2014年1月号 No.485

発行 : 2014年1月18日
【 巻頭言:主任司祭 晴佐久 昌英 】


霊的炎の発火点となりますように!

主任司祭 晴佐久 昌英

 元日のミサの説教で、「今年は出発の年」、「何かを始める年」だと申し上げました。
 もちろん、いつだって新しく出発できますし、いつでも何かを始められますけれど、なぜだか今年は特別だという気がしてなりません。これは聖霊の促しかもしれませんし、もしそうであれば、まっすぐに受け止めて、なにか素晴らしいことを神様のために始めなければならないと思っています。
 みなさんも今年、聖なる霊に導かれるままに、新しいチャレンジをするとか、召命を受け入れて出発するとか、「何かを始める年」にすれば、想像をはるかに超える大きな実りが生まれるのではないでしょうか。
 

 たぶん、そんな風に感じるのには、新しいパパ様、教皇フランシスコの影響も大きいと思います。彼の就任以来の、信徒への率直な呼びかけは、常に単純明快、愛と喜びに満ちていて、思わず「それならやってみようか」と思わせる、不思議な力を持っているからです。
 ホームページ「福音の村」(※1)で、もう一度読んでいただきたいのですが、昨年12月1日と、15日のミサの説教(※2)で触れた、教皇フランシスコの最初の使徒的勧告「福音の喜び」の冒頭は、次のようなものです。
 「福音の喜びは、イエスに出会ったすべての人の心、その人のすべての命を満たすものです。イエスによる救いに身を任す人々は、罪から、悲しみから、内面的な空虚から、孤独から解放されます。イエス・キリストと共に、この喜びは生まれ、そして常に生まれ替わっています。この勧告の中で、この喜びを主題とする福音宣教の新しい段階へキリスト教の信徒たちを招き、これからの数年間における教会の歩みの道のりを示すために、私は信徒の皆さんに呼び掛けたいのです」  
 これは多摩教会の井上信一さんが仏語版から訳したものですが、読んでのとおり、まさに私たちを「喜びを主題とする福音宣教の新しい段階」に招くものであり、そう呼び掛けられて、「よし、出発しよう」と思わせられます。

 また、1月12日の説教で触れた(※3)、「中央公論1月号」(※4)に掲載された教皇インタビューの内容も、「さあ、始めよう」と思わせる呼びかけに満ちています。
 「(教会は)すべての人の家なのです。選ばれた人々だけを収容できる小聖堂ではありません。普遍的教会の広いふところを、我々の生ぬるさを守ってくれる鳥の巣籠りに狭めてはなりません。真の教会は母なのです。限りなく子沢山であるべきなのです」
 「教会が今日最も必要とすることは、傷を癒す能力です。信ずる人たちの心を温める力です。身近さと親しさです。教会は戦闘後方の野戦病院だと思います。重い傷を受けた人に、コレステロールや血糖値を尋ねるほど無意味なことはありません。まず傷ついた人々を癒すべきです」
 「教会はこれまでしばしば些細なこと、小さな掟に関わりすぎていました。もっとも重要なことは、『イエス・キリストは、すべての人を救われた』という幸いな知らせです」
 「教会は、戸を開けて人々が来るのを待っていて、来れば受け入れるだけではだめです。新しい道を見出す教会、内に籠もるのではなく、自分から外に出ていき、教会に通わなくなった人々、無関心な人々のところに出かけていくような教会であるよう一緒に努力していきましょう」

 なんと、教皇様から「一緒に努力していきましょう」と言われてしまいました。「はい」というしかありません。むろん現実には困難も多く、様々な恐れも感じますが、もしかすると私たちは、この危機的状況の現代社会にあって、神様から特別の選びを受けて、キリストによる救いを野火のように燃え広がらせる、決定的な恵みのときを迎えているのではないでしょうか。
 願わくは我らが多摩教会が、そんな霊的炎の発火点となりますように!
 神からの招きを無駄にせず、このような時に出会えたことに感謝と誇りを持って、仲間である皆さんと共に、この新しい年を生きていきたいと心から祈っています。



※【 参照 】

※1:「福音の村」
・ 晴佐久昌英神父のカトリック多摩教会でのミサ説教集(HP)
  >>>>> アドレス: http://www.fukuinnomura.com/

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※2:「昨年12月1日と、15日のミサの説教」
・ 「昨年12月1日」のミサ説教・・・2013年12月1日<待降節第1主日>説教
   「この教会に出会っていなかったら」(「福音の村」)

・ 「昨年12月15日」のミサ説教・・・2013年12月15日<待降節第3主日>説教
   「神には、おできになる」(「福音の村」)

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※3:「1月12日の説教」
・ 「1月12日」のミサ説教・・・2014年1月12日<主の洗礼>説教
   「教会は野戦病院であれ」(「福音の村」)

