2019年8月号 No.552

発行 : 2019年8月24日
【 巻頭言:主任司祭 豊島 治 】


意識もちます

主任司祭 豊島 治

 記録的な猛暑と災害に見まわれた令和最初の夏が終わろうとしています。平日も扉を開け祈りの場となっている多摩教会聖堂ですが、この夏は一時室内温度40度を記録しました。祈りに来られた方の安全のために、風通しをよくする施工を計画することになるほどの状況でした。予報では、これから秋雨前線が活動し始めるとのことですので過ごしやすくなるのでしょう。令和元年も、あと4カ月を残すのみとなりました。2カ月後には待降節、季節は冬です。時の流れに溺れないで、しっかり時の徴(しるし)を感じていきましょう。

 今年9月1日から10月4日(アシジのフランシスコの記念日)において、教皇フランシスコが教皇庁に新しく設けた部署、「人間開発のための部署」(Dicastery for Promoting Integral Human Development)は、「被造物の季節」への参加を呼びかけています。神さまがお造りになられた被造物が共存している家(common home)を想い、祈りましょうという呼びかけととれます。内容の検討&実践については、これから教会の委員会に委ねますので、次号のニューズでの報告となります。

 教皇フランシスコは、「共存している家」という表現で、私たちの生きている地球規模の視点を提唱しています。2015年5月回勅「Laudato si (あなたを称えます)」は、地球温暖化や環境問題に警鐘を鳴らし、「大胆な文化的革命(CNNニュース訳)」の必要性を訴えています。
 日本の場合、頻発する局地的短時間豪雨は、1970年代と比べて2018年は回数にして約20回増であり、降雨量はおよそ2倍に増えています(気象庁アメダス)。21世紀は災害の世紀、主原因は温暖化、すなわち化石燃料の消費と森林の消滅といえます。大気中の1カ月の二酸化炭素平均濃度は、18世紀末は280PPMでしたが、現在は400PPMで、これにより宇宙空間に逃げるべき熱線を吸収し、気温が上昇、温暖化→豪雨、土砂災害や氾濫へと至ることが多くなりました。
 地球上の酸素の三分の一を供給し、「地球の肺」といわれる南米アマゾン森林が延焼し続けているのは、政府の森林伐採の無計画さが原因とされており、現状は過去10年で最悪と報道されています(日経BP)。漢検協会が出した2018年の今年の漢字が「災」であったことから、状況は私たちの共通認識といえます。

 では、私たちは、いかにして、この現実を生きるのか? ゴミ削減やリサイクルが一案です。そして、阪神・淡路大震災のときから啓発されたのは、「災害時の備え(備蓄&行動方法)」の呼びかけです。
 1995年の阪神淡路大震災のとき、発生時刻は1月17日5時46分で、延焼していました。兵庫県庁には当直制度はなく、職員や家族が被災され緊急招集できず、役所の機能はアンコントロール状態にありました。そこから事前の防災対策と災害発生時の応急対応が全国民的な備えとして必要であり、啓発と養成が必要ということになりました。これが2002年の閣議決定、「民でできることは民で」、「法人の活躍」の内容です。東京都は、これに加えて小池都知事から各宗教施設も協力を呼びかけられています(2017年9月21日)。公官庁の経費削減も進んでいるので、避難所を役所の職員無しで互いに設立し、運営し合い、危険を回避する能力を持ち、協力して助け合いながら生きるのだという意識と訓練の呼びかけです。

では、教会として、クリスチャンとしてどうしていくのか?まず、諦めないことです。焦らないことです。そして動転しないこと。どんな状況においても識別を仰ぐことです。自分には「もうこれしかできない」ということは、自分にも「まだこれならできる」という余地が残されている、ということであるはずです。
 そのような前向きの姿勢を保って生きるために、 十字架に心を向けましょう。あの十字架の上で、手足を釘づけにされた私たちの救い主は、もはや何もできないように思えます。「さあ、その十字架から降りてみろ。そうしたら信じてやる。」 人々はこのようにはやし立てたのです。それは私たちの「あきらめの正当化」の象徴です。これは打破しなければなりません。そして打ち砕くことができるのです。なぜなら根拠がしっかりキリストの生涯にあります。
 十字架の死によって、私たちに、そのいのちを与え尽してくださった方を信じるとは、どんなときも「わたしに従いなさい」との十字架の主の呼びかけに従うということです。そのような信仰に立つことができれば、「自分にはもう何もできない、自分にできることはもう何もない」とは言えないはずなのです。

 私は、今年1月に災害対応チームリーダーとして東京大司教から任命を受け、今まで準備をしてきましたが、9月初旬に今後の東京教区の方向性を提案するプレゼンを、大司教様の前で一人ですることになっています。具体的な呼びかけが皆さんにきたときは、「なぜ教会がするの?」ではなく、クリスチャンであるからの強みでいていただきたいとおもいます。9月1日、東京都は防災の日。地域では、防災&災害対応行事が行われています。意識の一端を提供ください。

