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2011年9月号 No.457  2011.9.17

つながりの創造
晴佐久 昌英 神父
「荒れ野のオアシス教会」を目指して 塚本 清
義援金に対する謝礼のお便り 新生釜石教会
義援金に対する謝礼のお便り カトリック釜石教会 
無人島 2011 八巻 美砂
 つながりの創造  

                                       主任司祭 晴佐久 昌英神父

9月初めに、2ヶ月ぶりに釜石を再訪しました。5月から始めた毎月の被災地めぐりもこれで5回目になりますが、どこへ行っても同じように強く感じることがあります。それは、言うなれば「つながりの創造」というようなことです。
神さまは人と人をつなぐことで、人と人の間に愛を生み出し、その愛のネットワークをもって、目には見えない神の国を創造しておられます。ですから、わたしたちが他者と出会って愛し合ったり、他者を許して受け入れたりするとき、実は神さまの創造の業に協力していることにもなるのです。
けれども現代の都市社会は、この創造の業にまことに非協力的です。つながりどころか、むしろ面倒な関りを避けるシステムをつくりあげ、独りでも快適に生きていける中毒的環境で人を孤立させ、人のつながりを限りなく阻害してきました。
そんな中、このたびの大震災において、神さまは圧倒的な御業によって人と人を出会わせ、共感させ、かけがえのない友として結び合わせてくださっています。事実、被災地では人と人のつながりこそが最高の宝です。震災直後は人とのつながりがなければ身体的に生き延びられませんでしたし、たとえ身体的に生き延びても、人とのつながりがなければ精神的に生き延びられなかったでしょう。
人が独りでは生きていけないようにお創りになった神さまは、このたびの大震災をきっかけにして、わたしたちを人間の原点、すなわちつながりの原点へと立ち返らせようとしておられるのです。

その意味では、本来的に愛のネットワークである教会こそは、いま最もその真価を発揮すべき時だと言えるでしょう。実際、被災地での教会の働きには、本当に感動させられますし、特にボランティアベースのある教会は現実に人のつながりを生み、育て、つながりの創造に大いに寄与する現場になっています。
塩釜教会のベースでは、ベース長自ら「何かお手伝いできることがありますか」と、御用聞きのように被災地を回っています。釜石教会のベースは、ベース自体が被災者のサロンとなっていて、心のよりどころになっています。米川教会のベースは小さいながらとても家族的で、ボランティア同士の福音的な出会いの場ともなっています。宮古教会のベースは、仮設住宅の各集会所にテレビを取り付けたり、近隣の被災者の自宅にお弁当を届けたり、本当に細やかなサービスを続けています。どこのベースも大変評判よく、地元から絶大な信頼を寄せられていることを、同じキリスト者として本当に誇らしく感じます。9月から大槌町に長崎管区のベースが開所しましたのでこちらも訪問して来ましたが、壊滅的な現場の真ん中に開所したベースの正面には巨大な垂れ幕がかかっていて、大きく「祈」と書かれた文字が、苦難の現場に希望の福音として輝いていました。

ご存知の通り多摩教会では、このような現場を毎月、月代わりで応援しています。現地に出向くことのできる人は限られていますが、現地と心をひとつにして祈り、犠牲を捧げ、援助を送ることなら誰にでもできますし、わたしなんかは、そんなみなさんと現地の仲立ちをするのが使命なのでしょう。そのためにわたしは、直接現地に出向いてお話を伺い、戻ってきてみなさんからの援助を募り、再び現地に赴いて直接お届けするという関り方を大切にしています。じかに顔をあわせることが、つながりの創造に参与するための大きな力になると信じているからです。
今回、釜石教会のベースにみなさんからの義捐金をお届けしてまいりましたが、ベース長が感に堪えないという様子で言ってくださいました。「こうして遠いところを、わざわざ来てくださるというだけで、本当に励まされます。私たちの判断で、被災者のために有効に使わせていただきます」。
9月の献金は宮古教会のベースのためです。来月、直接お届けにまいりますので、ぜひ今後ともご協力をお願いいたします。

