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2001年8月号 No.336 2001.8.11

ポーランド巡礼記2〜アウシェヴィツを訪れて〜 宮下 良平神父
ポーランド巡礼記2〜アウシェヴィツを訪れて 写真  
教会学校夏の錬成会 特集 田村 路加ほか
教会学校夏期錬成会に参加して 塚本 清

    ポーランド巡礼記 2
    〜アウシェヴィツを訪れて〜

                                      宮下 良平神父
 先月号の続きで、今月はポーランド巡礼について、特に「アウシェヴィツ収容所」 を訪れた時のことを書かせていただきます。
 7月1日(日)の朝8時前にポーランド南部のオシフィエンチム市にある「アウシェ ヴィツ収容所」跡のポーランド国立博物館に着きました。朝早く到着したので、私た ちのバスが一番乗りでした。その駐車場は、収容所の 外の入口建物前にあり、その建物も当時の物だとのことでした。何十台のバスが止め られるほどの駐車場で、夏休みの見学者の多さが想像されました。
 話によると、毎年何十万人の見学者があり、夏にはイスラエルからのチャーター機 で高校生が多数訪れ、巡礼するのだそうです。

 ところで、アウシェヴィツ収容所は2ケ所に分かれています。「アウシェヴィツ1号」 と呼ばれている収容所が「オシフイエンチム」という所にあり、そこか53キロ離れた フジェジンカという所に「アウシェヴィツ2号」別名「ビルケナウ」と呼ばれた収容 所があります。
 1号収容所は、ポーランド軍のレンガ作り兵舎をナチスドイツ軍が接収して使ったの で、朽ちることなくそのまま残っているのです。その1号をつかって、当時の状況を 正確に保存し、説明しています。1号収容所には、最大2万8千人収容されていたそう です。
 2号収容所ビルケナウは、1号収容所の何十倍の広さの175ヘクタール(53万坪)あ るそうで、10万人を越す人々が常に収容さ れていたとのことです。
 アウシェヴィツ収容所は、ポーランド人の政治的指導層・社会的に影響のある人々 (神父も含む)と諸国民を収容するために作られました。そして、1942年からはヨ一 ロツパの「ユダヤ人絶滅センター」としての機能を果たすようになり、150万人がこ のアウシェヴィツで殺害されたといわれます。
 ドイツ軍は、連合軍が迫ってきたとき虐殺の証拠を消すために2号館のガス室や倉 庫を破壊し、焼き払いました。焼け残ったわずかな倉庫から、虐殺の様子や収容され たユダヤ人の遺品などが発見され、それが1号館で展示されていました。
 とこうで、日本軍が中国で人々を研究目的などで虐殺し、細菌兵器の研究をしてい た731部隊(石井部隊)の証拠隠滅行為は全くドイツ軍と同じだったことがわかりま す。

 さて、私たちは地元のガイドが到着するのを待って、1号館の見学が始まりました。 二重の高圧電流が流れる有刺鉄線で囲まれた敷地の正門には、「働けば自由になる」 という言葉が掲げられているのがそのまま残っていました。この門を何十万人の人々 が出入りし、その多くが殺されていったかと思うと、あまりにも皮肉な言葉でした。
 私たちは全般的な展示が行われているブロックの建物へ入りました。そこではアウ シェヴィツの歴史や状況が写真と遺品で紹介されていました。
 初めに、各地から貨車に乗せられ送られてくるユダヤ人の様子が主に説明されまし た。
 ヨーロッパ各地のゲットーから貨車に積み込まれた人々は、殺されるために送られ るとは教えられていません。それは当然のことで、そのことが知られると暴動がおこ る危険から、ナチスは絶対悟られないように「アウシェヴィツで新しい生活をするため に」人々をだまして輸送しました。
 トランクには、自分のものと分かるように大きく名前を書かせ、ギリシャからの輸 送にはアウシェヴィツまでの切符を買わせていました。誰が、殺されることが分かっ ていて切符を買う人がいるでしょうか。その実物を見たとき、私は言いようのない憤 りを感じました。人々は、処刑場で屠られる小羊のように、 なすがままにアウシェヴィツまで運ばれてきたのでした。
 以前に本で見たことのある、殺された人の髪の毛や靴などがそれぞれの部屋一面に 展示されていました。
 それは、決して気持ちのいいものではありません。髪の毛で作った敷物も展示され ていました。ナチスはユダヤ人の命の他にありとあらゆるものを奪い取り、人の灰す らもナチスは肥料として売っていたと聞かされました。
 私はある部屋に入つたとき、靴が展示されているのを見て、涙が止まりませんでし た。それぞれの大きさの靴は、それぞれに神様からいただいた命を生き、家族と共に 何十年と人生を送った人々の、個としてのたった一つ のその人のしるしのように思えました。
 そして、何かそのおびただしい靴の山が、私に叫んでいるような気がします。「こ の事実を決して忘れないでくれ。そして伝えてくれ」と。

