2023年度 A年 待降節ミサ時間

本日より、新しい「ミサ式次第」によるミサが行われます。

ミサ時間

【待降節第1主日】
2022/11/26 土曜日 18時30分より
2022/11/27 日曜日 9時より、11時より

【待降節第2主日】
2022/12/03 土曜日 18時30分より
2022/12/04 日曜日 9時より、11時より
「創立50周年の記念ミサ〜共同体の新たな門出を迎えて〜」
14時より(参加案内のハガキをお持ちください)
【無原罪の聖マリア】
2022/12/08 木曜日祭日ミサ 10時30分/18時30分
【待降節第3主日】
2022/12/10 土曜日 18時30分より
2022/12/11 日曜日 9時より、11時より
【待降節第4主日】
2022/12/17 土曜日 18時30分より
2022/12/18 日曜日 9時より、11時より
※2022/12/18更新済み

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英「アンパンマンとイエスさま」

アンパンマンとイエスさま

主任司祭 晴佐久 昌英

 これを書いている今日、10月16日、やなせたかしさんが13日に亡くなったという報道が流れました。94歳でした。いうまでもなく、国民的キャラクター「アンパンマン」の生みの親であり、日本漫画界の最長老として多くの人に尊敬されていた方です。
 詩人でもありイラストレーターでもありましたが、やなせたかしが生み出す作品は、いずれも愛と優しさ、普遍的な正義に満ちていて、その作品やメッセージと本人の生き方が見事に一致しているという意味でも稀有な存在でした。彼の作品によって、どれだけ多くの人が優しい気持ちになり、どれほど多くの子どもたちが励まされたことでしょうか。

 わたしは、やなせさんと一緒にお仕事をしたことがあります。
 もう25年も前ですが、司祭になって間もなくの1989年、わたしの絵本の絵を描いてくださったのです。『みんなでうたうクリスマス』という絵本ですが、わたしにとっては人生初めての出版物であり、しかもやなせ先生が絵を描いてくださったということで、忘れることのできない、大切な絵本になりました。
 これは、クリスマスの物語を話し言葉でつづり、それにメロディーをつけて歌にするというミュージカル仕立ての絵本で、巻末には楽譜も載せ、合わせてスタジオ録音したCDも発売したということもあって、その後、多くの教会学校や幼稚園が聖劇として利用してくれました。今でも各地で親しまれていて、「ぜひ聞きに来て欲しい」と、幼稚園の発表会などに招かれることがあります。もっとも、つい先日、今年司祭叙階した若い神父さんから、「ぼくは子どものころ、あの絵本で育ちました」と言われて、もうそんなに年月が過ぎたのかと、感慨深いものがありました。
 この絵本が出たころは、ちょうどアンパンマンのテレビ放送が始まったころでしたが、わたしはまだ30歳そこそこ。若気の至りで、やなせ先生が最初に描いてくださったラフスケッチに、「自分のイメージと違う」などと意見したのを覚えています。よくあるような、飼い葉おけに寝かされているおさなごイエスを囲む聖家族の絵ではなく、大地から太陽のように顔をだした、あまりにも可愛くてあまりにも巨大なイエスさまの、まあるい顔だけが描かれていたからです。
 70歳の巨匠の大胆なアイディアにケチを付けるなんて今考えると冷や汗ものですが、先生はやんわりと、しかしハッキリとおっしゃいました。「これがイヤなら、降ります」。あわてて、「いえいえ、ぜひこれで」ということになりましたが、さて、出来上がった絵本を改めて眺めているうちに、なるほど、これこそまさにイエスさまだと気付かされたものです。すなわち、どこまでも優しくて、圧倒的に大きくて、すべてを超越する、救い主。

 実は、やなせたかしがクリスチャンであると知ったのは、ずいぶんたってからです。そう言われてみると、先生の作品の根底に、単なる善悪二元論を超えた超越的な正義感や、ひたすらに他者を喜ばせるという、キリスト教的な愛の精神が流れていることに気づかされます。
 以下、先生の語録です。
 「人生で何が一番うれしいかというと、人を喜ばせること。人を喜ばせることで、自分もうれしい」
 「お互いに相手を喜ばせれば、何もかもうまくいくはず」
 「アンパンマンは世界一弱いヒーローだけれど、自己犠牲の精神なんだよ」
 「自分はまったく傷つかないままで正義を行なうことは非常に難しい」
 「困っている人、飢えている人に食べ物を差し出す行為は、立場が変わっても、国が違っても『正しいこと』には変わりません」

