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2011年2月号 No.450  2011.2.19

小さな赤い箱
晴佐久 昌英 神父
2年間の任期を終えて 竹内 秀弥
私のオアシス 松原  睦

小さな赤い箱
                                                               主任司祭 晴佐久 昌英 神父

 ペルーの首都リマからインカの都クスコへ向かう国内線の機中で、機内サービスの飲み物と一緒に小さな赤い箱が配られました。十五センチ四方くらいの紙の箱で、開けると中にはお菓子の袋が三つ入っていました。大きい袋がパウンドケーキ、中くらいの袋がクラッカー、小さな三角の袋がチョコレートです。チョコレートは中にジャムのようなものが入っているペルー名物で、さっそく食べ始めた周囲からは「おいしい、おいしい」の声が。
 こういうコンパクトなものに、なぜか心惹かれます。「小宇宙マニア」として、大変そそられるものがあります。小さな空間にさまざまな要素が絶妙に配置されていてひとつの意味ある世界を作り出している、小宇宙。日本庭園とか、幕の内弁当とか。このときは、手をつけるのも惜しいって感じでそっとふたを閉じました。さっき空港でサンドイッチを食べたばかりでしたし。今日はこの先、バスと列車の旅が待っています。お楽しみは後でゆっくり、というわけです。

 この日、巡礼旅行の5日目は、いよいよ世界遺産の空中都市マチュピチュを目指します。まずはクスコの空港からバスで渓谷の町オリャンタイタンボへ。途中、広い中庭のある素敵なレストランで昼食をとったのですが、ちょうどこの日は移動日のためミサをあげる予定がない日だったので、このレストランの一室を借りてミサをさせてもらうことになりました。巡礼旅行ですから、毎日ミサが必要です。成田で出発する時も、いつも有料の団体待合室を借りて結団式のミサをあげてから出発します。そんな時のために、巡礼旅行ではいつでもミサができるように携帯用のミサのセットを持ち歩いています。ホスチアとワインの小瓶と一緒に。ちなみにホスチアは多摩教会の香部屋から持ち出しました。お許しを。おかげで、予定外のミサができてみんな喜びました。ミサ後のペルー料理のバイキングもとってもおいしく、こころもおなかも一杯になりました。
 オリャンタイタンボからは、鉄道に乗り継ぎます。よく旅番組などでも紹介される高原列車で、車窓の風景はまさに絶景です。アンデスの切り立った山々と清冽な渓谷の流れ。そろそろ日も傾いて、山の端からスポットライトのように斜めに差し込む光が、風景の一部を舞台美術のように切り取って浮かび上がらせます。それはさながら天然仕様の小宇宙。二度と見ることのできない一瞬一瞬の芸術を、うっとりしながら脳裏に動画で記録していきました。

 一時間ほど走ったでしょうか。車内サービスが周ってきて、ペルー人の常用茶であるマカ茶が配られました。ここでいよいよ、お楽しみの小さな赤い箱の出番です。心弾ませながら小宇宙を座席のテーブルに置いた、そのとき。
 列車は小さな駅に止まりました。ふと前方を見ると、線路際をみすぼらしい身なりの少年が一人、次々と窓を見上げながらこちらへ歩いてきます。何か売り歩いているのか、なんとなく必死な感じが伝わってきますが、誰も相手にしていないようです。彼は目の前まで来ると、こちらを見上げながら片手の指を自分の口元に向けてパクパクと動かし、口をもぐもぐさせました。言うまでもありません。万国共通のサイン。「何か食べるものをくれ」です。
 一瞬、「何もあげるものはないよ」と思い、0・5秒後には「ウソつけ、目の前に赤い箱があるだろう」と思い、その0・5秒後の表情を彼は見逃しませんでした。早くくれ、と手招きで合図します。列車はもう発車しかけています。あわてて窓を開けようとしました。しましたが、そんな時に限って、窓が固くて開きません。人生って、そういうものです。心の中で「ごめんね」を繰り返す中、列車は非情に走り出し、再び美しい風景が車窓を流れて行きました。
ところが。何気なく振り向くと、なんと先程の少年がこちらに手を伸ばしたまま、全速力で列車と一緒に走っているではありませんか。わが体は条件反射のように飛び上がり、思いっきり窓を開けると、小さな赤い箱を放り投げました。慣れた手つきでキャッチした少年は、すぐに小さくなり、やがて見えなくなりました。

 マチュピチュ山麓のホテルは、去年出来たばかりというモダンなデザイナーズホテルでした。ここに一泊して、明朝はついにマチュピチュ登山というわけです。デザインが売りらしく、夕食は見たこともないようなおしゃれな盛り付けのコース料理で、お皿がどれも四角いのです。そんな四角いお皿があの小さな赤い箱を思い出させたせいもあり、食事中、ずっとあの少年のことを考えていました。
 何歳なんだろう。どんな家に住んでるんだろう。学校に行ってるのかな。毎日あんなことしてるんだろうか。放り投げられた赤い箱、受け止めるの、上手だったな。きっとすぐに、ボリボリ食べたんだろうな。おいしいと思ってくれたかな。
 ホテルのおしゃれすぎる夕食は日本人の口に合わなかったのか、それともお昼を食べすぎたのか、みんなひとくち食べては残しています。毎日ご馳走続きじゃ、無理もありません。残すくらいなら、あの少年に食べさせたいなと思ったそのとき、ふいに確信しました。
彼は、あのお菓子を食べていない。あの全速力は、自分のためじゃない。きっと家で誰かが待ってるんだ。たぶん栄養不足の病気のお母さんが、いまごろ小さな赤い箱を開けているに違いない。「ごめんね、ごめんね」って涙こぼしながら。

