2017年9月号 No.529

発行 : 2017年9月16日
【 巻頭言:主任司祭 豊島 治 】


愛 あります

主任司祭 豊島 治

 気がつけば9月の後半。カトリック売店には2018年カレンダー・手帳が並び始めました。通称『パパさまカレンダー』『祈りの風景』『カトリックカレンダー』というおなじみのレパートリーですが、陳列棚をみると時間が経つ早さにしみじみとします。

 人間ほど約束をし、予定をたてて生きる存在はあまりありません。先輩の司祭のなかには単年の手帳では間に合わないとかで『三年手帳』『五年手帳』を購入して数年先の予定を書き込んでいらっしゃいます。予定箇所が多ければそれは「多忙」ということになるでしょう。
 逆に予定が書かれていない「空白」部分に注目してみましょう。「自由な時間」もしくは「手帳に書き込むほどではない日常的な予定」という意味で使用されているかと考えますが、その白い部分に私たちと神さまとの関係を思い起こしてみてはどうでしょうか。

 今月20日から那須にあるトラピスチヌの宿泊施設を貸し切り使用させていただいて、現地にいるトニー神父さまの協力のもと、個人が黙想する機会を得ます。観想修道院で行うのは初めてなので、普段典礼や講座に関わる方数名に参加してもらいます。
 黙想を英語で表現すると「meditation(メディテーション)」ではなく「retreat(リトリート)」であると英語の先生が教えてくれました。後者は辞書でみると第一の意味として「前線から撤退する」とあります。「やるべきこと」に翻弄されている私たちですが「生かされている」という基本的土台をとりもどすには一時的な「撤退」もありです。撤退先は奄美大島もいいところですが、トラピスチヌでは食事を修道女さんたちがつくってくれます。

 今年刊行された冊子に日本の司教団からの『いのちのまなざし』と教皇さまからの『愛のよろこび』がありますが、両方とも「わかっているつもり」「そのうちに」という忙しさ・煩わしさ・恐れなどの各衝動によって、なおざりになりがちな大切なことを確認させてくれます。誰にでも生まれた意味がある、世界や社会のはしっこにおいやられて、メジャーなグループを羨ましそうにみて悩みながら生きている人たちは究極の選択を迫られている。そんな状況でも福音の光は闇の柵(しがらみ)を解放させ、愛の力が輝きの場所へと導きます。遠方にいかなくても日常の生きる意味を確認することができるので、手帳の白い部分の時間の過ごし方に是非ご活用ください。

【 連載コラム 】


「荒野のオアシス教会を目指して」

やさしく、あたたかく、心からのオアシスづくり
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第81回
「ひんやりパラダイス」を終えて

稲城・川崎地区 伊藤 直子

 ようやく夏らしい日差しの戻った8月12日(土)の午後2時から、入門講座主催の「ひんやりパラダイス」が開かれました。今年の春に入門係になって以来最初のイベントです。新米入門係として何が何だかわからないままに企画から参加しました。
 来てくださる方に福音とひと時の涼を楽しんでもらいたいと、何度もメンバーでミーティングを重ねて、メニューや役割分担を決めました。私はかき氷とケーキを準備することになりましたが、一抹の不安もありました。世間ではその日はお盆の始まりで3連休の初日です。一体どのぐらいの人が来てくれるのか、8月になって記録的な長雨が続き、気温もさっぱり上がらない中で心配して迎えた当日でした。
 12時半ぐらいから台所で準備しながらも皆ソワソワして会場の様子をうかがっていました。8人以下しか集まらないんじゃないかという神父様の不吉な予想もありましたが、幸い始まるころには用意したイスがいっぱいになるぐらい沢山のお客様を迎えることができました。その中にはホームページを見た初めての方が何人もいて、台所に嬉しい悲鳴があがりました。

 最初は豊島神父様のお祈りとお話でスタートです。いつも45分で集中力が切れるとおっしゃっているのに、時計をみたら1時間以上もお話してくださいました。参加者の中にはお子さんもいましたが、お話にじっと聞き入っていました。
 そのあとは、かき氷やデザートといった冷たい食べ物と3種類の温かいスープを食べながら、およそ2時間の歓談タイム。楽しい時間はあっという間に過ぎ、皆さんが帰り際に「おいしかった」「楽しかった」と喜んでくださったのが何にも勝る神様からのご褒美です。イベントを土曜日に設定したので、何人かはそのまま土曜の夜ミサにも参加していただけたようです。

 私はおととし初めて多摩教会を訪れて、金曜日夜の入門講座に参加するようになりました。それまで入門講座とは、真剣に洗礼を考えている人が真面目に教理をお勉強するところという、ちょっと厳しそうなイメージを持っていました。恐る恐る講座に臨みましたが、信徒館のテーブル一杯に座っている多くの入門講座の参加者はいろいろな動機で集まっていました。多摩教会の敷居は実はとっても低かったのです。
 豊島神父様がいらしてからは、私のような主婦にもありがたい待望の平日昼間の入門講座が始まりました。去年と今年でまったく違うお話が聞けるので、信者になってからもずっと通い続けています。毎回良いお話を聞いて仲間とのおしゃべりも楽しめるので、金曜日が待ち遠しいぐらいです。教会で出会った人達と交流を深めるうちに、おととし初めて聞いたときはピンとこなくて絵空事のように感じてしまった「教会家族」という言葉も、少しずつ実感するようになってきました。
 今回の「ひんやりパラダイス」のようなイベントをきっかけとして、一人でも多くの人に入門講座の楽しさ、そして多摩教会の良さを伝えていけたらと思います。私もそうやって迎えてもらった一人なのですから。

【 お知らせ 】


「初金家族の会」からのお知らせ

 例年以上に蒸し暑かった厳しい夏が過ぎ、ようやく秋の気配が感じられた9月1日、初金ごミサのあと信徒館で、カトリック学校に長年お勤めになり、現在もカトリック学校教職員の方々対象の養成塾でご活躍の北村司郎さんが、「カトリック学校の現状と課題」について、次のようにお話ししてくださいました。

 「幼稚園から大学まで、日本のカトリック学校在籍の児童、生徒、学生数は、2016年現在で約20万人。教職の修道者数が年々減少し、児童生徒数も減っているので、学校経営そのものが難しくなっているところが多い。
 いろいろな面で移り変わりの激しい今の社会の中、カトリック学校が存続するために、共学化、進学校化を図るところもある。そのような現状の中で、カトッリク的な教育はいかにあるべきかは大きな問題、なかでも道徳教育と宗教教育との関連をどのように考え実行するか、減少している修道者に代わる教職の役割を誰が、どのようにやるのかなど、課題山積です。
 『国ありき、経済第一の教育』から、人第一、人間の存在そのものを大切にする「人ありきの教育」を、修道者に代わって、今、学校の中にいる教職員が(信徒も信徒でない方も含めて)一緒になって行うべきではないでしょうか

 以上のような北村さんのお話のあと、参加したカトリック学校の卒業生数人から、「一人ひとりを大切に、心温まる働きかけだったカトリックの教育指導を受けたことが信仰生活へのきっかけになった」などと感想が述べられました。

 次回10月6日(金)には、府中の島田潤一さんが、遠藤周作著、『沈黙』に出てくるキチジローについて話される予定です。
 「初金家族の会」は、初金のごミサのあと、信徒館で貴重な体験など聴いて語り合い、お互い信仰の絆を深め合う、楽しい集いです。どうぞどなたでも、お気軽にお立ち寄りください。(11時ごろからです)