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※4:「中央公論1月号」
 『中央公論』
 本誌で「教会は野戦病院であれ」のタイトルのもと、12ページに渡り掲載。
 質問者:アントニオ・スパドロ神父(Civiltà Cattolica編集長)、翻訳:門脇佳吉神父(上智大学名誉教授)。
(2014年1月18日現在、Amazonでは古書が販売されていますが、楽天ブックスなどでは、完売となっています。購入したい方は、『中央公論』のHP、「中央公論.jp」の「バックナンバー」からどうぞ)
 
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【 連載コラム 】


連載コラム「スローガンの実現に向かって」第37回
「侍者席から見えるオアシス」

南大沢・堀之内地区 平井 達彦

 2年ほど前から土曜ミサの侍者をしています。侍者経験のない50才を過ぎた中年おじさんが、なぜ侍者を始めたか、また侍者を始めて目の前に現れたオアシスについて、少しお話させていただきます。

span style=”font-size: small;”> 私は大学3年生の時に、名古屋の南山教会で洗礼に与りました。その後、大阪で就職、住居が変わるたびに堺教会、北浜教会、千里ニュータウン教会、宝塚教会に転出・転入を繰り返し、20年ほど前に東京に転勤となり、府中教会、そして多摩教会にたどり着きました。
 教会にはいろいろな仕事があり、皆さんがそれぞれのタレントを生かし献身的な奉仕をされています。私は、いままで奉仕らしい奉仕をしてきませんでした。いわゆる「不良信者」です。言い訳になりますが、転居が多く、どの教会でもお客さん気分が抜けず、東京に来てからは仕事が忙しく休日出勤が続き、また家庭においても子供の世話などがあり、ミサに与ることができないことが続きました。2人の娘がいますが、幼児洗礼、初聖体まではなんとかこぎ着けましたが、その後は教会学校に通わすことができず、いまでは2人とも教会はご無沙汰しています。

 こんな私ですが、2年前ある方から突然「平井さん、土曜日のミサの侍者をしていただけないでしょうか。人数が少なくなって困っています」とお話をいただきました。その頃、私は立ち行かない悩みを抱え、途方にくれ、心落ち着かせるために、かおり保育園の早朝ミサに何度か与っていました。ある方とは、その早朝ミサでお知り合いになった方です。侍者奉仕のお話を伺って、大げさな話ですが「これは、神様が私の信仰を試しておられる」と強く感じました。
 それから、毎週土曜日、先輩侍者の皆さま教えを受けて、中年おじさん侍者の見習い修行が始まりました。神父様からも鐘の鳴らし方のご指導を何度か受けました。見習い期間は、3カ月ほどあったでしょうか。無事卒業することができ、通常の主日のミサはなんとか役割が果せるまでになりました。

 侍者を始める時に、先輩侍者の方から「祭壇から会衆席を見渡すとミサの見方が変わるよ」とお話をいただいていたのですが、実際に侍者席に座っていると、神父様のお説教の一言一句に「眼を輝かせ、うなづいている人」、「一生懸命ノートを取っている人」、「声を出して笑っている人」、「涙で頬を濡らしている人」がリアルに目の前に現れてきます。また、聖体拝領の時の、感謝を表すアーメンの言葉。恐る恐る祝福を受ける方の表情。まさに、ミサが人を救うオアシスとなった瞬間です。会衆席の人々の表情を見ているだけで救われた気分になります。
 まだまだ、不慣れな点、わからないことが数多くあり、時に失敗をやらかすこともあるのですが、これからも先輩侍者の方々に教えていただきながら、できるだけ侍者の奉仕を続けて行きたいと思っています。
 立ち行かない悩みの方も、侍者を始めてからもすべて解決された訳ではありませんが、神父さまのお説教でよく話される「今は旅の途中、試練は生きている証し」の言葉に励まされ、解決できることと、そのまま受け入れるものに分けて、うまくつき合って行こうと思っています。

 最後に、新米が僭越ながらひとつ皆さんにお願いがあります。土曜日のミサの侍者の人数が足りない状況が続いています。興味がある方は、ミサの前後に香部屋の侍者まで声をかけていただければと思います。
 一緒に侍者席からオアシスを眺めて見ませんか。ぜひお待ちしております。よろしく。

【 お知らせ 】


「初金家族の会」からのお知らせ

 1月の初金家族の会は、年明けすぐで、お休みいたしました。

 次回、2月7日(金)は、「教会ディサービスを考える-介護保険法のもとで-」と題し、フランシスコ中司 伸聡さん(麹町教会)のお話しを聞き、分かち合いを行う予定です。

 ごミサの後、午前11時から、信徒館1階で行います。
 多数の方のご参加をお待ちしております。