2013年2月号 No.474

発行 : 2013年2月16日
【 巻頭言:主任司祭 晴佐久 昌英 】


ここで葬儀ミサをしてほしい

主任司祭 晴佐久 昌英

 この巻頭言は教会HPに載りますし、個人的な事情も含まれますので洗礼名だけで表記することにしますが、ミカエル君が亡くなりました。まだ若かったのですが、身寄りもなく、一人暮らしの突然死だったので、発見されたのは亡くなった二日後でした。
 つい最近多摩教会に転入したばかりでしたが、持ち前の人懐っこさと世話好きの性格であっという間に教会内の知り合いを増やし、様々な集いに顔を出して賑やかにおしゃべりをしていました。おやつの会で、色々とうんちくを語りながら、うれしそうにみんなにおいしいコーヒーを振舞っていた姿が忘れられません。信仰深く、自分の洗礼名にもしたように大天使ミカエルが大好きで、部屋には大きなミカエルのポスターが貼ってあったそうです。

 警察の検視が終わり、さてご葬儀等をどうするかということになるわけですが、いくら本人がカトリック信者であり、教会で是非葬儀ミサをして差し上げたいと思っても、ご遺族の意向がまず第一ですし、今回のように身寄りがないという場合は、行政の意向もからんできますから、勝手にするわけにはいきません。
 実はこれを書いている今日、その件で、彼に関わる市役所の担当者と電話でお話しできました。それによると、「来週の月曜日の午前9時に、役所の取り決めによって火葬することが決まったので、もしも何かお祈りをするのであれば、火葬前の10分程度ならできますよ」ということでした。
 それで、「教会は信仰の家族ですし、ぜひ聖堂で葬儀をして差し上げたい。前日の日曜日に、当教会で葬儀ミサをすることはできないか」と聞いてみました。すると、「それは費用がかかるので、できません」と言うのです。「いえ、もちろん、費用は教会が負担しますからご心配なく」と言うと、「お骨はどうするのですか」と聞く。「当日私が引き取って教会に安置し、しかるべき時にカトリック霊園の多摩教会共同墓地に埋葬します」と答えると、また「費用はどうするんですか」と言う。「もちろん、教会が負担しますからご心配なく。あの、申しあげている通り、私たち家族ですから」と答えると、何と返事は「上司と相談します」でした。
 数時間後に「ではよろしくお願いします」という回答をいただいてほっとした次第ですが、ともかく、このニューズが印刷されて発行される日曜日の午後、聖堂でミカエル君の葬儀ミサが行われることになりました。ここに転入する前に所属していた教会の神父と友人も来ることになりましたし、障害を持っていた彼を支援していたセンターの方たちも来てくださるそうで、少しは賑やかに送って差し上げることが出来そうです。きっと、一足先に天に召されたあのスーパーお人よしのミカエル君と、神さまのはからいによって出会えたわたしたちが、天の家族としてひとつに結ばれる、素晴らしいミサが実現することでしょう。

 役所の方と話していて思ったのは、やはり「信仰の家族」、「天の家族」というような教会の感覚は、なかなか世間ではピンと来ないだろうな、ということです。しかし、このバラバラで冷たい時代に、一番求められているのは、その感覚ではないでしょうか。その人がどういう人かということとは関係なしに、神さまが洗礼で結んでくれたんだからキリストの家族なんだという無条件なる絆こそは、個人主義や効率主義が極まり、すべてが「費用」に換算されるこの時代の、暖かい希望ではないでしょうか。
 もちろん、本人はもう天国ですから、どんな葬儀だろうと救いには無関係です。しかし、どんな葬儀をしているかを見れば、それがどのような「家族」であるかは一目瞭然です。
 ああ、ここで葬儀ミサをしてほしい、みんながそう思う教会は、良い教会です。

【 投稿記事1 】


ゆるしの秘跡について

イエスのカリタス修道女会多摩修道院 院長 シスター山口

 私たちの生活の中にはいろいろな決まりがあります。
 例えば道路を渡るには青信号で渡りましょうとか、電車に乗る為きちんと並びましょうとか・・でもこれはぜひとも守るように強要されているものではありません。でも大方の人はそういうルールを守っています。何故でしょうか? 守る事によって自分の身を守る事が出来ますし、周りの人に嫌な気持ちを起こさせないで済みます。
 教会にも掟なるものがあります。主日のミサに参加しましょうとか、各々の分に応じて教会の財政を助けるため維持費を納めましょうとか、少なくとも年に一度はゆるしの秘跡を受けましょうとか・・。
 ところでこのゆるしの秘跡ですが年々受ける人が少なくなってきているように感じます。
 もしかしたらゆるしの秘跡に偏見を抱いていないでしょうか?ゆるしの秘跡は罪人が受けるもの!?などと・・・。いいえ。もしそう思っていたらそれは間違いです。教会で聖人と呼ばれている方々はゆるしの秘跡をよく大事にしました。
 ゆるしの秘跡は復活なさったキリストご自身が、人々の救いの為にとお定めになり、罪を赦す権能を使徒とその後継者である司教及び司教の協力者である司祭にお授けになりました。