 もしかすると、パンである自分を食べさせて他者を救うアンパンマンこそは、イエスさまなのかも知れません。先生が亡くなられたと聞いて、先ほど、久しぶりにこの絵本を開き、まあるいイエスさまを見ていましたが、なんだかアンパンマンに見えてきました。
 「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる」(ヨハネ6・51a)
 先生、ありがとうございました。先生も永遠の命に入られたのですね。
 もう絵本のことはお忘れかも知れませんが、先生のお描きになったイエスさまは、今もなお、大勢の子どもたちを喜ばせていますよ。


『みんなでうたうクリスマス』(表紙)
『みんなでうたうクリスマス』(表紙)

まあるいイエスさま
まあるいイエスさま

(上記画像はクリックすると大きく表示されます)


※『みんなでうたうクリスマス』 <絶版>
 絵:やなせ たかし 文:晴佐久 昌英 曲:塩田 泉 
 大型本(絵本) 
 出版社 : 女子パウロ会(1989/9) / 初版発行 : 1989年9月20日 

 

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英神父

市民クリスマス

主任司祭 晴佐久 昌英 神父

 いつのころからか、「市民クリスマス」という行事に講師・メッセンジャーとして招かれることが多くなりました。
 「市民クリスマス」というのは、12月の日曜午後などに、市民ホールのようなところに信者はもちろん一般の人も集めて、共に祈ったりキャロルを歌ったり、ゲストの演奏や講師のメッセージを聞いたりする集いです。多くの場合はプロテスタント諸教派とカトリック教会が合同で主催しています。
 そのような集まりに招かれることは、信仰の有無や教派の違いを越えて、だれにでも通用する普遍的な福音を語る神父だと思われているという意味では、とても名誉なことですし、その期待に応えたいという熱い思いも湧いてきます。

 今年もさる日曜日、鹿児島の市民クリスマスでお話をしてきました。鹿児島はさすがに遠く、多摩教会の主日ミサを終えてすぐに羽田に向かい、飛行機の中で遅い昼食を済ませ、鹿児島に着くと迎えの車が来ていて、高速を飛ばして会場に着くとすでに大勢集まっている・・・そんなバタバタな感じでしたけど、どこも似たようなものですし、それでもいいよと自分に言い聞かせています。ともかくも、ほんの一つでも福音を語れるなら、慌ただしかろうと、準備不足だろうと、仕方ないよ、と。
 もっとも、今回の鹿児島はいつもとは違って、「なるべく晴佐久神父の話を長く」という趣旨で、演奏やコーラスを省いた企画になっていたため、「90分以上、たっぷりお話しください」と言われました。「どうぞ好きなだけ」ということでなんだかうれしくなり、夢中になって時間オーバーしてしゃべりまくってしまいました。
 一般の人もいるところで好きなだけ福音を語れるというのは、キリスト者として本当にうれしいことです。想像してみてください。鹿児島のどこかに、つらい試練に見舞われている人がいます。30代の女性としましょう。彼女は生きる意味を見失い、自分は見捨てられたと感じてうつ状態になり、必死に救いを求めています。ある日、ふと教会の前を通りかかると、「市民クリスマス」というポスターが貼ってあります。もうクリスマスかと、何気なく読んでみると、こう書いてありました。
  講師:晴佐久昌英先生・演題:神さまとの絆
  内容:「親子の絆が切れないように、神と人との絆は決して切れません。お母さんと手をつないで歩く幼子のように、安心して歩んでまいりましょう。愛するわが子の手を、お母さんは絶対に放さないのですから」
 (神さまなんて、ホントにいるのかしら・・・でも、行ってみようかな)
 そうして彼女が当日、会場の隅に座っていると、神父が出てきて話し出します。
 「つらかったでしょうけど、もう大丈夫です。安心してください。今、神さまは、キリストの口をとおして、あなたに話しかけています。『お前を愛しているよ』と」
 彼女の目から、とっても素直な涙がこぼれ落ちます。
 「信じてみようかな・・・」

 鹿児島では、10年近く前にも、講演会をしたことがあります。そのときも、すべての人を救うまことの神の親心についてお話しし、あなたはもう救われていると宣言し、神の愛に目覚めて洗礼を受けましょうと呼びかけたところ、それに応えて受洗を決意し、実際に翌年洗礼を受けたという人が現れました。今回はその人が、ぜひ救ってあげたいと思っている友人を連れて来ていましたので、同じように呼びかけましたが、こうして、時代を超えて救い主が働き続けている事実に、感無量でした。
 クリスマスとは、つらい現実を生きている人のところに、神の愛そのものである救い主が生まれてくるという、現実の出来事です。その意味では、集まった様々な人の心の中に実際に神の愛が生まれる市民クリスマスこそは、まさにこれぞクリスマス、と言っていいでしょう。
 多摩教会では、12月23日に「祈りと聖劇の夕べ」を開催します。単独の教会ではありますが、これもまた多摩市における市民クリスマスです。救ってあげたい方がおられましたら、ぜひお招きください。