2018年7月号 No.539

発行 : 2018年7月14日
【 巻頭言:主任司祭 豊島 治 】


むかいます

主任司祭 豊島 治

 梅雨明けの宣言があってから、暑くなりました。この連休は気象庁も注意をよびかけるほど気温が高いことが報道されています。毎年「異常気象」として天気予報を聞いていますが、慣れてしまって、異常と聞いても緊急性を感じなくなってしまうことがあるかもしれません。水分補給・気温確認しましょう。異常は異状に至ります。

 西日本を中心とした豪雨のあった金曜日、私はカリタスジャパンの役目として広尾にいました。そこで、「大雨特別警報」が、兵庫、広島、岡山、鳥取、福岡、佐賀、長崎、京都、岐阜に出されたことを知りました。この「大雨特別警報」は、50年に一度のレベルの降水量が予想されるときに出されるものですから、こんなに多くの地域にまたがっているのは記憶にないと思いました。タブレットを取り出し、雨雲情報を見ながら様子を見ていました。自治体も避難勧告・指示を出しましたが、被害は甚大なものとなりました。
 今回土砂くずれによって孤立化した地域に、私は以前行ったことがあります。住民の方のひとりはこの土地は脆弱であることはわかっている。しかし現に造成され、売り出された近くには高速道路、そして安い。ここしかなかったのだと話してくださいました。

 報道される光景や内容に動揺してしまい、あわてて自分の行動内容を決める前に、教皇さまの回勅『ラウダート・シ -ともに暮らす家を大切に-』を一読してはいかがでしょう。
 私の心に響いた箇所は13項でした(引用文中の『』は私が挿入しました)

(13) 「皆がともに暮らす家を保護するという切迫した課題は、人類家族全体を一つにし、持続可能で全人的(インテグラル)な発展を追求する関心を含意しています。というのは、物事は変わりうると、わたしたちは知っているからです。創造主は決してわたしたちをお見捨てになりません。神は決してご自身の愛する計画を放棄したり、わたしたちをお造りになったことを後悔したりなさいません。人類はまだ、皆がともに暮らす家を建設するために一緒に働く能力をもっています。わたしはここで、わたしたちが共住する家をしっかりと守るために無数のしかたで奮闘しているすべての人をたたえ、励まし、感謝したく思います。『環境悪化が世界のもっとも貧しい人々の生活にもたらす悲惨な結果』の解決策を精力的に探る人々は、格別の謝意に値します。若者たちは変化を求めます。環境危機と排除された人々の苦しみとを考えずに、いったいだれがよりよい未来を建設していると主張することができるのか(後略)」(1)

 地球の気候変動、温暖化に真剣に向き合わないと、自然災害は大きくなるばかりだと思います。今、現場で向き合い乗り越えていこうとしている人たちを、まず祈りで支えましょう。カトリック中央協議会のHPに東日本大震災被災者のための祈りがあります。東日本大震災の被災者に向けて祈ったのち、ご自身で言葉を替えて、西日本各地の被災者のために祈ることができると思います。

あわれみ深い神さま、
あなたはどんな時にも私たちから離れることなく、
喜びや悲しみを共にして下さいます。
今回の大震災によって苦しむ人々のために
あなたの助けと励ましを与えて下さい。
私たちもその人たちのために犠牲をささげ、祈り続けます。
そして、一日も早く、安心して暮らせる日が来ますように。
また、この震災で亡くなられたすべての人々が
あなたのもとで安らかに憩うことができますように。
主キリストによって。アーメン。
母であるマリアさま、どうか私たちのためにお祈りください。
アーメン。(2)

 カリタスジャパンは、西日本豪雨被災地のための募金を10日に開始しました。多摩教会では22日までの間、受け付けることにします。直接の送金を検討されている方は、HPで参照ください(3)

 被災地のまわりで起こる窮状を聞いてうなだれるとき、晴佐久神父さまの著書、『恐れるな』の一文も示唆をあたえてくださいます。

「私たちはすでに『私はある』という方、イエス・キリストという印籠を持っています。一日生きていれば10や20の悪に出あいますし、悪は自分の中にも住んでいて、あれこれ悪さをする。私たちを恐れさせ、怯えさせる力として働きます。(中略)
 被災地に来て、こう語るのは勇気のいることです。しかし、私は語る使命があると思っています。まず、『私はある』という方を信じて、この方は善だから私たちは救われる、いやもう救われていると信じなければ、悪という恐れに負けてしまいます。信じることからすべてが始まります。神の創造の業に私たちが寄与するのはそんな瞬間です。信じようと思った瞬間に、とてつもなくすばらしいことが起きます」(4)

 暑さで体力消耗する期間です。身体をいたわりつつ、真実を探求しながら信じる方を向いてこの夏をこえましょう。

 *多摩市のハザードマップによると多摩教会周辺は乞田川があるため最大1メートルの浸水の予想がついています。教会建物はそれよりも上にあります、地下には雨水タンク・自動排水ポンプがあり、作動点検しています。
 また、本文中に紹介した本2種類は、教会売店にあります。
 


(1) 教皇フランシスコ『回勅 ラウダート・シ』瀬本正之・吉川まみ訳(カトリック中央協議会、2016年)13項を参照
(2) 東日本大震災被災者のための祈り」カトリック中央協議会事務局長 前田万葉(2011年4月20日)
(3) 西日本豪雨災害 緊急救援募金、受付を開始しました」カリタスジャパン(2018年7月10日)
(4) 晴佐久昌英『恐れるな』(日本基督教団出版局、2012年)39-40頁を参照

