2019年1月号 No.545

発行 : 2019年1月19日
【 巻頭言:主任司祭 豊島 治 】


備えます

主任司祭 豊島 治

 新しい一年のはじめにあたり、ご挨拶申し上げます。1月1日に主任司祭メッセージを冊子にして、お配りしています。聖堂エントランスのラックからお取りください。そこに、大司教様から私たちへ意見を求める「宿題」ともいえる呼びかけがあります。締め切りは3月いっぱいですので、それぞれ一読し、最終頁の回答書に記入のうえ、エントランスの投函口に入れてください。今年も私たちの「おもてなしのこころ」が、神の愛ゆえに力となりますように。

 東京教区では新年早々、1月7日に司祭人事異動の第一報が発表になりました。多摩教会ゆかりの神父様では、宮下良平神父様(多摩教会第四代主任司祭)がメキシコでの研修休暇を終え目黒教会主任司祭に、加藤豊神父様(同第五代主任司祭)は小金井教会管理者から同教会主任司祭に。また、2006年から2年間多摩教会協力司祭をなさり、現在も教区本部協力司祭、調布市の学校で聖務にあたっていた星野正道神父様は1月に出版されたご著書『いのちに仕える私のイエス』のなかに、4月より和歌山県にて新設されるカトリック大学に移られる旨の記述もありました。星野神父様につきましては、今後も東京に用事がある際には、多摩教会に顔をだされるとおっしゃっています。私も主任司祭を引き続き務めます。

 司祭人事異動というと、教会の間の異動という側面もありますが、多様化の時代背景もあり、他の職務についても発表がありました。新設されたのが、「オリンピック担当チーム」と「災害対応チーム」です。
 オリンピックチームに関しては、ご存知のとおり、東京オリンピック&パラリンピック関係で来日される信徒への司牧です。通常選手村にはそれなりの設備があり、期間限定とはいえ、必要なことになります。
 災害対応チームについては、実のところ、メンバーの確保を含めて、何も決まっていません。担当リーダーとして任命された私も、人事発表の五日前に、メールで名前が載る旨の連絡があったくらいです。ただ、その背景だけはお伝えしておこうと思います。
 私がカリタスジャパンの担当になった2009年、今では災害時にはカリタスジャパン(略称CJ)という信用がありますが、当時はそれほどではなく、福祉を専門とする方々が議論をしたうえで、啓発活動や国内&海外への援助を相応に行っていました。そんな中で、東日本大震災により、注目度は国内外で高くなりました。震災が発生して CJ チームが現地に行き、ニーズを確かめ、実行に移しました。 各地の雰囲気を考え、各所にベースを設立し、日本の司教たちは2013年まで支援するという流れにもっていきました。各所で心のケア、街の再建という難題と現在も向き合っている各ボランティアベースですが、被災者支援などで連帯したNPOをはじめとする団体から、「カトリック教会は、災害時、どういうシステムで行動するのか」という問い合わせがあったといいます。私にも数件ありました。
 そんな流れが強かったのでしょうか、CJ の対応を経験した人たちが、2018年に協力して、カトリック教会版「災害時対応マニュアルの試案」が作成されました。私個人はこれをみて、全国で汎用するためには、もう少し修正しなくてはと思っています。しかし、海外どころか日本でも、毎年のように災害が起こるようになった現在、意識しておくことは大切なことです。
 また、東京都に限ったことでいえば、昨年12月、大規模な災害で想定される帰宅困難者の受け入れ先として、宗教施設の活用をすすめています。同7月から9月にかけて、東京都宗教連盟が4,068の施設に調査をし、およそ600の施設が協力の意向をもっていると回答したとNHKが報道しています。カトリック教会がどのような対応をしたかは述べていませんが、カトリック教会規模の大多数の施設は、消防法で専任の「防火管理者」の任命が義務付けられ、規模によっては防災管理者の資格も必要となっているケースがあり、法規上でも帰宅困難者対策が命じられています。

 東日本大震災のときは、キリスト教会だけでなく、僧侶の方も何人か僧衣を身にまとい、人たちの中に入っていく姿をみています。従来の宗教のイメージはこのとき、良い方向に変わってきたかと思うのです。神の愛の実践は、どこにあっても力を発揮する証を、今、求められています。

 災害は起こらないことにこしたことはありません。でも、心の準備と円滑な情報供給は、教会の中でも必要となることをふまえ、多摩教会の中でも担当者を中心に、できることを模索することになるかと思いますし、東京大司教による私の新しい任命に対しての、皆様のご理解をいただきたく思います。

【 連載コラム 】


人生の旅をいっしょに
= ウエルカムのサインをあなたからあなたに =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第95回
「侍者奉仕の思い出」

愛宕・乞田・鹿島・松が谷・和田地区 齋藤 浩

 わたしが侍者の奉仕をはじめたのは、小学校4年生のころですから、侍者歴はもうかれこれ70年近くになりました。当時のミサは、今と違って、司祭は会衆に背を向けて、祭壇中央の聖櫃に向かいミサを挙げていました。侍者も「ミサごたえ」といって、ラテン語の祈りを唱えなくてはなりませんので、一生懸命にラテン語の祈りを暗記した覚えがあります。(カトリック赤羽教会にて)
 第二バチカン公会議(1962~1965年)の典礼刷新を受けて、侍者の役割も大きく変わってきました。
 現在のミサ形式は、司祭と会衆が対面して心が一つになり、素晴らしいミサのあり方です。侍者の役割は昔と比べて大分楽になったと思います。
 わたしは高齢者の仲間入り、難聴や手のしびれを感じるようになりましたが、ミサの中で侍者の奉仕をしていると、不思議に手のしびれは感じられません。これは肉体の目では見えないですが、内陣におられるイエスさまとマリアさま、そして大勢の天使達に囲まれて、癒やされているのだと思います。
 しかし、難聴の方は大分悪化し奉仕に支障をきたすようになりましたので、残念ですがこの辺で侍者奉仕を引退させていただきます。
 多摩共同体のメンバーとして、一人でも多くの方が典礼奉仕に携わることができれば素晴らしいことです。
 ご健康な方は是非この奉仕に参加してください。
 これまでいろいろと、皆様もご指導ありがとうございました。 神に感謝!

【 お知らせ 】


「初金家族の会」からのお知らせ

島田 潤一

 厳寒のよく晴れた日で、聖堂の天窓より光りが注がれ、心が照らされる新年の初金でした。
 初金ミサのお説教で、豊島神父さまは、神との繋がりの大切さ、不安、恐れの関係について、次のように語られました。
 「教皇様は、元旦に『幼子イエスを見て留まりましょう』と話されました。そして、この、幼子とするところに意味があるわけです。素直で弱い、だが、誰とでも話せる。しかし、助けてもらわねば生きていけない不安定な存在です。成長するにつれてできてきたプライドが、時に一人歩きし、能力の不整合、老化などのため対応できず、制御できないものとなり、捨てたいが捨てられず、情緒不安の要因となってきます。ここで、私たちは神のみ手の内にあることを思い起こし、幼子の心に戻り、神にゆだねることです。今年のミサでの御聖体はこの幼子の心を照らし、温めるものとなります」

 初金家族の会、次回は2月1日(金)のミサの後、午前11時頃から開催の予定です。志賀晴児さんに「情報過剰時代に思うこと」とのテーマでのお話を予定しています。
 「初金家族の会」は、初金ミサの後、貴重な体験を披露し、分かち合い、信仰を語り合う、信仰家族の絆を深め合う楽しい会です。皆様、どうぞお気軽にお立ち寄り下さい。