 さて、私たちは「死のブロック」と呼ばれている場所に向かいました。先ず、第10 建物と第11建物との間の庭に行きました。そこには、「死の壁」と呼ばれている銃殺 のための石の壁があり、そこで毎日銃殺が行われ、数千人の収容者が銃殺されました。 その壁の前にはいくつもの花が手向けられています。
 その壁のすぐ横の第11建物の地下に、コルベ神父様が身代わりになって収容され殺 された第18号室の牢がありました。
 その牢には、壁にコルベ神父様のレリーフが掲げられ、パパ様から贈られた復活の ロウソクが置かれてありました。私たちはそこで 短い祈りを捧げました。
 60年前の1941年8月14日に身代わりとなって殺されたコルベ神父様の死に至る 二週間はどのようなものだったのかと推測するなら、決して天を見つめてひたすら晴々 した気持ちで死を迎える準備をしていたとはとても思えませんでした。
 というのも、毎日毎日窓の上の中庭では、拷問が行われ、多くの人々の叫びと断末 魔を聞きながら、コルベ神父様は餓死させられるために横たわっていたのですから。
 アウシェヴィツというところでは、死というものがいとも簡単に訪れると同時に、 コルベ神父様のようにを餓死を宣告されてなかなか死なずに最後は注射で殺されると いう死に方もありました。
 あの場所を訪れ、コルベ神父様の死は単なる聖人の美談では済まされない、人間の 罪深さと、神に全てを捧げた神の子イエス・キリストの十字架の死をあらためて私た ちに証しされたのだと思いました。その死は、アウシェヴィツ全体からするなら、百 何十万人分の一人の死であるのですが、そのたった一人の 死が私たちに大きな神からの問いかけを与え続けているように思えました。
 私たちは1号収容所の最後にガス室と焼却炉を見ました。2号収容所の規模からする なら何十分の一の規模でしかないにもかかわらず、一日350人の死体が焼かれていた とのことです。人間が行う悪は、人間の心を麻痺させ、次第に際限のない悪の拡大、 歯止めがない悪の連鎖へとなることを見せつけられた 思いです。

 さて、私たちはオシフィエンチムの一号館の方でかなりの時間を割いたので、2号 館のビルケナウでは正門いわゆる「死の門」の上の塔から説明を受けただけでした。
 写真や映画で有名な引き込み線が門の中を通り、ユダヤ人は列車から降ろされ、働 ける者と働けない者に分けられたホームがその門 の前に広がっていました。
 働けない者は即ガス室へ送られる。貨車1両の70%は殺されたという現実を聞かさ れました。その修羅場の現場が、今は小鳥のさえずりの中で私の目の前に広がってい ました。
 この場所で、「もし私がユダヤ人として即座にガス室へ振り分けられたとしたら」、 また「もし私がユダヤ人を選別するナチスだったとしたなら」と両方の立場に身を置 くことを否応なしに迫られる思いがして、その時私はどうするのだろうかと考えてし まいました。
 生きることも殺すことも、すべてが簡単に決められ、実行されたアウシェヴィツ収 容所でのあの何年間を、単にヒトラーの「狂気の時代」と片づけてしまってはならな いのです。
 アウシェヴィツ収容所での出来事は、私たち人類が決して忘れてはならない「人間 の罪の歴史」です。それは、神を神として認めない人間たちが、悪魔に身も心も売り 渡した歴史的事実であります。それは単に個人の戦争犯罪にとどまらず、私たち人間 の罪の歴史として、「今、そしてこれからの人々に」語り伝えてゆかなければならな いことです。あの悲劇を絶対繰り返してはならない戒めを、私たちは「アウシェヴィ ツ収容所」から心に強く刻まなくてはいけないのではないでしようか。そして、切に 「神の平和の実現」を求める祈りと行動をこれからも続けてゆきましょう。

