2013年9月号 No.481

発行 : 2013年9月21日
【 巻頭言:主任司祭 晴佐久 昌英 】


岩 波 ホール

主任司祭 晴佐久 昌英

 岩波ホール。
その名を聞いただけで、ある特別な感情が沸き起こってきます。ときめき、感謝、そして、敬意。およそ200席の、こじんまりとしたこの映画ホールで、私たちはどれだけ感動し、学ばされ、そして生きる力をもらったことか。靖国通り、神保町交差点角に立つ岩波神保町ビル10階は、映画ファンにとってはもはや、聖地にほかなりません。

 この聖地で最初に観た映画は、宮城まり子監督の「ねむの木の詩がきこえる」という、セミドキュメンタリー作品。1977年夏、ぼくが二十歳の時です。自閉症児の「やっちゃん」と、ねむの木学園の創始者である宮城まり子さんの交流に、心ふるえる感動を覚えました。人と人がつながること、それ以上に貴いことはなく、それこそがキリスト教のすべてだと直感した瞬間であり、自分自身の司祭召命においても大きな影響を受けた映画です。
 そして、何と言っても1979年の「木靴の樹」。エルマンノ・オルミ監督珠玉の名作であり、カンヌ国際映画祭のグランプリ受賞作品です。この映画からは、感動を超えた、聖霊体験ともいうべき影響を受けました。イタリア北部ロンバルディア地方の農夫たちの日常を淡々と描いたドキュメンタリータッチの作品ですが、そこには、目には見えない神のみ心と人間の信仰が、目に見えるごく普通の生活として、奇跡のごとく映っていたのです。素人だけを使った素朴な情景を、自然光だけで撮ったフィルムはあまりにも気高く、ああ、映画の本質は秘跡体験なんだ! と知ったのでした。
 その翌年神学校に入ってからは、なかなか映画も観に行けなくなりましたが、司祭になってからは堰を切ったように聖地巡礼を再開したものです。「TOMORROW/明日」、「八月の鯨」、「サラーム・ボンベイ!」、「コルチャック先生」、「ミシシッピー・マサラ」、「ジャック・ドゥミの少年期」、「森の中の淑女たち」、「山の郵便配達」、ケン・ローチの「大地と自由」、アンジェイ・ワイダの「聖週間」・・・ああ、書ききれない! なんというラインナップ、なんという幸福! 映画評論などを手掛けていたせいもあり、このころは年間100本は見ていましたが、ぼくにとっては、岩波ホールにかかる映画は、特別でした。

 岩波ホールは知る人ぞ知る「ミニシアター」の先駆けであり、日本で初めて定員制・完全入れ替え制を導入したホールです。予告篇のときに企業コマーシャルを流さないとか、一度公開日程を決めたらどんなに客が入らなくとも決して途中打ち切りをしないとか、ともかく映画を愛し、映画を愛する人を愛するという姿勢を徹底して打ち出した、まさに「ほんもの」を感じさせるホールなのです。
 上映される機会の少ない作品をていねいに選び、アジア・アフリカ・中南米の名作に目配りし、女性監督の作品も積極的に紹介することなども岩波ホールの特徴ですが、それらはすべて、創立以来の総支配人を務めてきた高野悦子さんの功績です。残念ながら高野さんは今年の早春亡くなりました。生前、ていねいなお手紙までいただいたことがあります。高野さん、「ある老女の物語」をかけてくれてありがとう! 東京国際映画祭で観て以来、いつかかるかと心待ちにしていたのに、何年たってもどこもかけてくれなかったのを、5年後についに公開してくれたのは、やっぱり岩波ホールでした。

 このたびその岩波ホールから、「木靴の樹」のエルマンノ・オルミ監督の最新作「楽園からの旅人」上映後のトークショーに招かれて、観客の皆さんにお話しできたことが、ぼくにとってどれほどうれしく、誇らしいことであったか、ご理解いただけると思います。
 高野さんの後に支配人を引き継いだのは、岩波ホール前社長の長女、岩波律子さんですが、トークショー当日、岩波さんにお会いしたときに、真っ先にひとこと、申しあげました。「これは恩返しです」、と。
 実際、この日は期間中最高の入りになったことも恩返しでしたし、詰めかけた皆さんに福音を語ることができたことも、何よりの恩返しでした。客席には若い観客もいましたが、あれはかつてのぼくだと思いつつ、心こめてお話ししたのでした。

