最新号

2018年10月号 No.542

発行 : 2018年10月20日
【 巻頭言:主任司祭 豊島 治 】

歩いてみます

主任司祭 豊島 治

 10月のカレンダーが現れると、クリスマスや年末を思い起こします。実際、教会売店にもカレンダーや手帳が未来の持ち主を待つかのように店頭に並んでいます。教会学校の聖劇も練習が始まりました。クリスマスの場面を主に演じ、救い主が訪れるという喜びを伝えることが多いこの劇は、いつから始まったのか定かではありません。実際に演じてみたり、演じている人に共鳴することによって、メッセージを体感することになるといわれています。
 「むかし、せかいはまっくらで なにもみえませんでした」
 これが当時4歳だった私の、聖劇デビューの台詞でした。黒いタイツを身につけ、神さまの創造前の風景と、救い主が生まれたベトレヘムの町が小さいことと、寂しさを衣装で表したのです。明治時代の日本、とくに関東地方の宣教に身を捧げたフロジャック神父様は、「ベトレヘムという暗く小さなまちに救い主が生まれ、光輝いた。この暗さがあったからこそ、光がうまれたという喜びがある」と力説しました。光をより際立たせる暗さという存在を意識させました。一方、現代の都会では、逆に光が煌々と輝いています。眩しすぎて、ちゃんと見ることを邪魔するくらい光量が多い場所もあります。照明だけでなく、宣伝用看板、宣伝用の動画。夜にもかかわらず明るいのは、ここに住む人が元気で活発だということを表しているかのようです。

 11月11日に、多摩教会が属する多摩東宣教協力体(多摩・調布・府中教会で構成)は、秋の協力企画として東京教区福祉委員会の企画を誘致し勉強会をひらくことになりました。今回の表題は、「夜回り神父さん、トウキョーの街みて語る」。オリンピックのメインスタジアムができる周辺の原宿・渋谷は夜の時間であっても街は明るく、その対局にはいのちのすばらしさを輝かすことが叶わない人がいる。講話者の下川神父様がその現場での人とのかかわりから得たことを分かち合い、私たちの街を考えるものです。
 私も学生時代から夜の町をグループで歩き回って必要な助けを行うことをしていましたが、ある場所では役所の人からその夜回りの最中、罵声や脅しを受けたことがありました。深い事情はわかりませんが、褒めてもらいたいとは考えていないものの、脅されるということは想定外でした。そこから、世には「何かが違う&大切な事柄が見落とされる勢いや圧力を感じる」という疑問がでてきたのです。必死に生きている人は、他の場所にもたくさんおられます。今回はオリンピック・パラリンピックを成功させようとそれだけに突進しようとしている風潮に対して、排除される人のことを意識し、広い視野、神さまの目線に近づけて、私たちがさらに人にやさしくなれればと思います。
 私個人は、オリンピック、パラリンピックに賛成でも反対でもありません。パラリンピックについては、この機会に東京の町にある無数の段差がなくなるよう整備されればと願います。例えば、歩行者はまたいで通過できる小さな段差であっても、車いすで移動している人には体に多大な衝撃が伝わり、痛みや苦痛をもたらすものになります。原宿周辺は路面がタイル貼りになっているところがあり、走行する人の気持ちを考えると、改善されてほしいと思います。
 結果だけでなく、アスリートの輝きだけでなく、出来事によって神さまの目線で「よい」ことがおこるよう期待したい。その心と行動と表現する言葉の準備として、東京ならではのこの企画のために府中教会まで足を運んでくだされば幸いです。府中教会には駐車場はありません。駅から歩くことをお薦めします。

20181111YomawariFr-s(画像はクリックで拡大します)

【 連載コラム 】


人生の旅をいっしょに
= ウエルカムのサインをあなたからあなたに =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第92回
ジャネットのオアシス

南大沢・堀之内地区 セツコ

 親という字は木の上に立って見ていると書く。まことに深い哲学をもつ一字である。
 喜寿を迎えた今でさえ、息子や娘を前にするといつの間にか木から見事に滑り降りて親風をふかしている自分を見出すのが常なのだから。
 54年ぶりにシカゴでジャネットに再会した。当時妊娠後期だった彼女は、にも拘らず学生だった私を数カ月ホームステイさせてくれたのである。
 「これから忙しくなることはわかっているから、一年に一度、たとえばクリスマス頃にカードを送ってくれると嬉しい。そしたら地球のどこかで元気でいることがわかって安心するから。」
 別れ際に、そんな慎ましやかな願いを口にしていた彼女の夫のボッブは一昨年亡くなった。あれだけ沢山のことをしてくれたのに、文字どおり青春の模索の中でそうしたカード一枚書く気持ちのゆとりすら見いだせなかった私は、結局そのままに……。若さとはそのように恩知らずなものなのだ。
 フェイスブックで近年彼らの行方を探し当てて半世紀ぶりに再び繋がった。すぐに出かけていれば会うこともできたのに……。ただ彼の一言だけは覚えている。どうやってそれまでの恩に感謝したらいいのか聞いた時、「僕たちではなく、君を必要としているこれから出会う人たちに返せばいい。」