 今回は、福島の被災地にも足を運びました。野田町教会でお会いしたトマス神父様のひとことが耳から離れません。「福島はもはや、日本ではありません」。
東京の繁栄のために植民地のように犠牲を強いられた福島。いまや誰も責任を取らず、誰もつながらず、誰もそこの農産物を買わない福島。「汚れた福島は、お祓いされてしまいました」。
 来月10月は、バザーの収益金を含め福島のために義捐金を集めますので、みんなで心をひとつにして応援しましょう。福島とつながるために。

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第15回

《「荒れ野のオアシス教会」を目指して》
                                               塚本 清
幼児洗礼を受けたので、私の教会とのかかわりも長いものになる。小さい時から家族で教会に通ったが、所属していた教会が信徒数の多い、いわゆる「大きい教会」だったためか、日曜日のミサにあずかっても、あまり知っている人もなくミサが終わると、すぐに家に帰った記憶しかなかった。
大学に入って、学内のカトリック学生の会に所属して、そこで中学生や高校生の時に洗礼を受けた人と知り合い、自分とは違うという印象を受けたことを覚えている。ちょうどそのころ第2バチカン公会議があり、典礼をはじめ、教会の中がずいぶん変わってきたこともあって、自分の信仰をとらえ直すいい機会になったと思う。すなわち、いままで「これだ」とされてきたものを、もう一度考え直すようになってきたということである。たとえばラテン語で行われてきたミサが日本語になったり、自分たちで考えた共同祈願をミサの中で祈ったりすることなど。これはほんの一例だが、「なぜこう変わったのか」から「どうあるのがよいのか」と考え直す機会になった。そしてそれは、「自分は本質的に何を信じているのか」というところに結びついていった。このカトリック学生の会では合宿など楽しい思い出が多かったが、大学の中の信徒の集まりという点で、ひとつの「教会」と見ることができるのではないかと思う。
毎週日曜日に教会のミサに参加するということは、こどものころからの習慣になっていた。大学を出て就職し、所属する教会が変わっても、それは続いていたが、教会の中の活動にはあまり参加しなかった。それはやはりこどものころ属していた「大きい教会」での印象があったからだと思う。多摩教会に移って来た時、マンションの一室が教会になっていたのを見て、「こじんまりした教会」というイメージをもった。そのためか教会の活動を少しずつ手伝うようになった。
教会が「荒れ野のオアシス」となるためには、そこで自分の生き方を考え直すことができることと、お互いの顔がわかる程度の適切な規模であることが必要なのではないかと思う。
ここまでは、信徒の集まりとしての教会の話だったが、教会の外に出ると、周囲は信徒でない人が多い。誰でも神様に愛されているということを伝えるために、今度は自分が「荒れ野のオアシス」にならねばならない。それは世間的には損な生き方になるかもしれないが、キリストを信じる者の務めなのだと思う。

義援金に対する謝礼のお便り

1.日本キリスト教団新生釜石教会から 
私は日本キリスト教団釜石教会の信徒で丸木 啓子と申します。この度の当教会の被災に際しましては貴教会の皆様、晴佐久神父様には、チャリティコンサートを開いて頂いたり、はるばる釜石までおいで頂いたりして、信徒のみならず釜石市民を励まして下さり、大変ありがとうございました。皆様の温かいご支援に心より感謝、お礼申し上げます。
被災いたしましてから教会はまだ混乱状態にありまして、5ヶ月を経ました現在でも教会員、釜石市民には巨大津波によるショックから立ち直れず、精神的、物質的にも動揺が治まっておりません。しかし、カトリック多摩教会の皆様のように日本全国から支援を頂き、お祈りをして頂き、どんなに慰められましたか分かりません。本当にありがとうございました。この大きな試練に対し必ず乗り越えて参りますので、皆様のお祈りを引き続きよろしくお願い申し上げます。この度のご支援本当にありがとうございました。
お礼状がこのように大変遅くなりましたこと、どうかお許し下さいませ。神様の祝福が豊かにありますよう心からお祈り申し上げます。
                      2011年8月11日(木)
                                     新生釜石教会 役員 丸木 啓子

