2019年9月号 No.553

発行 : 2019年9月21日
【 巻頭言:主任司祭 豊島 治 】


かわります

主任司祭 豊島 治

 皆様もご存じかと思いますが、毎年10月の最後から2番目の主日は『世界宣教の日』と定められています。これに関連して教皇フランシスコは、今年の10月を「福音宣教のための特別月間」とすることを意図されました。これは前号の「多摩カトリックニューズ」巻頭言でもお知らせしていますが、その背景はとても歴史があります。

 ちょうど100年前、第一次世界大戦直後の1919年に、当時の教皇ベネディクト15世は福音宣教に関する使徒的書簡『マキシムム・イルド』(Maximum illud,1919)を発布して、教会があらゆる利害関係を拒み、「聖なる生活と善行を通して、主イエスがより広く知られ、イエスの愛が広まることこそが、宣教活動の目的」であることを思い起こさせました。このことを記念して、教皇フランシスコが「福音宣教のための特別月間」を制定されたのは、「諸国民への宣教」に対する新たな熱意と推進力を、現代の教会に加えるためになるとしています。

《教皇様の想い》
 今年の11月23日から26日に、教皇の訪日という恵みの時を迎えます。私たちは、この歴史的な出来事を神様の恵みの追い風として、福音宣教の熱意を新たにできます。
 そのために教皇フランシスコが公布した使徒的勧告『福音の喜び』は、現代の教会がとりくむべき、新しい福音宣教の重要な指針となるものです。この中の序文において教皇様が、「新しい福音宣教は、すべての人によびかけられており、それは基本的に三つの領域で実行されるべきである」と述べていることがポイントです。
 【第一の領域】として、「定期的に共同体に参加し、主の日に集まって、み言葉と永遠のいのちのパンで養われる信者」また「頻繁に礼拝には参加しなくても、強くて誠実なカトリック信仰を保ち、さまざまな形でそれを表す信者」としています。
 【第二の領域】は、「洗礼を受けながらも洗礼の要求することを実行していない」人々の領域を指し、文書では「教会への心からの帰属感をもっていない人々」としています。
 最後の【第三の領域】は、「イエスキリストを知らない人々、または、拒み続ける人々」としています。
 この内容を挙げて、「【第三の領域】の人々への福音宣教に励むために、【第一の領域】にある人々が福音宣教の熱心な担い手となり、【第二の領域】の人々、いわば、教会から離れている人々が『信仰と喜びの福音にかかわりたいという願いを取り戻すよう』努めることも大切」と説きます。

《日本の司教団の呼びかけ》
 2019年10月を特別月間に定める決定をされたのは、2017年という2年前のことです。教皇様の熱意をうけて日本の司教様全員は、「ともに喜びをもって福音を伝える教会へ」という呼びかけを今年3月に発布しています。5項目で構成されています。
 ① 福音宣教をする教会の魂 → 聖霊に祈るという教皇様の薦めに従い、特別月間の祈りができています。それを個人・家庭・職場・聖堂・修道会員ともにささげること。
 ② イエスとの出会い、ともに出向く → ミサにおけるイエスとの出会いを大切にし、さらに愛を広げるためにさまざまな現実に出向くこと。
 ③ 殉教者や聖人にならう → このなかで、日本の殉教者である26聖人殉教者をはじめ、聖トマス西と15殉教者、日本福者205殉教者、福者ペトロ岐部と187殉教者、また、世界大戦前後の困難の中で宣教のために力を尽くしたコルベ神父、チマッティ神父、北原怜子さんのことを励みととらえること。
 ④ 「諸国民の宣教」に関する研究や養成 → 日本の中では1970年代に福音宣教担当司祭を任命し(東京教区司祭)福音宣教に力を入れてきています。移る時代に、どのように福音宣教はつながっているのか、立場&状況&時のながれを意識して、「昔にもどる」のでなく「今を生きる」という視点を求めている流れにのること。
 ⑤ 宣教活動に従事するキリスト者の支援や国内外の災害復興支援 →宣教活動を支援する通年の取り組みとして、「世界宣教の日」「宣教地召命促進の日」「世界こども助け合いの日」の共同祈願&ミサ献金での支えについて意識をのせること。
 災害復興支援は千葉の出来事があったように、私たちの災害をあきらめの視点でなく、復活信仰に基づいた識別ある視点を享受すること。

