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2000年11月号 No.327  2000.11.11

「祈るとは、わたしと対話してくださる神に耳を傾けること」〜続き〜 宮下 良平神父
大聖年子供ミサ 加藤 幸子
バザーへの協力有り難うございました 井上 信一
婦人部遠足記 谷内香代子

「祈るとは、わたしと対話してくださる 神に耳を傾けること」〜続き〜

                                   宮下 良平神父

 皆さん、「家族そろって祈る 一祈りの三っの方法一」(ミラノのマルティーニ枢機卿著)をお読みになりましたか。
 そして、読まれた方はどんなことを受け取りましたか。
 多分、多くの方々はピンとこなかったのではないですか。というより、「何をバカなことを言っているのか」と思われた方もおられるのではないでしょうか。
 私たちは信者であろうと無かろうと、「祈りとは神に語りかけることだ(p36)」と思っているでしょう。すべてがその自明の理から始まると私たちは考えています。
 果たしてそれでいいのでしょうか、その極めて当たり前なこと、「自分が神に向かって“祈る”」という考え・姿勢が、逆に私たちを自分自身の殻に閉じ込めさせているのではないでしようか。
 マルティーニ枢機卿が述べる「祈ることは話す以上に聞くことのほうが肝要なのだ(p36)」ということば、別な言い方をするなら、「自分の心を先ず開こうとせよ」ということではないでしようか。
 「開く」ということは、並大抵なことではできないかもしれません。誰に向かって。それは神に向かって心を開こうとする姿勢でしょう。
 私たちは幼い頃から、祈り方を繰り返し教えられてきました。成人洗礼を受けた私でさえ、祖父の朝日に向かって毎日柏手を打つ姿を見ながら育ちました。私のなかにも祈りの姿なり、定義がいつの間にか身に備わっています。
 しかしながら、私は洗礼を受けてからずっと感じてきたことがあります。それは、教会で「なされていること」たとえば、祈り、ミサ、聖書の勉強、種々の活動などが結び付かずバラバラになっているとうことでした。
 ある方々は聖書に集中し、典礼や祈りをなおざりにしていたりします。また、ある方々は活動や運動にのみ信仰生活の意味を見出している場合もあります。
 私はこのマルティーニ枢機卿様の言葉に触れて、バラバラに感じていた教会の個々の姿が、実は「聞こう」ということにおいて、一つにつながるように思えてきました。
 祈らなくてはいけないと思う私たちは、自分が語って祈るということにおいてのみ「祈り」が成りたつとだけ思っていました。そこには祈る自分以外に他者を見ていない自分が残ったままです。
 ですから、他者と語らなくても祈ってさえいたら通じてるとでも思いこんでいる自分がそこにあります。家庭や共同体の中ですら、同じことをしていれば、同じ祈りをしていれば心は通じると思いこんでいます。
 祈りとは、神ご自身が語っていただくことであり、それを聞くことなのだと説かれたことにより聞くことは 「祈りの出発点であり、到達点である」ことがわかってきました。そこには、はっきり「祈る方向性の逆転」が見えてきます。
 神に向かって祈るという表現で祈りを理解していた私たち、そして、祈りができない、祈りをしたくない、祈りなんか関係ないと言い切る私たち、その私たちの根底にあるのは、誰に対しても「聞こうとしない姿勢」ではないでしょうか。
 聞こうとするから、私だけでなく私以外の人にも語ろうとする神を意識できるでしよう。
 聞こうとするから、ミサが祈りであり、ミサの初めの部分は聖書が読まれることの意味がすっとわかることでしよう。
 聞こうとするから、自分以外の人が見えてきませんか。
 聞こうとするから、神を感じたい、神のことをもつと知りたいと思うようになりませんか。
 聴こうとするから、心を静めて沈黙のうちに神の語りかけを受け止めようと準備を始めませんか。
 聞こうとするから、自分以外の人が神のことをどのように受け止めたのか知りたいと思いませんか。
 そして、聞こうとするなら、私たちの心は神によって開かれるのではないでしようか。心が自由になれるのではないでしようか。その希望を私たちは主イエスの『祈リ』によって与えられているのではないでしようか。
                          神に感謝。

