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2001年1月号 No.329  2001.1.13

「ちゃんと返し始めよう」2001年 宮下 良平神父
Christmas Concert 2000 Millennium 吉田 雨衣夫
大聖年のクリスマスを迎えて 井上 信一
教会学校クリスマス聖劇 加藤 幸子

 「ちゃんと返し始めよう」2001年
                         宮下 良平神父
 今年は2001年、21世紀の始まりです。
「わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました。そして、他の人がその上に家を建てています。ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべきです。イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません。この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、わらで家を建てる場合、おのおのの仕事は明るみに出されます。かの日にそれは明らかにされるのです。なぜなら、かの日が火と共に現れ、その火はおのおのの仕事がどんなものであるかを吟味するからです。だれかがその土台の上に建てた仕事が残れば、その人は報いを受けますが、燃え尽きてしまえば、損害を受けます。ただ、その人は、火の中をくぐり抜けて来た者のように、救われます。
あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。」(1コリソト1:10−17)

 上記の1コリント書でパウロが語るように、私たちの聖堂はイエス・キリストという土台の上に建てられたものです。この聖堂の土台はイエス・キリストであり、私たち自身がその土台の上に建てられた『神の神殿』とされているのです。目に見える神殿は二重の重なりを持って、しかも切っても切れないお互いを活かしあいながら、神から与えられた使命に向かって歩むのです。
 その使命は福音宣教「神の国の完成」のために働くということです。
 私たち自身が、そのことを信仰を持って理解するとき、この聖堂に集う私たちが、神の神殿として、どのようにしたら神からの使命を生きるのか模索しなくてはなりません。
 その模索は多摩教会共同体に属するすべての信徒に必要なことです。しかも、その模索はすでに始まっているのです。
 ところで、多摩教会は大聖年の巡礼教会として、献堂式後の主として平日に500名近くの方が、この多摩教会を訪れてくださいました。従って昨年1月から、献堂式を含めると1000名くらいの方が多摩教会を巡礼されました。
 このように多くのカトリック信者の方々が多摩教会を訪れてくださいました。またそれに呼応するかのように、未信者の方が多摩教会に立ち寄る方も格段に増えてきました。
 末信者の方にとっては、きれいな教会ができたので一度見たかったという方もあれば、この教会を見て祈りたかったという方もいます。もちうん、カトリックに惹かれているので勉強したいという方、あることで相談したいという方が来られます。
 昨年、私たちは多くの方から「多摩教会の聖堂に行く」というご祝儀を頂き続けました。
 私たちはそのご祝儀をもらいっぱなしにはできないのです。これから訪れる方へ「ちゃんと」お返しをしなくてはなりません。そのちゃんとお返しをするということによって、「また来たい」という気持ちを来られた方に持っていただけるはずですし、パウロが言う聖堂が神の聖なるものへと近づくのでしょう。
 では、その「ちゃんと返す」とは具体的にはどの様なことでしようか。四つのことが考えられます。
 一つ目は、先ず身近な人に多摩教会のことを伝えること。具体的には、バザーやコンサートなどの行事へのお誘いから始めましよう。
 二つ目は、ミサ中は声をしつかり出して歌い、祈り、答え、隣の席の方と親しくなろうとする気持ちを持つこと。
 三つ目は、ミサが終わって人と何も挨拶せず帰らないこと、何かしら話を交わす努力をすること。そしてミサなどに来られた初めてらしき方に声を積極的にかけること。
 四つ目は、神父が教会を留守にするとき、積極的に留守番をして、誰かが訪ねてきても教会にどなたかの信徒がいることです。
 その他にも考えられるでしょうが、取りあえず先ずこの四つを心がけてゆきましよう。
 私たちは頂いたものが大きいということを自覚させていただいた昨年から、神と人にお返しを始める新年でありたいと願っています。
                          神に感謝