               神のあわれみと赦しのうちに


1号収容所入口ゲート
「働けば自由になる」と記されている
1号収容所のレンガ作りの棟列 見張り塔
一つのベッドに3人は寝かされていた 作家カフカの姉のカバンも残されている
残された靴・靴・靴 コルベ神父様が亡くなった地下牢の窓の
上には銃殺のための石壁があった
地下牢の通路 コルベ神父様が閉じこめられて殺された地下牢
コルベ神父様が収容され、生活していた棟 1号収容所のガス室と焼却場
2号収容所の大規模施設ができるまで使われた
初期に使われたガス室、ここに2000人が
閉じこめられ殺された
1号収容所の焼却場は2機が1組となって
2組で動かされていた
奥のレンガ棟は女性用とのこと
2号収容所の「死の門」 貨物から降ろされた人々がここで生死を簡単に
分けられた
木造の収容棟は朽ちて暖房用のレンガ
煙突だけが無数に残っている
300以上のバラックが建てられていた

教会学校夏の錬成会 特集

                                 リーダー  田村 路加

 今回のキャンプは14名の参加がありました。大人も入れて総勢30名の楽しいキャン プになりました。宿泊したあきる野教会は一階にお聖堂とホールと台所があり、二階 にたたみの大きな部屋が二つあって、とても広く、キャンプ地としては良い環境でし た。教会周辺には川も山もあり、緑豊かで、少し足をのばせば遊ぶ所もいくらかあり ました。
 私たちは初日に川遊びをして、二日目に「都民の森」でアスレチックコースをまわ り、三頭大滝で昼食をとり、工芸センターで記念品のキーホルダーをつくりました。 それぞれ元気に楽しんでいるようでした。私自身も今回のキャンプはとてもたのしめ ました。
 神学校に入って五年目になり初めて会う子が増えていましたが、みんな気軽に話し かけてくれて、一緒に遊んでくれました。子供たちはどこの教会の子供たちでも同じ ですが、私自身の心の持ちようとしては、神学校から派遣されて行く教会においてよ りは、自分の出身教会においての方が、のびのびとしていることに気づかされました。 自分の育った教会で育っている子供たちに、どこか親近感を感じているんだと思いま す。
 私の神学校生活は残り一年半(予定)になりましたが、今後もずっと、自分の育っ た教会を大切にし、ここで育ってゆく子供たちを大切にしたいと思いました。



                                   五年  岡田 茉莉奈
 7月31日は、あきるの教会についてから、あき川に遊びに行った。花観ちゃんたち と遊んだ。深いところがあったので、杏奈ちゃんがうきわを持っていたのでいっしょ にいきました。あとかなり深いところがあったので、るかと花観ちゃんたちと、どの くらいまでいけるかためしました。そしたら、るかが「ぽく泳げないんだ。」といっ たので、びっくりしました。
 8月1日は、都民の森にいった。そこで、ハイキングしながらアスレチックで遊ぶと ころにいきました。中にはこわれているのがあったので、全部できたとはいわないけ ど、こわれていないやつは、全部やった。一番早いところにいた。
 そのつぎは、三頭大滝にいって、木材工芸センターでキーホルダーを作りました。 そして、数馬の湯にいってから帰りました。
 8月3日は、大そうじで、トイレそうじだったので最悪だった。楽しい3日間でした。
                             