          大聖年子供ミサ
                                    南大沢 加藤 幸子

10月15日(日)2時より、カテドラル大聖堂にて、東京教区教会学校委員会主催の「大聖年子供ミサ」が行われました。多摩教会からも、宮下神父さまはじめ、シスター 、数名の小学生と親達が参加しました。教区としては初めての試みでしたが40の小教区の子供達で、大聖堂はいっぱいになり、ぎりぎりに到着した多摩教会の一団は、一番後ろの席に、ようやくすべりこみました。
 岡田大司教の司式のもと、侍者服の上に青い帯をしめた侍者の子供達が、何十人もなら
び、朗読、奉納も子供達が捧げ、みんなの歌声が聖堂に響き渡りました。
 ミサの後は小雨模様のあいにくの天気になってしまいましたが、前庭でそれぞれの教会の自己紹介と、ゲームを楽しみました。同じ東京に、こんなにたくさんの信仰の仲間がいる、ということを子供達も肌で感じることができたのではないでしょうか。
 帰り道でひとりの子が、しみじみ「カテドラルのミサで青い帯を締めて侍者をするのが夢」と語ってくれたのが、とても嬉しく感じられました。


      バザーへの協力有り難うございました
                                       井上 信一

 聖堂建設後初めてのバザーを10月22日のミサの後に開きました。天気の方が心配されましたが、何とか無事に開催できました。今年は、近隣の皆様にも宣伝のビラ配りをしましたので、教会外の方の姿もちらほら見受けられました。これからも教会外の人 々に呼び掛けを続けたいと思います。
 毎年のことながら、準備の段階では、ご婦人の方々が献身的な奉仕をして下さいました。手作りのケーキ、お菓子、食料品、手芸品などなど。また、献品、物品の調達の面で、それにその評価と値段付けなどに沢山の方々の協力を頂きました。
 当日は、地域グループ、コルベ会、かおり保育園など9のグループで販売、サービスをお願いしました。食べ物のサービスは、例年のおでん、焼きそばなどに加えて、鉄火 どんぶりが用意されました特注のマグロは美味でした。
 献品も相当数の品物が用意され、バザーの間だけでは、さばききれない程の量でした。売れ残った品数もたくさんありますので、これからの有効利用を考えていただきましょう。最後は、恒例のビンゴ・ゲームで終わりとなりました。後片づけも皆様の協力で手早く完了できました。
 各グループの会計担当の方々に、早速集計してもらい、純利益で375,255円という合計額になりました。1遇間後の29日にも、献品担当グループやコルベ会の人たちに、残品の販売をしていただき、追加の利益が上がり、合計435,045円の収益を上げることが出来ました。全額を聖堂建設資金返済のための口座に入金しました。有り難うございました。                                       


      婦人部遠足記
                                      谷内 香代子

10月27日金曜日、無事、婦人部の遠足を終える事が出来ました。雑用の多い婦人部の仕事の中で、数少ない独自の企画力の見せ場ですので、また別の責任も感じ、婦人部の役を引き受けた当初から、遠足のことを思うと、少し気が重くなったりもしていました。
 今年の遠足は、偶々巡礼にいらした青梅教会の方の「青梅教会は、六角形の少し変わった建物なので、多摩教会の皆様も是非どうぞ。」というお言葉から、そう言えば、青梅には、有名な懐石料理のお店や美術館もあるしということで、行先が決まり、これでひとつ胸がホッといたしました。
 ところが、こんな偶然もあるのだなと妙に感心してしまったのですが、私達が行ったまさにその時、青梅教会では葬儀がとり行われていて、中に入ることはできませんでした。おまけにその日は道が混んでいて、午前中に美術館の方にはまわれず、いきなり昼食になってしまいました。それも30分遅れで‥・。 9時30分に教会を出たのに、ただ車に乗っていただけで、いきなりお昼ごはんになってしまい、皆さんつまらなく思っていらっしやるだろうなと、少々気落ちしておりましたが、皆さんニコニコとお食事をとっておられ、ここでまたホッといたしました。食事の後は、周辺を散策したり、コーヒーブレイクしたり、玉堂美術館に行ったりと、ゆったり午後のひとときを楽しみました。多摩川上流は水も澄んで翡翠色をし、冷んやりとした空気が流れ、身の引き締まるような心洗われるような思いがしました。
 多摩に帰って来た時は、もう暗くなっており、皆さんさぞお疲れでありましょうと案じておりましたが、次の日曜日にお会いした時、口々に「楽しかったです。有り難うございました。」と言われ、救われる思いがしました。3度目のホッとした時でした。
 お忙しい中、神父様、ドライバーの皆様、有り難うございました。神に感謝

 下見に行った者だけが青梅教会に入りましたが、落ち着いた感じの素敵な教会です。機会がありましたら、皆様も是非どうぞ。

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