが広がることを期待しています。メールアドレスを交換したり、記念写真を撮ったり、何か久しぶりのクラス会のような雰囲気もありました。その後、江部神父様やバスカーレ・小坂・加藤神父様たちにグループ別に質問をし、話し合いの結果を報告しました。
 それに対して、4人の神父様からそれぞれの立場で回答や説明をして頂きました。最後に「主は水辺にたって」を皆で歌って、5時に今年の親睦研修会を終わりました。


    親睦研修会に出席して
                                  川島 一太郎

 小教区再編成により宣教協力体が発足して約7ヶ月が経過しました。昨年同様、調布・府中教会の皆様も参加された今回の研修会は、「宣教協力体発足の目的・相互協力の大切さ・今後の課題」などについて、教区本部江部神父様の講話があり、その後グループ毎に話し合いが行われました。
 偶々私はAグループ(12名)でしたが、まず参加者の自己紹介から始めました。そして、各聖堂共同体として宣教協力体の活動状況と信徒の役割などについて、「何ができるのか」、「何をやるべきか」、そのためには「意識改革が必要である」、「信徒の交わりを深め、助け合い・支え合い・喜びを分かち合うことが大切」、そしてその結果から「協力関係を築き、教会の福音的使命にたずさわる信徒としての自覚を持つこと」など具体的な意見が交換されました。
 今回の親睦研修会で聖堂共同体・宣教協力体での人と人とのつながり、相互理解の深まりがさらに強められたのではないでしょうか。神様のお恵みに感謝いたします。
 研修会が終わり、帰宅して東京教区ニュースNo.194(2002年7月1日付)の講演(要旨)記事を再読しました。「器が変わっても、私が変わらなけれぱ」は一信徒として共感させられる内容であり、研修会に参加した収穫でした。


   青梅の文化を訪ねて!〜婦人部遠足の記〜
                                    婦人部

 前日までの悪天候がうそのような暖かく穏やかな朝を迎え、ある人は「日頃の行ないが良いからだ」と大きく肯きつつ、ある人は「これぞ神様のお計らい」と感謝の祈りを捧げつつ教会へと向かったことでしょう。
 男性2人(加藤神父様&井上委員長)を含む総勢20名、5台の車が第1目的地の玉堂 美術館へと、“無事に、かつ自力で到着するべく地図を片手にそれぞれスタート。今回の遠足は一事が万事この調子で、目的地も予め確定していたのは2つ、あとはその時の都合次第という良く言えば柔軟だが、有体に言えば行き当たりばったりという代物(一応実踏を行ない計画を立てた上でのこと、と一言弁解はしておきましよう)。しかし参加された方々は、常に次の行動ひとつしか知らされないという状況にも拘らずニコニコとお付き合い下さるお人柄、我々4人がワサワサやっているのを「おやおや、あらあら、仕方のないこと」と大目に見て下さったのでしょう。順調すぎる程に事は進み、組んでいた予定地を全てクリア。しかも教会に帰り着いてみれば予定通りの時刻という、これぞ皆様のお陰・神様のお陰!!無事婦人部の一大イベントを終え胸をなでおろしたのは、我々4人だけではなかったかも・・・?
 今回の行程は以下の通り。
スタート(教会9:30)⇒ 玉堂美術餞&川岸散策 ⇒ 吉川英二記念館&買い物 ⇒ 『繭蔵』にて昼食⇒『金子商店』にてわさび漬けお買い上げ⇒ゴール(教会16:00)


       婦人部の皆様有難う
                                      
                                   森井 利江

 遠足を待ち焦がれる小学生の様に、前日からお天気の事ばかり気にしながら床に就いた。さて当日は、いつも家族の為に多忙な私達おばさんに、神様は絶好の遠足日和を用意して下さった。
 5台の車に分乗して青梅に向かう車中、日曜日教会でお会いしても、ゆっくりとお話出乗ない方々とも、心ゆくまで会話を楽しみながら、ゆったりとした時の流れを感じつつ最初の目的地に着いた。
 川沿いにある玉堂美術館付近は、奥多摩の素晴らしい景色であった。平日の静かな 川辺りを散策した後、吉川英治記念館へ向けて出発。吉川邸は手入れの良く行き届い た、こじんまりした庭園と古い建物が、絶妙にマッチした素敵な所だった。植えてある木や草花を見て、春に是非もう一度訪れたいと思った次第!
 少し遅い昼食は昔の蔵をおしゃれなレストランにした、その名も“繭蔵”での食事は非常に美味しかった。自然の食材に手を掛けて作られたメニューは、どれも私の口に合って、本当に美味しかった。それにしても、おばさん20名の中にたったお二人のハンサムボーイがご一緒の集団でしたので、店の人は一体何者の集りかしらと思われたに違いないと、ひょいと考えたりして・・・。満腹で気分も最高。
 帰途、お土産の買物まで出来て、楽しい一日を過ごして、とても幸せでした。皆な無事教会に戻ることが出来ました事、神様のご加護に感謝致しました。用意周到で、お世話をして下さった婦人部の皆様には、お疲れでしたでしょう、心からお礼を申し上げます。


   多摩教会にサッカー部誕生
      インマヌエル多摩FC(仮称)−めざせ「味スタ」!
                                高橋 英海(堀之内)