2.カトリック釜石教会から
多摩教会、信徒の皆さま
この度は多額な義援金をありがとうございます。
被災地の状況は、日々刻々と変化していますが、人々が自分の生活を取り戻すためには何年もの時間が必要になると思われます。皆さまが送ってくださった義援金はその長い道程の一歩であり、尊いものです。お一人お一人の心がつながり、その心を確かに受け取りました。ここからまた更に他の人々へこの心を分かち合いたいと思います。祈りの内に。
                      2011年9月6日
                仙台教区サポートセンター・釜石ベースキャンプ スタッフ一同・伊瀬 聖子
                                    カトリック釜石教会 信徒会長 小野寺 哲

無人島 2011
                                                 八巻 美砂

「自分が行くなんて思ってもいなかった無人島は、本当に宝の島でした。一人では絶対できない贅沢な体験、みなさんありがとう! 神様ありがとう! 」
2年前の無人島キャンプのアルバムにそえた私のコメントです。
朝陽に感謝し、夕日に祈り、天の川に叫び、ちいさな天国を仲間と共有する喜び。愛されて生かされていることにただ感謝の思いで、浜のミサでは胸がいっぱいになりました。
また来る? と仲間の一人に聞かれ、「来たい!けど誰かを来させてあげたいかな・・・」こんな幸福感を誰かに・・・と思ったのです。
そしてこの夏再び、晴佐久隊長の下、18人の隊員と共に参加したキャンプで思いがけずそれは本当になりました。
友人が一緒に参加したのです。5年前乳癌とわかって、ネット上で関係サイトをさまよっていた私が出会ったホームページの管理人、Tさんです。そこでの同病の仲間との多くの出会いは、心強く心豊かにしてくれました。そんな場を提供してくれたTさんにも私はとても感謝しています。
信者ではない彼女が何かを感じて、無人島に行きたいと強く希望し、神父様やメンバーの計らいで叶った時、しきりに私に感謝してくれるTさんに「私の向こうには仲間がいて、神父様がいて、その向こうには神様がいるの。すべては神様のはたらき‥・My Life Is in Your Handsね」「うん、私呼ばれたんだ」 素直に喜ぶTさんに軽く感動しました。「My Life‥・」は一緒にレッスンをしているゴスペルの美しい曲です。
Tさんを含め初参加の仲間は6人。被災地から参加された牧師さん、テゼの歌声の素敵な聖公会の信者さん、海外派遣から帰国中のドクター、とてもしっかりした10代男子、飛行機に乗り遅れて何とか参加した青年、などそれぞれ宗派も環境も、抱えている思いもさまざまな中、「天国」の喜びは共通でした。そして見守る神父様、ベテラン隊員の温かい眼差しがいつもありました。
快晴、凪、どこまでも透明な海で高校生も50代も魚と戯れ、ハンモックで昼寝をし、満天の星の下寝転がって「星の数と砂粒の数は‥・」と相変わらず、いえ一層盛り上がり、テゼの歌で祈り一日を終える。そしてミサは最も美しい時間でした。
流木の十字架、珊瑚の石の祭壇、貝殻には聖水。本当にどこよりも素敵な聖堂が男性陣によりできていました。
夕焼けと静かな波の音の中で、このミサは東日本大震災で犠牲になった方、今は天国にいる私たちの仲間のために捧げられました。涙、そして涙。TさんR君号泣。
私は、昨年同じ病で召された友人たちを思いました。ありがとう、寂しいけれど、今はこれ以上の天国の喜びと安らぎの中にいるんだね・・・と。
お説教では朗読の中の「鍵」だけ覚えて帰るようにと神父様。
「このままのこんな私に神様は天国のかけらを見せて天国の鍵を預けてくださった。神様がお創りになったこの世界はどこでも天国であり、必ずあなたの鍵を必要としている人がいる。開けて天国を見せてあげましょう」
2年前、開けて私に見せてくれた人たちがいた事を、忘れません。
およそキャンプに役に立ちそうもない私をなんで島に・・・と思いましたが、今はよくわかります。
鍵と言う宝を手にして帰ってきた私たちが、そのはたらきを忘れませんように。
この夏の出会いにまた感謝!
「My Life Is In Your Hands」(亀渕友香 日本語訳詩)
〜心配しないで 恐れないで
喜びの朝 涙は消える・・・
私は生きる 私は歩く
何が起ころうとも守ってくれる〜

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