 「楽園からの旅人」10月4日金曜日まで。岩波ホールにて上映中です。

【 連載コラム 】


連載コラム「スローガンの実現に向かって」第33回
「祈りと行動の調和を目指して」

諏訪・永山・聖ヶ丘・連光寺地区 清水 祐子

 都立桜ヶ丘公園の緑に惹かれて連光寺に小さなエコハウスを建てて5年目になりました。
 虫の食べ残しを収穫するような家庭菜園と名ばかりのイングリッシュガーデンに手を焼き、園芸書ばかりが増えていくのが悩みですが、聖蹟桜ヶ丘駅周辺にお気に入りの店も増え、ようやく地元の人になってきました。一方、永山駅方面にはめったに行かないので、鎌倉街道沿いにカトリック教会があることを偶然に知ったのは引越しから数年過ぎた頃でした。

教会学校に始まり、中学校から大学までカトリック学校に通い、海外援助部門の職員として大阪大司教区に勤め、カトリックの世界とのお付き合いは随分長くなりました。ただ「教会に通うこと」を第一義に考えたことはなく、これまでも転勤先にある教会を調べたことはありませんでした。
 今は、WEB上の「聖書と典礼」を読み、仕事を通じて出会った悩んでいる人、助けを求めている人、社会的弱者にされた人に寄り添い、具体的な手助けをすることで精一杯の毎日を送っています。

 数年前の練成会で「祈りが伴わない社会的な関わりは基盤のもろいものになり、実際の行動が伴わない祈りは誠意に欠けるものになる」という話を聞き、非常に合点がいき、それ以来、日々の暮らしのなかで祈りと行動の調和が保たれているかどうかを強く意識するようになりました(内観)。
 新約聖書には赦される基準は祈りでなく行動であることが、随所に示されていますが、マタイ7章21節の言葉は厳しいものです。「わたしに向って『主よ、主よ』という者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父のみ心を行う者だけが入るのである」。もちろん「主よ、主よ」と呼ぶことは悪いことではありませんが、神がすべての人々が救われて真理を知ることを望んでおられるように、神への呼びかけが自分の赦しや癒しばかりを求める欲望にとどまることがないようにしたいと思っています。

 最後に、広報委員から「オアシス」というキーワードを取り入れてもらいたいとの依頼がありましたので、使い慣れない言葉ですがすこし考えてみました。
 信仰者は、社会や家庭での言動が神の望まれる姿になるように努力しますが、現実的には神の期待に応えるのはかなりの困難を伴います。実際、神は私に落胆していることでしょう。それでも神との対話を淡々と続けながら社会的な活動を諦めないこと、これが「オアシス」のような気がします。
 参考までにいつも祈りの手引きにしている本を紹介します。いずれも著者はアントニー・デ・メロ(イエズス会)「東洋の瞑想とキリスト者の祈り」、「心の泉」(女子パウロ会出版)。

【 投稿記事1 】


ワールドユースデーに参加して

貝取・豊ヶ丘地区 塚本 博幸

 私は7月22日から29日に開催された「ワールドユースデー・イン・リオ2013」に参加してきました。この大会に参加できたのは、ひとえに多摩教会の皆様のおかげと感謝しおります。ありがとうございました。
 さて、今回の大会に参加したことに対し、先日も報告会を行ったのですが、カトリックニューズにもぜひ寄稿していただきたい、という依頼を受けましたので一筆とらせていただいた次第です。この駄文に目がとまって少々つきあっていただけたら幸いです。

 まずワールドユースデー(WYD)についてご存じない方もいらっしゃると思いますので少し説明したいと思います。
 WYDとは、1984年に教皇ヨハネパウロ2世の提唱で始まった青年カトリック信者の年次集会のことです。日程は1週間にわたって行われ、世界各国から青年カトリック信者数百万人が集まります。2、3年に1回のペースで開催されており、開催場所はカトリック国の持ち回りにより行われています。今回はブラジルのリオデジャネイロで行われました。

 このイベントのメインは何といっても最終日に行われる教皇ミサにあります。世界各国から集まったたくさんの若者(今回は約300万人と発表されています)と一緒に捧げるミサは壮観のひと言につきます。青く透き通るような海をたたえるリオデジャネイロのコパカバーナビーチで、国も人種も違う青年たちがキリストに対して祈りを捧げている。感動しない人はいなかったと思います。
 また、日本中のカトリック信者の青年と交流できたことも大きな収穫のひとつだと思っています。ご存知のように日本のカトリック信者は非常にマイノリティーです。普段はほとんど出会うことのない、同じ信仰を持った仲間たちと同じ時間を共有できたことは神様からの大きなお恵みだと思っています。
 そして、自分の中での信仰の位置づけも変わったと感じています。今まではカトリックというものに対し、どうしても堅苦しい考え方で接しがちでした。聖書の解釈の仕方、ミサでの立振舞い方、普段の生活の中でのキリスト者としての過ごし方、キリストと自分の人生の関わり方、などなど、、、。挙げていったらきりがありません。私はこれらに対する答えを求めようとしてブラジルに行きました。