2年間の任期を終えて
−委員長辞任の挨拶−

                                                                      竹内 秀弥

 今年度の信徒総会が無事終了し、2年間の教会委員長としての任務を終えることができました。私の役割を支えてくださった晴佐久神父様をはじめ、信徒の皆様、シスター方に心よりお礼を申し上げます。
 振りかえってみますと、一昨年の4月に着任された神父様は、外に向かって積極的に宣教の仕事をなさっていますので、多く教会内の運営管理の役回りがこちらに廻ってきたと感じましたし、そのためご相談することも多かったと思っています。副委員長を始め、教会スタッフの皆様にもいろいろと、細かなことまで打ち合わせをさせて頂きました。
 個々の場面では、戸惑うことも多かったのですが、神父様から丁寧なそして温かいアドバイスを頂くことが出来たので、何とかやってこられたと思っています。
 具体的なことはここでは申し上げませんが、目に見えるかたちの上でも、種々と成果があったのではないかと考えております。
 この2年の間では未解決なこと、棚上げされた事など多々あり、これらのことは新スタッフの方々に検討して頂き、実行に移して頂けるようにお願いしたいと思います。
 神に感謝!

《私のオアシス》

                                                                       松原  睦

 私にとって教会オアシスとは何かと自問してみました。
 私がオアシスを一番必要とした時は、永い会社勤めの間でしたが、実際には心は教会へは向かず、見当違いの方向にオアシスを求めさまよっていました。
 何で洗礼を受けたのかと思われるでしょうが、信者でありながら、教会は行かねばならない場所であり、時折教会へ顔は出しても、早く家に帰り横になって休みたいというのが本音でした。
 それが、50年の遠回りをし、退職した後に教会へ顔を出すことが多く、また奉仕活動にも少し協力出来るようになり、教会のなかで多くの人と分かち合う間に、少し変わってきたのです。なによりも教会の中に安らぎと癒しを感じ始めたのでした。それは2年間のウツのような状況から脱した後、新しい聖堂ができた頃からのことです。
 それまでの間、信徒の皆さんと比較しては、すべてが信仰厚い人で、自分は教会に籍を置いているだけの落ちこぼれ信者というコンプレックスがありました。しかし、ある信者さんが薄暗い聖堂で一生懸命祈っておられる姿に、損得無しに喜んで奉仕をされる多くの方たちの姿に、義務感だけでなく教会には何かがあると思い始めたのです。
 軽食サービスで多くの方とふれあい、聖書講座での分かち合い、奉仕をとおして多くの方と交流したこと。教会に集まる若い人達をみて、教会は楽しくなくてはと思い始めました。大勢の方との接触が、教会のなかで私自体が気構えたり、気取ったりする必要はないと自覚し始めたようです。厳しい企業競争の中とは異なり、失敗しても、不器用でも、ぐずでもゆるしていただける場所だとも感じ始めました。
 また、多摩教会の皆さんと聖地巡礼をご一緒して、いまだにすばらしい体験を分かち合っています。また何度かの親睦研修会や、婦人部主催の旅行会など、お互いを知り合う有り難い行事でした。
 また、HPに載せるために教会建物のすみずみを見て、すばらしさを感じ、はじめて教会へ来られた方に誇りを持って説明することができるようになりました。ミサ奉仕についても失敗連続の私を邪魔者にせず10年間も使っていただきました。
 こうしたことから、教会に自分の座る場所・居場所ができたように思います。ひとりで考え、ひとりで歩むよりも同じ方向を目指す人達と一緒に歩むことによりオアシスに踏み込むことができたように感じます。
 お祈り一つをとっても、神父様からだけでなく、先輩の背中からいろいろと教わりました。私にとってのオアシスは、もともと存在する教会オアシスに気付くことから始まったように思います。これからも、もっとこのオアシスで憩い、心の安らぎを十分に味わっていきたい、オアシスを一番必要としているのは私自身ですから。
 会社を退職して、私同様にこれからの老後をいかに生きていくかを求めている方もあるでしょう。厳しい生活の中でなにかを求めている方々も多いでしょう。多摩教会にも「オヤジの会」を立ち上げる気運が出てきました。奉仕ができなくても、お茶を飲みながら、今は何もできないが、祈りとお互いの分かち合いはできるといったグループが、「みんなちがって、みんないい」そんなグループが欲しいと思っています。
 また、オアシス教会を目指している多摩教会を多くの人に発信して、「いらっしゃいませ、心からおもてなしいたします」と言えるようになり、行動したいと思います。
 現役の頃の私以上に、現実の社会で無我夢中であがき・苦しみもだえている大勢の人がいらっしゃいます。多くの苦難をかかえて精一杯生きておられる方もあるでしょう。ご一緒にお恵みをいただき、ともに歩んでいきましょうと告げたいのです。
 今、カトリック多摩教会の大きな看板が昼夜を問わず外に向かって灯台のようにオアシスの存在を示しています。教会にはオアシス広場がありカフェ・オアシスでの飲み物のもてなしがあります。入門講座、受付チーム、ショップアンジェラなどの活動もオアシスをめざした活動です。バザーも、祈りと聖劇の夕べなどの教会行事も、近隣にお住まいの方と交流する最高の機会と思います。
 ごミサで特別のお恵みをいただき、最後に派遣の祝福を受けているのですから、これからも、力まないで、私が出来るお手伝いを、出来るところから、「オアシスを目指している多摩教会です。是非、お気軽にお立寄り下さい」とつぶやきながら皆さんと一緒に活動していきたいと思います。

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