【 2003年5月号〜2009年3月号 】
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2009年
| 3月号 | 主イエスと出会い、再び会うために〔二〕 |
| 2月号 | 神殿の境内で |
| 1月号 | 主イエスと出会い、再び出会うために |
2008年
2007年
| 12月号 | 神事の介入 |
| 11月号 | 星野 正道 神父:死者の月によせて |
| 10月号 | 「振り返り」 |
| 9月号 | 星野 正道 神父:新たな難民 |
| 8月号 | 平和を実現(しようと)する人々は幸い |
| 7月号 | 「祭」 |
| 6月号 | 生きようとする意志 |
| 5月号 | 星野 正道 神父:しあわせとは? |
| 4月号 | 復活節だからこそ |
| 3月号 | 「回心」から「快心」へ |
| 2月号 | 星野 正道 神父:ごらん空の鳥、野の白百合を |
| それぞれの召命 | |
| 1月号 | 見果てぬ夢の彼方へと |
2006年
| 12月号 | 神様の自己紹介 |
| 11月号 | 星野 正道 神父:終末の時 |
| 10月号 | 「感謝」が「孤独」を打ち砕く |
| 町田教会主任司祭 高木 賢一 神父:ロザリオの月に寄せて | |
| 9月号 | 星野 正道 神父:聖変化 |
| 8月号 | 察する文化のなかにあって |
| 7月号 | インスタント |
| 6月号 | 星野 正道 神父:アイデンティティーを生かす |
| 5月号 | 良心 |
| 4月号 | 永遠性への憧憬 |
| 3月号 | 星野 正道 神父:洗礼のめぐみ |
| 2月号 | 「願う=行う」 |
| 1月号 | 「夢」 |
2005年
| 12月号 | 光と闇のはざまで |
| 11月号 | ゆっくり、じっくり、根気よく |
| 10月号 | 「ロザリオ」について思うこと |
| 9月号 | 「時間」、この不思議な観念 |
| 8月号 | 「共感能力」 |
| 7月号 | 「ナンクルナイサ」 |
| 6月号 | 「慣れる」こと、「親しくなる」こと |
| 5月号 | 揺らぐ司祭像 |
| 4月号 | 教皇ヨハネ・パウロ二世追悼 |
| 3月号 | 「善い人だから」ですか? |
| 2月号 | 「小教区」というもの |
| 1月号 | 「仁」 |
2004年
| 12月号 | 「酒が不味くなる」はなし |
| 11月号 | 移動時間 |
| 10月号 | あるとき教会は・・・ |
| 9月号 | 「仕方無い」、それは新たな出発点 |
| 8月号 | すべての前提は神さまだった |
| 7月号 | 「善さ」の発見と神の国 |
| 6月号 | ケルン訪問を終えて |
| 5月号 | 目立たない花 |
| 4月号 | 季節のなかで |
| 岡田大司教様 受難ミサでのお話 | |
| 3月号 | 新司祭誕生のお祝い |
| 2月号 | 信徒総会を終えて |
| 1月号 | わたしは罪人です |
2003年
| 12月号 | クリスマスにまつわる懸念 |
| 11月号 | 感謝の祭儀(エウカリステイア) |
| 10月号 | 神無月 |
| 9月号 | シニアの日に寄せて |
| 8月号 | 人はパンだけで生きるものではなく |
| 7月号 | 地域協力体から宣教協力体へ |
| 6月号 | 「あなたがたは世の光である」というみことばを巡って |
| 5月号 | よろしくお願いします!気持ちは前向きです! |