                                     6年 岡田 芳
 1日日は川へ行きお金を払うところで、おばちゃんが「子供がいるから1000円でい いよ」といってくれて川で泳いだ。とびこみをしたり、泳いだり、おぼれたりしたけ どおもしろかった。
 夜は宝さがしゲームをして、ぼくが優勝した。
 そして、きょうは都民の森へ行き、アスレチックで遊んで三頭たきに行って木材工 芸センターで動物のキーホルダーをつくって、くだっているときにあぶにかまれて、 1番楽しみにしていた温泉に入れなくなったけど、ルカがアイスを買ってくれた。夜 は花火をした。



                1ねん1くみ おまた まな
 きのうはなびをしたけど、おおきいはなびもしたかったけど、とろうとしてもなく なちゃってかなしかった。でもはなびができてうれしかった。とみんのもりできーほ るだーをつくったんだけど、わたしはできないので、おかあさんにやってもらいまし た。いすのきーほるだーをつくりました。あすれちっくでしーそうがこわれていたの で、ぜんぶはのれませんでした。さいしょのあすれちっくはちょっとこわかったけど しんぷさまがいたのでさいごまでいけました。
 きのうはすごくたのしかったです。いちばんたのしかったのははなびでした。きょ うははなびのごみひろいのとき、みんながもっちやったので、さいごのときみつかり ました。おんせんではみずぶろとさうなもありました。
 こんどくるときは、おかあさんとおとうさんをつれていきたいです。



                              1ねん1くみ つかもと さとし
とみんのもりであそんで、とてもたのしかった。
  キーホルダー
          タカラさがし
                  かずまのゆ



   あきるのきょうかい  7月31日火曜日
                   さかきばら ひかる
 今日あきるの教会に行きました。ついたときびっくりしました。見たとき中はすご いひろかったです。ぼくは一かいがひろいと思いました。



       8月2日(木)                      2年1組 田中 利々花
 きのう花火をやりました。うちあげ花火がとってもたのしかった。うちあげてばー んていってとてもきれいでした。
 そのまえは、おんせんにいってともちゃんと水ぶろへいきました。水ぶろは、とっ てもつめたくていいきもちでした。そのまえは、キーホルダーをつくってました。キー ホルダーは、うさぎのやつをつくりました。そのまえはアスレチックであそびました。
 いろんなのがありました。さきえちゃんとやりました。いちばんおもしろかったのは、 花火です。ままは、とまらなかったので、こんどくるときは、ままもきてとまってほ しいです。
  


                                         たなか ゆりえ
 3日間の中で楽しかったことは、川あそびと花火とキーホルダー作りです。川あそ びをしていたら、砂がいっぱいはいってきました。でもたのしかったです。川の中で メダカがおよいでいました。みずがあたたかくてよかったです。石の上を歩くときは あるきずらかったです。
 花火をやるとき、けむりがどんどんでてきてすごくいやだったけれど、花火の色が かわったり、どんどん空へとんでいくのも、ふきだすのも、きれいでした。さいご に24ぱつの花火をやりました。
 工作する場所で、キーホルダーをつくりました。わたしからだの長いダックスフン ドをつくりました。すこししっぱいしたけれど、かんせいしてよかったです。そのあ と、おんせんにいきました。つかれたので気持ちよかったです。またあきる野きょう かいにいきたいです。



                                    2年3組  中ざわ とも
 1日め、川に行きました。おぼれたけど、とってもたのしかったです、さかなもみ れたし、うきわだってのれました。ねるときは、おしやべりもしちゃいました。
 つぎの日、山へ行きます。山の道は、きゅうなさか、でもちゃんとアスレチックに ついてあそべたんだ。 つかれたときもがんばったよ。かえりにキーホルダーつくり ました。いるかの形で、これはママにあげます。山のかえりに、おんせんへいって、 水ぶろかたまではいったよ。おふろからでたら、いちごぎゅうにゅうをのみました。
よるはもう、うるさくて、もりあがって、いましたでも、わたしのくしゃみがとまり ませんでした。