《多摩教会の取り組み》
 教皇様、日本の司教様方の想いを東京教区長は文書にしています。このことを受けて、コルベ神父を保護聖人としている多摩教会は巡礼指定教会となりました。このことから以下のことを考えています。はっきりしましたらHPでのお知らせいたします。
 10月 6日 : 11時ぐらいから 短い講話とロザリオ一環
 10月 8日 : 11時15分ぐらいから 短い講話とロザリオ一環
 10月20日 : (構内でバザーのため時間未定→ホームページでお知らせ) 短い講話と祈り
 10月27日 : (時間未定) コルベ神父についての講話と祈り
 10月はロザリオ月でもあります。そして短い講話では、日本の司教団の呼びかけ④に基づいて司教文書や教皇文書を短めに紹介して考えてもらう機会となります。ご参加ください。 

pope-francis

【 連載コラム 】


= 弱音・不安は神様に預けて、受け入れあう笑顔をもらいに行こう =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第102回
「S君の孤独死のこと」

関戸・一ノ宮・府中・日野・野猿地区 井上 信一

 S君は小生にとって、大学の新入生として昭和28年に出会って以来の親友でした。彼はフランス語、アラビア語など六つの言葉をマスターし、NHKの国際部で思う存分活躍し、中東問題の専門家として、ニュースの解説にも時折り顔を見せていました。退職後も同時通訳、翻訳家として充実した生活を続けていました。
 そんな彼が、一昨年の復活祭に川崎のカトリック鷺沼教会で洗礼を受けました。古くからの信者であった奥様が、一昨年に重い病に罹ったこと、そして彼自身が心臓の疾患で苦しむようになったことが契機だったようでした。その奥様が昨年6月に亡くなり、鷺沼教会の葬儀に仲間と参列しました。子供もいなかったので、喪主席で一人ぽっちで座っているのが、淋しそうでした。

 猛暑が続いていた先月の26日の夜、S君と偶々、同じマンションに住んでいる家内の友人から電話があり、彼が孤独死したことを知らされました。8月4日頃から新聞がポストにたまっているのに隣人が気づき、警察に連絡したが、警察も単独では中に入れないとのこと。彼が契約していた弁護士とやっと連絡が取れ、8月20日部屋に入り、死亡が確認されたそうです。社会人として立派に生き、何事にも几帳面だったS君が、こんな形で生涯を終えたことに、言いようのない淋しさと悔しさ、そして驚きを禁じ得ません。
 遺体はすでに警察と弁護士との計らいで、荼毘に付されていたので、追悼ミサが8月31日に鷺沼教会で執り行われました。主任司祭の松尾神父様はそのミサの説教で、あの暑さの中で、何故Sさんに電話一本掛けること、はがき一枚を書くことを考えなかったかと悔やんでいることを、切々と話されました。それはまた参列している人々の胸にも響く、呼び掛けとも聞えました。

 孤独死のケースは私たちの教会でも、すでに幾つか経験しています。これからますます一人暮らしが増えて行く中で、どう対応して行けば良いのか。これという特効薬はないでしょう。教会全体で、そして地区単位で取り組むことが必要でしょうが、何よりも自分で、身近な人々とのコミュニケーションを保つことが大切でしょう。高齢者としてお互いに連絡のネットワークを作っていくという自助努力が欠かせないと思います。
 今年のシニアの集いために、総務の仕事を少し手伝わせてもらっていますが、集いに参加できない人のお名前を確認しながら、考えさせられました。未だ頭脳も明晰、声もしっかりしているのに、健康の問題で参加できない方々の顔が浮かんできます。
 シニアの集いで楽しい一時を過ごすのも嬉しいけれど、このような境遇にある方々のために祈ることが、先ずは大切なことではないでしょうか。その祈りを皆で共有できれば、それなりの力になるのではと思っています。

【 お知らせ 】


「初金家族の会」からのお知らせ

島田 潤一

 台風の前の暑い晴れ間となった初金の日の神父さまの説教です。キリスト教の歴史に関する話の後、福音にある新しい革袋に新しいぶどう酒の話がありました。
 「新しいとは、そのときの真理を示すものです。今重要なのは、被造物に対する考えを改め、神様により与えられた被造物を大切にすることです。これは台風、地震など自然災害と関連する人災の軽減につながる事です」
 また、教皇による被造物を大切にする祈りのキーワードの解説がありました。

 初金家族の会は、ミサの後、信徒館で開催。初金家族の会の今後の進め方について話合った結果、今後は「少人数グループに分かれ、静かな環境で、話し合い、分かち合う」ことを中心に運営し、従来の卓話を全員で聴く方式は、卓話の提供者が出た時に柔軟に実施することとなりました。
 今の教会で、「静かな場所で、ゆっくり話す環境がほしい」「少人数グループにしないと、各個人レベルで発言機会が少なくなり、十分な話し合いができない」など、指摘要望があり、実施方法の変更となりました。