2013年7月号 No.479

発行 : 2013年7月20日
【 巻頭言:主任司祭 晴佐久 昌英 】


世界がガラリと変わる

主任司祭 晴佐久 昌英

 「うれしい! 天にも上る思い!」
 この試練の多い人生において、たとえ一度でもそんなひとことを口にできる人は、なんと幸いなことでしょうか。
 そんな幸いなひとことが、そう言った本人の言葉として実際に載っている小冊子があります。ほかならぬ、カトリック多摩教会2013年の受洗者記念文集です。このたび、多摩カトリックニューズ別冊としてお配りいたしましたので、ぜひお読みください。今春受洗した大勢の新しい教会家族の、それぞれの受洗の感想が載っています。いずれもまごころから溢れる真実の言葉で書かれた、喜びと感謝に満ちた内容で、読んでいて本当にうれしくなるし、感動するし、励まされます。
 冒頭のひとことは、その中のひとりの受洗者の感想で、喜びに舞いあがっている様子に思わず顔がほころびますが、これはたまたまアイウエオ順に並んだ文集の、最初の人の文章から引用したというだけで、他の人たちの感想も一様にそのような喜びと感動に満ちています。それまで苦しみを背負い、虚無感にとらわれていた人が福音に出会って救われ、時に劇的に生まれ変わっていく様子は、まさに驚異的と言っていいほどです。まあ、いいから読んでみてください。ここに、ほんの一部を抜粋してみます。

 「私の世界はガラリと変わりました。すべてを神様の御手に委ねて、軽くなって、こんなにあたたかくて、今本当に幸せです」
 「わたしは本当に変わりました。ミサに出る度に心身ともにどんどん楽になっていきました。『神は愛であり、私たちはその愛によって望まれて生まれ、その愛に救われます』ということを知った時、『これだ!』と思いました。これまで、『生まれたくなかった』と、自分の誕生や存在に嫌悪感を抱いていたけれど、ようやく自分の誕生を認めることができました」
 「今僕は、自分の将来が楽しみで仕方ありません。これからどんなお恵みを与えていただけるのでしょうか。本当に楽しみです。あのパン・・・今まで食べたどの食べ物よりも、おいしかったです。本当においしかったです」
 「『これ以上悲しい思いはしたくない。何とかしなきゃ!』と思い、『私、洗礼をうけます』と思い切って伝えました。その宣言から、少しづつ周囲の皆とも和解をし、ずっと暗闇の中にいた私に光が射し始めました」
 「導かれて多摩教会のミサにあずかりました。神様の言葉が直接私の魂に響き、その後も数日かけて愛と喜びが全身全霊に広がってきました。神様に愛されていることを初めて心と体と魂で感じました。今までの数十年は、洗礼に向けての準備期間で、すべては神さまのご計画だったと腑に落ちました」
 「ミサや入門講座で度々、『私たちはすでに許されている、だからもう大丈夫ですよ』とおっしゃっていました。私はその言葉にどれだけ救われたか・・・その言葉を聞いた時、『私、クリスチャンになる!』と決心がつきました。洗礼式を終えて、私は神の子となり今、自分にこう言い聞かせています。『もう大丈夫、私は許されている、だから生きていてもいいの・・・』と」

 これを神の業といわずしてなんというべきでしょうか。
 この文集を作ったのは、そんな神の業を教会家族で分かち合うため、そして多くの人にも伝えるためです。ぜひこれを活用してください。本人に「読んだよ」と声をかけ、親しくしてください。知り合いに「読んでよ」と渡して、福音を伝える道具にしてください。キリストの教会を知り、「世界がガラリと変わる」人が、身近に大勢いるはずです。
 受洗者の証言ほど、説得力のあるものはありません。文集の最後の人はこう書いています。
 「神様は、私が幸せになる機会を逃しても、私を一度も見捨てることなく何度も呼びかけて、導いて、招き入れて下さいました。私の罪を許し『あなたは私の目に貴い』と言ってくださいます。天の父は、御ひとり子イエス・キリストによって、全ての人を無条件の愛の内に招き入れて下さる事を、証しします」

【 連載コラム 】


連載コラム「スローガンの実現に向かって」第31回
「入門講座を垣間見て」

諏訪・永山・聖ヶ丘地区 青柳 敏一

 受付係を兼ねて入門講座に参加させてもらっていると、いろいろ思うことがあります。例えばその参加メンバーを見ると、純粋にカトリックをめざしている方よりも、なぜかプロテスタントの方の参加が時として目立つ場合があります。
 カトリックだ、プロテスタントだ、・・・と言っても、同じキリスト教で「父と子と聖霊の御名による」三位一体の神を信じている仲間同士なので、一同に会しても何ら違和感もなく、プロテスタントの方も自然に溶け込んでいるのが目に見えるようです。
 入門講座終了後の懇親会でもお互いの教会のことを話題に、皆さん結構楽しんでいる様子。当然のことですが、皆さんは晴佐久神父様のご講話を聴きにこられていますが、帰られる時は、感激され以後、固定客のように毎週見える方も多くいらっしゃいます。

 お話によると、所属の教会では日曜日の礼拝(カトリックのミサにあたります)と週1〜2回の勉強会の日以外は教会の扉は閉まったままとのこと。この点については、すべてではないと思いますが、休みなく聖堂を解放しているカトリック教会の歴史というのか伝統の大きさに改めて感謝。

 神父様が力強く 「十字を切る」ことに皆さん最初は躊躇されていましたが、何回か通われると「十字を切る」ことに違和感もなくなるようで堂々と自ら実践され、所属教会の礼拝の場でうっかり十字を切ってしまわないかと気にされるくらいです。「十字を切る」ということがこんなにも素晴らしいことかとあらためて実感させられました。
 もしもうっかり十字を切ってしまい、それを牧師さんが見たらどういうことになるのでしょうか。一度その場面に立ち会ってみたい気もしますが、これはちょっと余計でした。

 多摩教会の入門講座がこれほどまでに好評なのは、もちろん晴佐久神父様の存在あってのことですが、それを支える入門係の方の「おもてなし」には頭が下がります。初めて教会にお見えになる方や、まだ教会に不慣れな方にとっては、とても心強い味方になっています。おかげで皆さん安心されて講座に参加されています。まさしく、ここは心のオアシスそのものではないでしょうか。

 晴佐久神父様が常日頃お話になり、かつ実践されているエキュメニズム(教会一致運動)が多摩教会の入門講座で実現しているのは当然のことと実感しました。