                                      4年  田中 早希給
 わたしは、このキャンプで都民の森のアスレッチクや川に行きました。花火はすご く色がきれいでした。でもすごくたのしかったのはキーホルダー作りでした。いつも 仕事をがんばっているおとうさんにあげます。おかあさんには、ゲームのけい品でも らったスタンプセットをあげます。おふろもいろんなものがありました。水ぶろは、 つめたかったから足までしかつけませんでした。サウナもありました。でもはいりま せんでした。家いがいのおふろは4年になってはじめてでした。たくさん入ったけど もうじかんだったのでやめました。でもつかれがとれてよかったです。すごくたのし い3日間のキャンプでした。



                                      四年  中沢 花み
 8月2日は教会のキャンプ、3日目の最後の日だ。だからその3日間をふりかえった。
 初日の日は「せせらぎ。」の川で遊んだ。深いところもあったからおぼれかけた。 そして一つ発見した。それは、るかが泳げないことだ。夜は宝さがしをした。わたし は3位だった。
 次の日は都民の森で山を歩いた。アスレチックがあった。そこで遊んだ。こわれて いるところがあったのでざんねんだった。でもゴールについたのが早かった。いるま の湯のおふろはきもちよかった。また行きたいと思った。そして8月2日の今は大そうじだった。わたしはトイレそうじだった。さい悪だ。とまりは けっこう楽しくてワクワクした一日だ。
 (たきも見た。)



            四年四組  井関 昂
とみんの森で、アスレッチクがおもしろかった。



         8月2日・4年2組・田中 かんた
 とみんの森でアスレチックがたのしかった。2つこしょうがあって、ぜんぶできな かった。アスレチックが終ったら、キーホルダーを作った。ぼくは、くじらにした。 そのあと、おんせんにはいった。きもちがよかった。おとといたのしかったことは、 まず川あそびで、ぼくは、たくさんおよいだ。おわりになったら、さむくなった。は なびもたくさんやって、うちあげはなびがたのしかった。せんこうはなびがすぐおち たから、むかついた。・
             3日間たのしかった。




    教会学校夏期錬成会に参加して

                                          塚本 清
 今年の教会学校の夏期錬成会は、昨年までと異なり宿泊場所を多摩教会ではなく、 カトリック五日市霊園に隣接するあきる野教会に移して、14名の子どもたちが参加し て行われました。
 初日の7月31日、車に分乗してあきる野教会に出発しました。途中、私の車に乗っ ていた子どもの一人が気分が悪くなり、八王子教会で少し休みましたが、そこで教会 の方に大変お世話になりました。とてもありがたいことでした。あきる野教会に着い て昼食をすませてから、歩いて10分位のところに、みんなで川遊びにでかけました。 川は流れもあり、急に深くなるところもありましたが、気をつけてみんなで楽しく遊 びました。その夜は、宝さがしのゲームをしました。
 2日目は、朝から檜原村にある都民の森にでかけました。車で1時間程のところでし たが広大な森林公園で、そこで森の中にあるアスレチックをやり、ハイキングコース を歩いてお昼を食べてから、木材工芸センターでキーホルダーを作りました。帰りは 都民の森の近くの数馬の湯という温泉に寄ってきました。夜は、花火大会をしました。
 3日目は、朝食が終わるとすぐ掃除にとりかかり、感想文を書いて最後にミサをし ました。それから多摩教会に戻って昼食をとり解散しました。
 今回の錬成会で気づいたことですが、食事の時に一人分多く配膳されていたことが ありました。これは何かの手違いというより、聖書の「ふたりまたは三人が、わたし の名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである。」(マタイ18 章20節)ということではないかと私は思いました。この錬成会の中におられるイエス・ キリストのために、一人分の席と食事が用意されていたのだと考えれば、それはとて もすばらしいことなのではないのでしょうか。私たちの教会での集いの中には、常に キリストがおられるということを忘れずにいたいものだと思います。
 最後に、今回の錬成会で食事の準備をはじめ、いろいろなお世話をしていただいた 方々皆さんに感謝します。そして中心となって動いてくれた神学生の田村路加さんと 宮下神父様、あきる野教会の稲川神父様にもお礼を申し上げます。ありがとうござい ました。



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