2019年10月号 No.554

発行 : 2019年10月26日
【 巻頭言:主任司祭 豊島 治 】

考えます

主任司祭 豊島 治

 気象災害といわれる被災地が多く、お見舞い申し上げます。
 今なお困難を極める現実に途方に暮れている方々が多くおられます。台風15号、19号、そして21号の影響を受けた降雨による被害は、東日本大震災のダメージから少しずつでも復興しようとして、積み上げた鉄道軌道の復旧をはじめとするインフラや、ためてきたものを奪っています。被害の範囲が広く、報道各局も、どの拠点から報道すべきか迷っているようです。しかし、水害というのは地震とは異なり、外観からははっきり見えない、それ故共感共有がしにくいという心理も働きます。
 カリタスジャパンは既存の東北にある四つのボランティアベースが対応し、初動は断水地域に水の運搬から始めています。千葉県内被災地については現地の社会福祉協議会との連携を模索中ですが、天候が落ち着かず苦慮しています。大田区の多摩川支流氾濫対応で、田園調布教会の信徒が有志として炊き出しをしています。

 台風によって多摩教会も新たに地下駐車場が浸水しました。専門用語では内水氾濫によるもの、といいます。内水氾濫とは、大雨・豪雨の雨量が下水道、側溝、排水路の雨水処理容量を上回り、土地・建物や道路、地下道などが水浸しになる現象です。
 今回の地下駐車場での出来事は深いところで10センチというものですが、排水処理能力を超える降雨でしたので溢れたのです。浸水時は真水かと思い、営繕のかたを中心に掻き出しをしましたが、掻き出しだけでは混合物はとれませんでした。除去については今後も対応を継続していきます。
 注意喚起をしますが、10月の末のこの時期に千葉県の上空で積乱雲が発生して大雨が降るという現象が近年ないことですから、こればっかりは、「たいしたことない、今までそんなのなかったから」と人生の経験知を信じている現代ではありません。
 川の様子を見に行くことも言語道断です。まずは、いのちを大切に。川の様子はインターネットで確認できます。今後、教会周辺の危険を感じたときは、10月12日にしたように、教会に来ることに対して、皆さんにストップをかけることもあることを了承ください。

 教皇さまも2015年発行の回勅「ラウダート・シ」のなかで既に言われているように、地球が必要以上に「温まっている」ことを指摘して、気候は人類共通の財産であると明言しています(23-26項)。そのためには、私たちが地球という存在をケアしていくとあります。教皇さま原語では英語でいうcareと明記されていますが、日本語訳は「大切に」としています。翻訳を担当した神父さまは「配慮」「気遣い」「心に掛ける」「世話をする」というcareをどのように訳するかと悩んだそうです。同じようでいて求められる行動は異なるものだからです。私たち人間が気候のために何ができるのかをcareという原語に即して行動する時期がきています。

 11月に入りますと、教皇さまの来日のムードが本格化します。東京ドームでのミサに応募された方については、11月15日までに入場券が届くそうです。一方、届かなれれば落選となるという情報です。
 多摩教会では教皇ミサの模様を映像で見るための準備をしています。発信元の教皇ミサ実行委員会の情報を待って、詳細をお知らせします。台風の影響で、できなかった福音宣教特別月間の司教団が要求した内容の掲示も数週間継続します。いずれも詳細はホームページでの広報をお待ちください。

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台風の影響当時と平常の多摩川-京王線陸橋-

201910news-3巡礼者のために聖コルベ神父の紹介を作成

【 連載コラム 】


= 弱音・不安は神様に預けて、受け入れあう笑顔をもらいに行こう =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第103回
「シニアの集いに参加して」

鶴牧・落合地区 北村 司郎

 多摩教会の今年のシニアの集いは、9月28日(土)、29日(日)主日のミサと、そのあとのセレモニーと日曜日の食事会という形で行われた。今年もこの集いに参加させていただき、感謝申し上げるとともに、当日感じたことを記させていただく。