【 連載コラム 】


人生の旅をいっしょに
= ウエルカムのサインをあなたからあなたに =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第89回
音楽の力、信じます

稲城・川崎地区 小俣 浩之

 昨年末、フランスのリヨンでクリスマスに夜半のミサに与りました。ヨーロッパの教会でミサに与るのは久しぶりのことでしたが、オルガンの優しい旋律と色彩豊かな音色が聖堂に響き渡り、心が研ぎ澄まされて、神様がすぐそばにいらっしゃるのを、とても強く感じました。神様を賛美する気持ちを込めて、こんなふうにお祈りを豊かにしてくれるオルガンが弾けたらいいなと思いました。

 私が多摩教会でオルガン奉仕を始めたのは、まだ多摩教会の仮聖堂(いまの信徒館1階)時代のことです。そこには古いエレクトーンが置いてありました。新聖堂の工事が始まって完成が近づいてきた頃、新しい聖堂に据えられた新しいオルガンを羨むかのように、そのエレクトーンは壊れて音が出なくなってしまいました。そのときは急遽、代替として、多摩教会黎明期に使われていた足踏み式オルガンでミサのオルガンを弾く、ということになりました。電気ではなく人の足で空気が送り込まれるオルガンは、演奏中、常にペダルで空気を送り込み続けなければ音が鳴りませんが、それはそれで人間味のある味わい深いものでした。
 2000年の大聖年の年、聖堂完成と共に設置されたいまのオルガンは、ロジャースという米国のメーカーの教会オルガンです。ロジャース社は、電子式とパイプ式を融合させたオルガンを製作したことで有名になった会社です。そのロジャースのオルガンを導入するからには、スピーカーではなくパイプから音を出す仕様にしたかったようですが、聖堂建設当時、予算の都合上、削られてしまったとのことです。でもこのオルガンは、電子楽器でありながら弾き手の心を伝えられるいい楽器だと思っています。

 祭壇を美しい花で飾るように、日の光で輝くステンドグラスのように、荘厳な香の薫りが聖堂いっぱいに広がるように、私は美しい音楽で聖堂を満たしたい。いつもそういう想いで、オルガンを弾いてきました。言葉で伝えられない想いを、私は音楽を通して神様に伝えたい。美しい旋律や響きを通して、神様に触れることのできる力が、音楽にはあります。
 先日、多摩教会聖堂のイコンをお書きになったシスター内海の講話がありましたが、シスターは「神様の手」でイコンを書いている、と仰っていました。単に自分がイコンを書いているのではなく(神様と祈ることを通じて)神様に書かされている、という趣旨でした。
 私は作曲するときもオルガンを弾いているときも、神様が私を通して曲を書いている、神様が私の手を使って音楽を奏でている、と感じる瞬間があります。そうした瞬間、神様に至る一直線のパイプが、音楽を介して私から神様にじかにつながっているのを感じます。
 野に咲く花を見ると、神様の素晴らしい御業を感じるように、素晴らしい音楽を通して、やはり神様の御業を感じることができます。そういう音楽の力、私は信じます。その想いを込めてオルガンを弾いています。

※ミサに与ったノートルダム・ド・フルヴィエール教会

【 お知らせ 】


「初金家族の会」からのお知らせ

 例年になく早い梅雨明け宣言のあと、梅雨のような雨の降る7月の初金でした。
 初金ミサでの豊島神父さまのお話は、「7月は御心のミサととらえるべきもので、神の温かい心に包まれていることを感じ取ることが大切です。不完全なわたくしたちは、病気のとき、原因を求めて敗北感にとらわれます。その根源は恐れに行き着きます。恐れは愛と対峙するもので、天国の愛を知るために、地上でも実現しなければならぬものは、恐れの克服です。外国人就労のへの対応では、知らないことによる恐れが共に歩むことを妨げています。
 死を迎えるときも、恐れは天国への道を妨げます。恐怖を克服したとき、希望に満ちた天国を感じることができます。その天国を感じる練習期間として日常をとらえ、怠りなくすごす努力が必要です。どれだけ人を赦し、助け、人のために祈ったか自省し、その力をくださる御聖体に感謝しましょう」と、少し厳しいものを含んでいました。

 今回の初金家族の会では、道官芳郎さんに、「俳句に詠まれたキリスト教」との題でお話をいただきました。
 明治初期俳諧から俳句へ子規のリード発展した状況の話があり、次いで、クリスチャンの俳人中村草田男の作品、前田枢機卿の句、キリスト教の神、聖歌、復活祭、巡礼などに関連する30句ほどの解説していただきました。
 素晴らしい解説で、十七文字の単なる文字列より、立体的な情景、音までも聞こえてきそうな、イメージを聴く者の心に展開できできたのではないかと思います。優れた作者は優れた選者であるとのことでしたが、優れた解説者、評論家でもありました。教会行事、巡礼の添付写真などに一句付け加えれば、一層深く分かち合うことのできるための有力な手段ともなるのではないかと思われます。

 「初金家族の会」8月はお休みで、次回は9月7日(金)、卓話は企画中です。
 「初金家族の会」は、初金ミサの後、信徒会館で貴重な体験を分かち合い、信仰の絆を深め合う一時間程度の集いです。皆様、どうぞお気軽にお立ち寄り下さい。
 初金家族の会は、初金ミサの後、11時ごろから開催の予定です。