 話の発端は、信者の某氏と某主任司祭の健康管理、もう少し平易に言うと、「あのお腹をどうすれば引っ込ますことができるのか」という問題でした。その時、当の某氏が言い出したのです。「サッカーをやりませんか」と。多少の酒気を帯びていたせいか、居合わせた人たちも大いに乗り気でした。「教会のサッカー部として青(中)年層の信者の交流の場にする」。「調布教会や府中教会に試合を申し込んで、宣教協力体の親睦に役立てることはできないか」。「ただし、あまり若い連中が相手では体力がもたないので、年齢は30歳以上とする」。そんなアイデアがその場で出てきました。
 最初はこのような企画で参加者が集まるのか心配でしたが、教会で声をかけてみると、予想以上の人数が集まりました。中には高校や地域のサッカーチームで活躍した経験のある人もいれば、サッカーボールに触るのは初めてという人もいました。これまでに20名以上の参加希望者が出ています。
 長年少年サッカーの指導をしてこられた柴田悟さんのご協力で落合地区の小中学校 のグラウンドを使用できることとなり、11月23 日に最初の練習を行いました。柴田さんの指導の下に厳しい練習が行われ、部員のうちの数名はその後数日間歩行不能となりました。(心は燃えていても、肉体は弱い・・・?)。
 二回目の練習が行われたのは12月7日です。どなたかもこの企画を後押ししてくださっているのか、この日も前回と同株にすばらしい天気に恵まれました。落合サッカークラブの小学生チームとの練習試合では、正規の部員よりはむしろ教会の小中学生「助っ人」の活躍で面目を保つことができました。
 練習の後にはサッカー部の忘年会も行われました。洒を飲めば夢も膨らみます。目標とする相手はもはや調布、府中教会ではありません。東京大司教杯、いや、日本カトリック司教団杯トーナメントを実施して、調布の味の素スタジアムで行われる決勝でわが多摩教会のチームが優勝します(試合の前には教皇様司式のミサを予定しています〉。
 これまでのチームの実績は小学生チームとの練習試合での2勝です。ですから・・ 霊的生活における理想と現実がしばしばかけ離れているように(独り言です)一夢と現実は大きくかけ離れていますが、これからもこのような夢を語りながら、楽しく活動を続けていきたいと思います。参加ご希望の方はいつでもお申し出ください。また、女子応援団の募集も行っておりますので(こちらは上限、下限ともに年齢制限なしです)、こちらもどうぞ奮ってご参加ください。

      ニュージランドの旅 (2)

                                  海野 滋子
 ニュージランドの南島、その南端近くは南極が近いと思わせる様な雪山が並び、標高三千メートルの山々が美しく聳え立つ。最高峰マウント・クックは、一段とその姿形良く眼前にある。山中の唯一のホテル「ハーミテージホテル」に一泊する。夕焼けに染まるその雄姿を、明けそむる麗しの山々の姿を満喫した。私は心の底から、これを作り給うた「神は偉大」と叫び、頭を下げた。
 今朝のミサは山を下りて、バスで一時間、ラカボ湖畔に建つ「善き羊飼いの教会」である。この教会は観光地の一つとなっていて、どの宗教でもその集会に使用する事が出来る。観光バスがとまっていて人がわさわさしている。
 私たちはその時間にミサの予約がしてあったので直ぐ教会堂に入る。同行の嫁の肩をかりて石段をあがり聖堂の扉を開けた。アッと思わず声を上げるほど驚いた。何の飾りも無い石造り、祭壇に木の小さい十字架が只一つ、そしてその向こうは一枚の大きいガラス窓である。蒼色に輝く湖が目に入る。その向こうに白雪を頂く高い山並み、又その向こうに限りなく澄んだ青空が広がる。自然界の美の極致が一幅の絵となって、祭壇を取り囲む。蝋燭に火が入り、ホスティアが用意された。
 心を鎮め席につく、しかし気持ちの高鳴りは如何ともし難い、それはこのミサは亡夫のため捧げられる、昨晩神父様にお願いしておいた、こんなすばらしい聖堂とは知らずに、私は巡礼旅行に出る度に亡夫のためミサを挙げて頂く事と決めている、只感謝の心で・・・
 神父様はミサの前に、私共の方を向かれて言われた。『ミサは法王のため、この地の司教のため、又それぞれの故人のため捧げられる、今日九月二十二日のミサは願い出があって海野さんのご主人のためにも捧げられます。亡くなられてもう何年になります?「二十七年たちました」、「もうそんなに・・・」』と感慨深げ、亡夫の闘病中も臨終のときも、葬儀万端、寺西神父様にお世話になった。遠い昔のことが今また、はっきりと目の前に描かれる。
 その上、今日が夫の誕生日であったと気付き、生きていれば八十八歳世俗で言う米寿の祝い、それを忘れていた、思い出させられたことに感深く、心からミサに与り祈ることが出来た。
 聖体奉挙のときは、吾が心も共にと神を仰ぎ、聖体拝領のときは、しっかりとアーメンと答え、吾が信仰を表示した。
 ミサ後神父様には勿論、ともに祈って下さった巡礼の方々に向かってお礼を言った。亡き夫とともに私もなんと幸せなのでしょうと感謝しながら・・・        
                                          03年9月
デカポ湖上の
「善き羊飼いの教会」

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