 私たちは洗礼を受けて心は清められ救いの恵みを受けました。でも考えてみて下さい。きれいなコートも着用しているうちにいつの間にか汚れてくるように、私たちの心も気付かないうちに少しずつくすんできます。洋服をクリーニングするように私たちの心もクリーニングが必要です。それがゆるしの秘跡・・・。
 毎日神様の愛にどのようにお応えしたか、神様から遠ざかっていなかったか、神様からの愛に気づいていたか、ちょっと心の静けさを保って神様と向き合いましょう。
 神様は透き通った鏡のよう。私たちは鏡を見て身だしなみを整えます。きれいな鏡ほど服の汚れとか顔のくすみとかを鮮明に映し出 します。すると私たちは見えているその部分をきれいにします。
 ゆるしの秘跡も似たようなもの。曇りない鏡である神様の前に映し出された自分の心のくすみを取り除いて頂くため、神様の代理者である司祭に心の状態を打ち明けご指導を願います。そうすることによって心が清められ、ますます神様の愛が心に反映され神様の愛に近づいていく者となるでしょう。
 ちなみにイエスのカリタス 修道女会のシスターは少なくとも月に一度ゆるしの秘跡にあずかっています。司祭にはゆるしの秘跡の中身について話してはいけないという守秘義務が厳しく課せられています。
 多摩カトリック教会では3月9日と3月10日に共同回心式とゆるしの秘跡があります。ぜひ率先してゆるしの秘跡にあずかり、くすみかけた心に輝きを取り戻しましょう。

【 投稿記事2 】


齋藤準之助さんのこと

北村 司郎

 この数年の間に多摩教会の創設の頃、活躍された方々が亡くなられ、淋しいかぎりである。
 鈴木眞一さん、遠藤和輔さん、森崎哲夫さんしかりである。
 先日、創立当初、最初の家庭ミサから多摩教会におられた齋藤準之助さんが亡くなられた。

 最初の家庭ミサのあと、当時の白柳大司教様と、諏訪2丁目の建物をバックに記念写真を撮ったが、その写真は献堂記念誌の中にも掲載されている。その中に彼の家族をいるが、彼はいない。なぜなら彼が撮影したからである。
 彼はこのように、記念写真のみならず、教会の歩みを写真として残してくれた。現在の信徒館1階、2階に飾ってある記念写真はほとんど彼の作品である。大部分はかおり保育園でのものである。多分最初の写真のように彼の姿はその写真の中にはほとんどない。それが、写真家として彼のポリシーだったのかもしれない。
 しかし、葬儀の日、聖堂の後ろに数枚の写真が飾ってあったが、その中に寺西神父様と数名でかおり保育園の園庭で撮った写真があったが、その中には若いころの彼が写っていた。それは多摩教会の仲間たちを大切に思っていた証拠のような気がしている。

 彼はあまり過去のことは語りたがらなかったが、サレジオ会での修道者を数年間目指していたことを、葬儀の日コンプリ神父が語っていた。そのためか、20数年前になるが奥様の葬儀も調布のサレジオの神学院で行った。もちろん当時の多摩教会はマンションで冠婚葬祭は出来るような状態ではなかった。
 その葬儀の2,3日前、悪いけど弔辞を読んでくれない?と依頼された。私にとって後にも先にも弔辞を読んだのは、これが最初で最後である。今から考えると貴重な経験をさせていだいた、と思っている。その時飾られていた写真に、奥様が教皇様からご聖体をいただいている写真があった。お二人でバチカンに行かれ、彼の快心の1枚だったのであろう。

 彼は幼稚園や学校と契約して写真の撮影、販売行っていたためか、学校行事のシーズンは行事が重なり相当多忙だったようである。行事が重なったりした場合、撮影者を確保するため、ずいぶん苦労されていたようである。私もカメラマンを紹介するよう依頼されたことが数回あった。
 そんなこともあり、先生方との交流も深く、市内の学校の状況などには詳しかったようである。そのためか、多摩市の青少年委員としての活動も彼の活動のひとつであった。青少年委員とは市長が10数人を委嘱し、全市的な見地から、社会教育的に子どもたちを育てていくための施策を行う、委員たちである。
 私も彼の紹介で何年か、この委員をさせていただいたが、後から伺ったことだが、信徒の方に青少年委員として入っていて欲しかったから、といっていた。特別に教会と関係するわけではないが、そんなことにも気を使っていたのである。
 ちなみに私のあと、落合地区でサッカーを子どもたちに教えていた、柴田氏が受け継いでくれた。

 葬儀の日、当時、一緒に青少年委員をやった現在、奈良在住の谷田氏からの心温まる弔電が読まれていたが、彼の人柄が偲ばれ、懐かしかった。
 概して、教会の外での活躍が多かった準之助さんだが、教会の外でもそのいくつかに私は立ち会わせて頂いたことに感謝している。
 大きな行事にはカメラと三脚を担いで現れる彼の姿をみるとなぜか、ほっとしたのは私だけではないのではないだろうか。