 当時妊娠中だった子を含め、ジャネットは10人の子の母、孫を含めると総勢45名の一族の中心となっていた! 「なんて忙しい人生だったの?!と言うと、「子供が子供の面倒をみあって遊んでいたから簡単なものよ。子育てはホント楽しかったわ」とほほ笑んだ。
 国際結婚をした子供たちや、さまざまな問題を抱えた親族、孫たちの結婚式など、あちこちから声がかかって、81歳の彼女は今、世界を飛び回っている。静かで、それでいて率直で、でも相手を縛らない彼女を子供たちが歓迎するわけだ。不可能と思える約束も平気でする。シカゴに立ち寄った私にぜひ会いたい、最後の一日だけは泊りに来てと言いながら、私の到着のわずか10分前にクリーブランドから自宅に滑り込んで私を迎えるといった具合だ。
 驚いたのは、部屋がきれいに整えられ、私たちを待っていたことだ。留守の間に、孫とそのガールフレンドがやってきて掃除を担当したとのこと。10人の子供たちの成長に合わせて増築を重ねていった彼女の家は、さながら迷路のようだが、二つのバスルームは際立ってしっかり造られていた。優れた建築士が子供たちの中から輩出したからだ。
 30分もすると、近隣のあちこちの州に住んでいる息子夫婦や娘夫婦とその子供たちが次々到着し、リビングルームが再会の喜びに包まれた。心づくしの食事もすっかり用意されていたのは勿論である。ウイスコンシンからはるばるやってきた娘の一人とそのパートナーが、心を込めて私たちのために料理していたのだ。全て、「54年前の友人のセツコが来る。当日まで私は不在だから、手が空いてる人は手伝って」という彼女から子供たちへの一斉メールだけの力だ。
 幾組もの幸せな家族に混じって、痛ましい離婚を迎えた息子とその子供たちもいるし、社会でやっと認知されたLGBTのカップルもいる。敬虔な彼女に息を詰まらせて、娘の一人は17歳で家を飛び出している。やっと和解ができたのは、ボッブの死がきっかけだった。
 10人の子供を持つ母の心は、多様な現代世界の縮図さながらである。これまでどのようなドラマを抱えながら……どれ程傷つき、苦渋と喜びを織り交ぜて味わいながら、それでも希望をもってボッブと共に祈り、家族の歴史を築きあげてきたことだろう。

 皆が近くの公園に散歩に出かけた後、ジャネットは私を広い裏庭に招いた。子供たちの遊具がたくさん並んだその奥に、どっしりとしたブランコが置かれていた。
 「これだけは私のものなの。一緒に座ってみて。」
 不思議な体験だった。ゆっくりとした揺れに身をゆだねていると、家を取り巻く世界の喧騒も、そして、これまで彼女の子供たちが小さい頃から散々遊んできた種々の遊具も、一瞬シールドされ、徐々に別の世界に戻っていくかのようであった。
 この何気ない日常からの距離が、ジャネットをささえる貴重なオアシスだったのだ。
 中学時代から今に至るまで、日々のミサ出席を欠かしたことのない彼女が、日々の生活にみ言葉を重ね、再び力を取り戻すための「人里離れた場所」――総勢45人の子供と孫たちを木の上に立って見るためのささやかな高みなのである。

【 お知らせ 】


「初金家族の会」からのお知らせ

 すっきりした秋晴れとならないうちに、10月の初金の日を迎えました。豊島神父さまはミサの説教で、「近々の嵐により、多摩教会も被害を受けました。気象変動の結果、今後もこのような災害が、各地で発生することが予想されます。神様が私たちを拒んでいるのとかと考えてしまいますが、逆に、私たちが神を拒んでいないか反省する必要があります。悪魔は神と私たちを引き離そうと働きます。教皇様がロザリオの祈りを唱えることを呼びかけています。神から引き離そうとする悪魔からの保護を、聖母と、大天使聖ミカエルに祈りましょう。偶然ですが、10月にミカエル鶴巻神父が多摩教会に来訪、講話の予定です。
 神様の目線に合わせ、災害に遭わずに幸せだと考えるのではなく、人の力の及ばない困難な時、被災者、声をあげられない弱い立場の人に何ができるか考えるのが、神様を拒まずに繋がっていくことになるのです」と話され、共同祈願として、「困難な時、正しい方向に導いてください」との思いを込め、福者ペトロ岐部の取り次ぎを願う祈りとなりました。

 初金家族の会では、井上信一さんより、教皇フランシスコの言葉として、カテキズムを改訂し、「死刑は容認できない」との立場を明確にしたことを、カトリック新聞の記事など10ぺージの資料で説明がありました。そのあと、参加者からの質疑応答討論で、「教皇様の言葉に共感できるが、日本では80%の人が死刑制度の存続を容認している。これは、『凶悪犯罪の防止』『被害者感情の癒やし』『死をもって罪を償う』『因果応報』などの意識によると推察される」と、また、今回オウム真理教関連者13名の死刑執行について、人命とその尊厳に関連し、批判がありました。
 この逆の事例として、1970年のよど号ハイジャック事件が思い出されます。人の命は地球より重いとする人命原理主義ともいえる声もあってか、超法規的処置、高額な身代金での収拾となり、人命を危険にさらす強行処置を採用している欧米より、テロの拡散幇助との批判がありました。「地球より重い命」、ことわざ「罪を憎んで人を憎まず」(論語由来)などの言葉が生きていれば、教皇様の言葉は深く重い言葉として、日本に浸透するのではないでしょうか。
 今回の話し合いで、極刑に関するカテキズム2267について理解を分かち合い、深めることができました。

 初金家族の会、次回11月は、2日の金曜日、ミサの後、午前11時頃から1時間ほど信徒会館で行われます。中島誠さんに、「中東の実地ビジネスで経験した多様性-情報ギャップ、行動ギャップ、文化、社会の違いによる感性、問題意識のギャップ」について話していただきます。多様性を具体的に理解する参考なればと企画しました。皆様に参加していただき、皆で話し合い、分かち合うことを期待しています。多数の皆様の参加をお願いします。
 「初金家族の会」は、初金ミサの後、貴重な体験を披露し、分かち合い、信仰を語り合う、信仰家族の絆を深め合う楽しい会です。皆様どうぞお気軽にお立ち寄りください。