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201907-1

【 豊島神父が資格講習受講中、鶴巻神父さまが長崎からサポートに来てくださいました。神父さまは、「また2月に来ます」とおっしゃっていましたが、お知り合いの結婚ミサのための上京かたがた、多摩教会にお寄りくださるということです。(8月16日講座の一コマ)】

【 連載コラム 】


= 弱音・不安は神様に預けて、受け入れあう笑顔をもらいに行こう =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第101回
「大川小学校の衝撃」

南大沢地区 加藤 泰彦

 夏休みを利用して、2年ぶりに東北の震災被災地を訪れました。福島県内は、帰還困難区域とそれ以外の地域の差が、より鮮明になっていました。人の気配のまったくない、雑草が生い茂り放題の土地と、除染がおこなわれ人々が住めるようになったところに、ぴかぴかの公共施設が新たに建てられた土地。その差の深まりが、どうにもやり切れない思いを残しました。
 今回はこの福島県に加えて宮城、岩手まで足を伸ばしました。常磐道を北へ、仙台を過ぎて三陸自動車道に入り50kmほど走ったところにある河北(かほく)インターでおりました。一般道に入りしばらく走ると、北上川に沿った道となり、下流に向けてさらに行くと河口まで3.8キロの地点に、宮城県石巻市立大川小学校(跡地)が現れます。周囲にあったであろう集落は、今は殺風景な更地になり、ただ小学校の廃墟だけが大きな傷跡をとどめてそこにありました。
 人間の力をはるかに超えた圧倒的な力の爪あとがそこにはっきりと残されていました。1985年に建てられたモダンな2階建て校舎は、無残な姿でそこにありました。ニュースなどで映像としては何度も目にしていたものの、いざその現物の前に立つと、言い知れぬ衝撃が襲い、思わず足がとまりただ目を閉じて頭を下げるしかありませんでした。
 全校児童108名、教職員13名。地震発生直後、子供達は校庭に集められ避難先の決定をめぐって議論している大人たちを待っていました。まだ雪の残る肌寒い時期に。大人たちの議論はなかなかまとまりません。学校の背後には小高い裏山があります。しかし、そこは雪でぬかるんでいる上、新たな地震で崩落が起きるかもしれない。河口から4キロ近く離れているここまでは、まさか津波は来るはずがない。
 結局避難先に選ばれたのは、学校の西200mくらいにある、北上川に掛かる新北上大橋のたもとの小高くなった場所(三角地帯と呼ばれる。標高は6~7m)。地震発生からこの時点ですでに40分余りが過ぎていました。移動が開始された直後、河口から北上川を遡行してきた津波が襲いました。地震発生から約50分過ぎた15時36分ごろのことです。子供たち74名、教職員10名が亡くなりました。

 石巻市の小学校のほとんどは、子供たちを高台に避難させて犠牲者はありませんでした。なぜ、この小学校だけが全児童の三分の二の犠牲者を出したのか・・・。学校側の責任をめぐって現在も民事裁判が続いています。
 この土地に立って、さまざま思いが頭をよぎりました。この建物をこのような形に破壊してしまった、どす黒い巨大な怪物に出会った子供たちは何を思ったのだろうか。今年の暑い夏の炎天下、そばを流れる北上川は何事もなかったかのように悠々と流れていました。雪の残る3月11日、何が人間の判断を誤らせてしまったのか。止め処のない問いがつぎつぎにわいてきました。考えあぐね、敷地をさまよい、おろおろしていた時、「出発するのでクルマに戻ってください!」の声にはっと我にかえりました。

(画像はスライドショーになっています)

【 お知らせ 】


「初金家族の会」からのお知らせ

島田 潤一

 酷暑が続き、夏祭りの時季となりました。神父様の説教では、カトリック教会における祝祭日の意義について、次のような話がありました。
 「祭日には神様に触れ、その計画の中で祝福されていることを感じ取ることが大切です。私たちはともすれば『せっかち』に結論を出したがります。コヘレトの言葉は何事もその『時』があることを示しています。人の時計の感覚では無く、自然の移ろいと共にある神様目線で見る『時』には、また異なるものが見えてきます。神様が良しとし、導こうとする方向が見えてきて、明日への希望となります。」

 9月の初金家族の会は、ミサの後11時頃より信徒会館で開催予定です。今回は「7月初金家族の会からのお知らせ」でご案内しました「会の趣旨の再確認と見直し、拡充」「会に対するニーズの変化への対応」「対応する卓話など具体的実施事項に関する提言」などについて話し合う予定です。この結果をもとに、「今後の運営の方向、実施事項」をまとめて行く予定です。

 「初金家族の会」は、初金ミサの後、貴重な体験を披露し、分かち合い、信仰を語り合う、信仰家族の絆を深め合う楽しい会です。今回より広く皆様の意見をくみ入れ、ご参加の幅を広めたく、ご協力をお願いします。