 多摩教会のシニアの会は数年前75歳以上と決めて、今年は終戦の年の4月1日誕生日の方まで、名簿の上では191名の方々にのぼる。少子高齢化の日本の社会にあって、教会もその例に漏れない事例だと思う。そこで、私たちシニアは社会的にももちろんだが、教会という集団の中で何をしていけばよいのだろうか。もうトシだからと言って、教会の活動を避ける傾向は私自身の中にもある。
 しかし、多摩教会の規約は聖堂共同体という言葉が使われている。教会は共同体、すなわち、コミュニティなのである。以前、幼児洗礼が行われると、当時の主任司祭からは、子供を育てていくのは、両親と代親だけでなく教会全体が責任を負わないといけない、という言葉をよく聞いた。すなわち、それがコミュニティとしての教会の在り方なのだと思う。それであれば、我々シニアにも何らかの出番があると思う。顔と顔が向き合った集団、お互いの人間性がぶっつかりあった集団、だから難しい集団ともいえる。でもだからこそ、子供から我々シニアまで何らかの役割を与えられた集団といえる。

 ミサの終わりに、神父様がホイベルス神父様の「最上のわざ」をお祈りした。私は何年か前、ホイベルス神父様の「年をとるすべ」の中で、この祈りに出会った。その時に比べ、今回、非常に新鮮に感じたのは私自身がトシを取ったからかもしれない。

神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。 それは祈りだ。
手は何もできない。 けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人の上に、神の恵みを求めるために。

 手足が萎えて何もできないと感じたとしても、私たちには希望がある。キリスト者としての希望である。それがまさに「最上のわざ」なのだ。実行委員長が、「この祈りは素晴らしい。座右の銘にしたい」と最後のあいさつの中で話されていたが、多くの方々が同感だったのではないかと思う。

 食事会の最後に小俣さんの伴奏で「里の秋」を歌った。

しずかなしずかな里の秋
おせどに木の実の落ちる夜は
ああかあさんとただ二人
栗の実にてますいろりばた

あかるいあかるい星の空
なきなきよがもの渡る夜は
ああとうさんのあのえがお
栗の実たべてはおもいだす

さよならさよなら椰子の島
お舟にゆられてかえられる
ああとうさんよご無事でと
今夜もかあさんと祈ります

 この童謡、終戦の年の12月24日NHKで放送され、反響を呼んだそうだ。この歌は里に住む、二人が秋の静かさ、寂しさ、わびしさを歌ったと思っていたが、3番をみるとその解釈は間違いであることに気づく。寂しさ、わびしさはとうさんがいないからである。とうさんは南方の戦地に行っていて、やがて船に乗って帰ってくる。
 私たちが戦後のこの社会を築いてきたわけであるが、もし、唯一誇れるとしたら、この75年間、このような家族を、とうさんや若者を戦地に送るような社会を作らなかったことだと考える。しかし、最近の日本の状況をみると、戦前の社会に非常に似ているという。戦地に送ることも可能な状況になっているという。
 私たちがこの社会に対してもできることは、まだまだあると思う。

 この集まりを準備して下さった、教会の皆さんに感謝します。おいしい食事を当日提供して下さった地区の皆さんどうもありがとうございました。
 これからも身勝手なシニアをよろしくお願いいたします。

【 お知らせ 】


「初金家族の会」からのお知らせ

島田 潤一

 10月4日の初金ミサ、この日の聖人はアシジの聖フランシスコでした。説教の中で豊島神父様は、まず、10月がロザリオの月であるので、忙しい生活のなかで自分を見失っている人々に、祈ることにより、聖母のとりつぎを願い、ロザリオの神秘に与る機会を持ってほしいと勧められました。そして、聖フランシスコが生涯をかけて求めたものについて語られました。富豪の家に生まれ、名誉を求め、十字軍に参戦したが、病にかかり、脱落して帰国。だが、心はむなしく、自分の居場所を求めて、修道生活に入ったこと。ひたすら清貧を求め、何も持たず、裸のままでいられることを有り難く思う境地を求めたこと。
 また、次のように続けられました。「この聖人と同じ名前の教皇フランシスコは、我々が住むことを運命づけられている地球を傷つけ続けていることに警告を発しておられる。人間はどんなに追い込まれても、祈ることができる。その祈りにより、複雑な生活のなかでのシンプルさを求めることができる。『すべてのいのちを守るため』というテーマを持って来日される教皇のことを頭に入れて、前に進んで行こう。」
 ミサ後、信徒館で今後話し合うテーマについて率直な意見の交換を行いました。今後も、より多くの方々の参加をお待ちしております。