2014年7月号 No.491

発行 : 2014年7月19日
【 巻頭言:主任司祭 晴佐久 昌英 】


さかさま社会

主任司祭 晴佐久 昌英

 「これは、日ごろつらい思いをしている、あなたたちのためのお祭りです。主催者は神さまです。信頼して、安心してお過ごしください」
 「心の病で苦しんでいる人のための夏祭り(通称ここナツ)」の冒頭、そうご挨拶しました。日ごろ、自分なんかは楽しんじゃいけないんだとまで思っている方たちに、なんとか、いまここにある喜びを味わっていただきたいという企画です。
 当日は、100人以上の方たちが夕刻の癒しのミサに参加し、炭火の焼き鳥やかき氷をいただき、魚釣りゲームや花火を楽しみ、互いに紹介しあって友達を増やし、日ごろのつらい気持ちを語り合って過ごしました。落ち込みがちな気分や不安を抱えながらも、神さまに愛されているという喜びをわかちあったひと時は、まさに天国のようでした。
 有志で集まったスタッフは5月から話し合いを重ねてきましたし、当日も多くのボランティアに手伝って頂きましたが、参加者に少しでも「自分は大切にされている」と感じてもらえたなら、準備してきた者の苦労も報われるというものです。
 おみやげにお配りした聖句入りの手作りのウチワを手に、名残惜しそうに家路につく参加者を見送りながら、ああ、本当にやってよかったと思いました。

 心の病を抱えているひとりの青年が、「早く社会復帰したい」と言っていました。当然の願いですし、そのための協力も惜しみませんが、いったいどこに「復帰したい」と言っているのでしょうか。その「社会」とは、どんな社会なのでしょうか。
 心の病の苦しさは、まさに心の中のことと思われがちですし、本人も自分が病んでいると思い込んでいますが、実は相当程度、その人の育った環境、関わっている社会に問題があるのです。環境が過酷で、社会が病んでいるならば、その中で心が病むのは自然な反応だということもできます。そのような人は、病んでいる社会に適応しようと、無理に無理を重ねてきたわけですから。もしそうならば、安心できる環境を整え、ストレスのない社会を用意すれば、「病んでいる」人も、相当程度救われるはずです。
 教会家族という現場が目指しているのは、まさにそのようなくつろげる環境、だれでもホッとできる社会です。それは弱者の弱者による弱者こそが中心となる社会であり、この世から見れば「ちょっとおかしな」集いかも知れませんが、その現場にいる人からすれば、むしろこちらの方が本当の社会だ、ここにこそ健康な仲間がいると言える集いです。
 考えてみれば、だれもが本質的に「弱者」であるはずですし、みんな「強者」を振舞うことに疲れ果てているのですから、ある意味では、疲れ果てて壊れそうになっている人が、教会家族のような場へ「早く社会復帰したい」と言う時代が来ているのかもしれません。

 周りがみんな病んでいるときは、自分の病に気づかなくなります。
 「経済成長」が大事だと言えばだれも反対しません。しかしそもそも、経済は「成長」していいものかどうか、経済にとって、だれをも幸福にする真の成長とはどのような状態であるのか、だれも問いません。そこを問わない社会に必死に適応しようとして、若者たちは不条理劇のような就活で心身をすり減らし、何とか就職できた「勝者」も、非人間的な労働を強いられて、結果、優しい人から順番に壊れて使い捨てられていくのです。
 表向きは美論正論を述べながら、陰では自分の利益だけを追求する権力機構が巧妙に振る舞う社会は、まさに陰謀に怯える統合失調的被害妄想を増長させる、格好の環境です。一国の責任者が有事の恐怖を言い立てる被害妄想や、放射能を管理できると言い張る誇大妄想が、どれだけ人々の心を不安定にし、心の病を重くしていることか。

 教会は、神の国の目に見えるしるしです。現代社会に適応できずに心を病んでいる人ほど、実は霊的にはとても健康なのだという、「さかさま社会」です。たとえ社会からはじかれても、ここにこそ本当の社会があり、ここにこそ信頼できる仲間たちがいると感じられる恵みの場です。世界はこれを模範とし、希望とするべきです。
 世界中で「ここナツ」が開かれるときこそが、神の国の到来の時なのですから。

【 連載コラム 】


連載コラム「スローガンの実現に向かって」第43回
「マルタ、マルタ」と主は呼んでくださった

貝取・豊ヶ丘地区 山藤 ふみ

 受洗6年目になる山藤(さんとう)ふみと申します。よろしくお願いいたします。
 教会は祈りの場であるという方がいます。カトリック多摩教会の祭壇を納めた方に、大川さんという方がいます。その方の祈る姿を拝見したとき、まさしく「神に近づく」祈りを捧げている方だと見惚れてしまいました。私は、カトリックの場合は特に、教会活動全体が生涯教育の場であり、その活動を通して「祈り」と「心のオアシス」が広がっていくという印象を持っています。