     Christmas Concert 2000 Millennium
                        吉田 雨衣夫

 久々に弦の響きを間近に聴くことができました。
 最初、このコンサートの司会を依頼された時はよくあるクリスマス音楽の演奏会が浮かび気軽に引き受けました。ところが後で渡された演奏曲目の原稿を見て私は慌ててしまいました。私の思い込みは「多分メサイアやオラトリオの抜粋とかヨーロッパのキャロル集、聖歌や賛美歌の聖誕頌」だったのです。 でもその原稿にあったのはBachとMozartでした。周到に構築された音の会堂一Bach。奔放に迸るような音の噴水一Mozart。プログラムの中央に奏楽に乗せた宮下神父の朗読。
 バッハとモーツアルトという興味深い組み合わせだったのですが、実は私が習ったのはグレゴリオ聖歌からネーデルランド・フランドル楽派、パレストリーナからバッハに至るポリフォニー音楽でモーツアルトは殆ど演ったことがなかったのです。その上に本番5日前に神父様からプログラム作りまで頼まれてしまい、大変興味深いプログラム構成に期待をしながらも、果たして私に司会が勤まるのか、プログラムは本番までに印刷が間に合うのか、焦ってしまいました。本棚から古い音楽書を何冊か引っぱり出してプログラムされた曲を1曲づつ探しては解題を起稿しましたが、実際に段組をすると予定ページをはみ出してしまいました。あちこち削ってページ数を合わせると文章がぎくしゃくしてしまいます。でも時間に追われて最後まで直し切れないまま印刷してしまいました。(ゴメンナサイ)。本番になってまたまた失敗あがってし
まってプログラムの曲順変更の案内を忘れたのです。
 それでも3本の弦楽器がMozartのディヴェルティメントを歌い出した途端「このコ ンサートは大成功と確信しました。ヴァイオリンとヴィオラとチェロ、なんと美しく大きく響くのでしょう。まるでこの聖堂がこのコンサートの為に建てられたといった感じです。終曲の賛美歌115番を聴きながら、「これはお客を呼べる、今回だけで終わってはいけない」という思いを強くしました。
 小俣さん御夫妻、斉藤さん、麻生さん素敵な音楽を本当に有り難う御座いました。


         大聖年のクリスマスを迎えて
                              井上 信一

 2000年の主の降誕を私たちは、初めて新しい聖堂で迎えました。6時からの教会学校の皆さんの聖劇が始まる頃は、すっかり暗くなり、教会全体が光に満ちていました。鎌倉街道から近付くと、何時もはあまり見ることのできないガリラヤの間の上のステンドグラスが暖かく輝いていました。1年前のコンクリート打ちのために枠で覆われた建設現場と足場の悪い旧聖堂(今の信徒館)を思い出すと、夢のような気持ちです。
 12月24日は丁度日曜だったので、午前中に待降節第四主日のミサがあり、イエズス会の松村神父様と宮下神父様との共同司式のミサに与りました。その後、皆で聖堂の大掃除をやりました。一見きれいなようでも、よく掃除すると結構ほこりやごみが出てくるものです。お蔭さまで・気持ちよく、主の降誕のミサを迎えることができました。
 6時からの「クリスマスの鐘」という聖劇は、教会学校の皆さんの苦心の演技と歌によるものでした。その中で、皆で歌いました「鐘を鳴らそう」という歌は、献堂式の時と同様、歌詞が加藤幸子さん、作曲が小俣浩之さんのものです。
 この聖劇に続く夕方のミサに来られた方々は、350人位でしたでしょう。日頃忙しかったり、いろいろの事情で来られない信徒の方、そして信徒でないと思われる方たちの姿もありました。やはり、これまで以上の数の人たちが集まりました。また、このミサの中で、諏訪の荒木真理子さん(ご主人は久史さん)の赤ちゃん、クララ瑞紀ちゃんの洗礼式が行われました。
 ミサの後、信徒館で、各地区ごとに用意していただいたケーキやサンドイッチをいただきながら、主の降誕を祝いました。今回はテストケースとして、夕方のパーティでは、この食べ物とお茶とジュースで乾杯ということにしてみました。多くの方がこれも良いやり方ではないか、と言われましたが、やはり泡のある飲み物なしでは、お祝い気分にならないのでは、という声もありました。
 そして、10時のミサに来られた人たちは、200名位でしたでしょうか。日頃見慣れた信徒以外の方々の姿も沢山ありました。これから開かれた教会として、このような方々をできるだけ沢山迎えたいものです。後の祝賀会では、ブドウ洒やビールもサービスされ、ケーキ、サンドイッチ、おつまみも沢山用意してありました。フィリッピン人の方々も楽しく交流してくれました。
 松村・宮下両神父様を初め、沢山の信徒の皆様の奉仕で、今回も立派なクリスマスを迎えることができました。有難うございました。なお、明けて25日(月)の朝の10時のミサにも釣150名の方々がみえました。
                                    


         教会学校クリスマス聖劇

                      加藤 幸子(南大沢)

 去る12月24日のミサ前、6時より、教会学校の子どもたちによる聖劇『クリスマスの鐘』が上演され新聖堂に再びイグナチオ教会の鐘が、鳴り響きました。一昨年、仮聖堂で行ったものと、同じ内容ですが、今回は、新聖堂ということで、気分も新たに、配役も一新し、スポットライト付き、『鐘をならそう』の新曲付きで、前回とはまた違った雰囲気だったのではないでしょうか。
 今回も、忙しい現代っ子たちで、全員揃っての練習は一度もできず、当日、飛び入り参加した子もいましたが、とにかく、皆で声を合わせ、心を合わせ、クリスマスに臨もう、という気合いだけは、伝わったかと思います。スポットライトは、中高生が手伝ってくれました。それにしても、抜群の音響の良さは、神様が多摩教会の皆にくださった贈り物のように思えます。ここをうんと使いこなせたらいいなあー、などと考えているうちに、今年のクリスマスは、あれにしよう、これにしよう、と、もう夢がふくらんでいます。ちょっと気が早いけれど、でも、
お楽しみに・・・


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