 しかし、そこで答えは見つかりませんでした、いえ、正確にいえば見つけようとしませんでした。そこには、あるがままの若者たちであふれかえっていたからです。そこで私しは気づきました。
 今までの自分は堅苦しく一つの答えを神に求め続けていたこと。そして、そのままでは結論はいつまでたっても出ないのだ、ということ、です。堅苦しい考え方で一つ一つ論理的に神を求めていくことも、ひとつの道なのかもしれません。しかし、それに行き詰まったときは初心に立ち返り、もう一度まっさらな状態で神と向き合うことが大切なのです。神は愛です。決して論理で説明できるような代物ではありません。それを今回のWYDで学ぶことができました。

 長くなりましたが、自分をブラジルまで連れて行ってくださった神様のお導きと、それに対して経済的な支援をしてくださった多摩教会の皆さまに感謝の意を述べて今回の結語とさせていただきたいと思います。本当にありがとうございました。

【 投稿記事2 】


人間の原点に戻った「無人島キャンプ」

諏訪・永山・聖ヶ丘・連光寺地区 伊禮 正太郎

 「無人島に1つだけ何かを持って行くなら何を持っていく?」 なんて質問をされたとき、世界中の人の答えで最も多いのは聖書だそうです。確かにそれも大事だと思いますが、実際に無人島に行くと答えは変わってくるでしょう。
 僕が「ハレレ」(ここでは親しみを込めて晴佐久神父のことをハレレと呼ばせていただきます)の無人島キャンプに参加したのは今年で2回目です。

 まずは、そこがどんな島なのかを僕なりの観点で説明しましょう。
 あの島ではどんなにシャイな人間も、大きな悩みを抱えた人間も、あまりの不便さと驚くほどの美しさに、ただただ笑ってしまいます。例えば、旅行に行くと旅先のホテルには、もちろんトイレがあり、風呂があります。さらには部屋まで荷物を運ぶホテルマンもいます。しかし、無人島のトイレは、砂に穴を掘っただけの手作りトイレですし、お風呂はもちろん、ありません。
 荷物を上陸させるには、重い荷物を船の上から歩きにくい砂浜まで、何度も往復して陸に運びます。いや〜不便ですね。しかし、そこは驚くほどに美しい。もう一度、普通の旅行を思い出すと、確かにそこには現地にしかない建物や現地にしかない美味しい料理がある。でも、どこへ行ってもコンクリート道路の上を車が走っているし、鉄の建物があちこちにあり、夜空の星は人口的な光に邪魔されてしまいます。
 「無人島はどうだろう?」 そもそも無人島なので、人がいないんですね。夜、空を見上げると光がなかったころの時代に引き戻されたかのように、星が満遍なく散りばめられている。恐竜たちはこんな星空を見ていたのだろう。

 次は今年の無人島キャンプの感想をいいますね。
 今年は台風の影響で上陸期間が短くなりました。でも、去年は台風が直撃して、半日しか上陸でませんでした。今年はたった3日間でも島で過ごすことができて、すごくうれしかったです。
 さらに今年は無人島上陸25周年なので、大きなイベントを企画していて、皆、何カ月も前から準備していました。無人島キャンプのファミリーたちには、このキャンプのベテランもいるし、コテコテのシティーボーイもいるし、僕みたいな島育ちの田舎者とさまざまな人間が集まっています。そんな生まれも、育ちも、年代も、現状も、まったく異なる人たちがひとつの島で過ごす、とても楽しいキャンプなのです!

 昼は透き通った海に潜り、「本物の」水族館を楽しみ、泳ぎ疲れてテントに戻ると、美味しい食事が待っています。昼ご飯は大抵インスタントラーメンなのですが、何故か極上の高級ラーメンのように美味しく感じます。夜になると持って来たギターやドラムで島中に音楽が鳴り響き、夜ご飯を皆で食べながら世間の悩みなんて忘れて、ただただ笑う。皆お腹いっぱいになると、寝そべってファミリーと語り合い、星を見ながら波の音を聞き流す。そこでは皆がこう口ずさみます。「いいね〜一生こうしていたい」。そして皆テントに戻り、眠りにつく。朝起きてテントを出ると、目の前には綺麗な海が広がり、また無人島キャンプの新たな一日が始まる。

 このキャンプをまとめると、現代のネット社会、つまりソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS; ミクシィやツイッターなど)社会では考えられないほど生身の人間と極めて過酷な状況で関わりあう、そして、現代の建物が密集した街では考えられないほどの自然を見て、肌で感じる。考えてみると、それが人間であって、それが自然である。いうなれば、人間の原点に戻った普通のキャンプなのです。

無人島-1無人島-2


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