 いつか何かお手伝いしたという気持ちは持っていましたが、現実の私は、土曜夜のミサ後は、ほうきにまたがる魔女よろしく、さっと暗闇に消えていました。その結果、ごく少人数の方のお名前と顔が一致するだけで、まずい状態でした。
 その少人数の中に、波田野洋子さんがいらっしゃいました。お会いするたびに印象に残りました。台所の作業台に大きなボウルを置き、一心にジャガイモの皮をむいていました。後で、有名な「波田野さんのコロッケ」の下ごしらえをしていたのだと知りました。
 夏祭りかバザーの当日でした。橋の下を荷物を持って歩いていらっしゃるのに出会い、声をかけると、「朝6時に田舎を出て、3回乗り換えて、やっとたどり着いたの。今日は、お昼で失礼しようと思って」と、おっしゃいました。夕方まで皆に声をかけられ大活躍されていました。
 次の日偶然、教会に立ち寄ると波田野さんも来られていました。「お疲れでしょう」と言うと、「まあね。昨日、大勢で台所を使ったので、ちょっと見に来たの」とおっしゃって、五徳を磨いたり、布巾を石鹸で洗ったりと、片づけものをされていました。私などは、当日、半日働くだけでも「面白かったけど大変!」と言ってしまうので、黙って頭を下げました。
 波田野さんが「コルベ会」の方であると知ったのは後のことです。

 カトリック多摩教会の「守護の聖人」は、ポーランド出身のマキシミリアノ・マリア・コルベ神父(1894年1月8日〜1941年8月14日帰天)です。
 コルベ神父の生涯は、波乱に満ちたものでありがながら、終生「無原罪の聖母マリア」の霊性の中にあり、「いつもみ心のうちに」と信仰を守りとおした生涯でした。「ペンは剣よりも強し」と言いますが、聖母の騎士社の出版物を通しての宣教と聖書のすべての聖句の信仰と実行が、アウシュビッツでの身代わりの申し出と死に、まっすぐつながった生き方を示した方でした。
 多摩近在のカトリック信仰をもつ方々が新教会を建てるにあたり、多くの方の御尽力と御縁があって聖コルベ神父を「守護の聖人」として掲げられたことは、不思議なお恵みを頂いたのだと、お御堂に入るたびに思います。

 「コルベ会」は10数人のメンバーが、数十年もの長い間、コツコツと研鑽を続けてきたグループです。
 メンバーの高齢化や、諸般の事情により、活動を縮小されて継続してきたものの、2014年3月で閉会を公表されました。「コルベ会」は、教会や福祉への協力と、自立や親睦を目的として活動してきたとのことです。
 甘夏ピールやソースづくりに参加されていたメンバーの方々は、「プロ集団」としての気迫がありました。一人ひとりの方が、仕事の流れの中で、ご自分の立ち位置を承知していて、手際よく働いていました。人によって「仕事に行く時間なので」と簡単に挨拶を交わし、出て行かれました。「必要なところに必要なだけ」が、長年の奉仕の中で身に付いている気持ちの良い、すがすがしさでした。

 「マルタ、マルタ、大切なことはひとつ」と主は言われました。
 「コルベ会」の継続は大切なことと考え、立候補にたどり着いた私です。

【 例会報告 】


「初金家族の会」7月例会報告

担当: 志賀 晴児

 梅雨空の7月4日、初金ごミサで晴佐久神父様は、「イエス様の、『私は正しい人を 招くためでなく、罪人を招くために来た』というみ言葉をマタイが耳にしたときの喜びはさぞや大きかったことでしょう。ダメダメ人間同士の私たちの集まりでも、神様は愛してくださっているのです」と話されました

 続いての初金家族の会、卓話担当は多摩教会の広報で活躍中の小野原さんでした。小野原さんはこれまで、ニューヨークと南太平洋フィジーでの国際機関で9年間働かれ、その後東京の外国政府機関でも20年以上にわたり広報業務を担当されています。
 小野原さんは、滞在中のニューヨークでの、ジョン・レノンや郷ひろみさんにまつわる興味深いエピソードや、南太平洋のフィジーでは、「やったー!楽園パラダイスだー!」と喜んだのもつかの間、軍事クーデターに遭遇、兵士から頭に銃を突きつけられた事件など、わくわくドキドキのお話しがいっぱいでした。

 なお8月の家族の会はお休みとして、次は9月5日(金)午前11時からです。
 皆様、どうぞ初金ごミサのあとの、なごやかな「初金家族の会」にご参加ください。