2017年4月号 No.524

発行 : 2017年4月22日
【 巻頭言:主任司祭 豊島 治 】


気づきます

主任司祭 豊島 治

 信徒館の外装塗装も復活祭までになんとか間に合い、外観がきれいになりました。近所の人も変化に気づいて声をかけてくださいます。改修の時期なのでこれから構内の整備がつづきます。

 その準備過程で司祭館内の棚移動などをしていたら、電話機棚でかくされた壁に:

 「御国がきますように」 と祈りながら、御国に呼ばれることを恐れるのはおかしい。
 《E assurdo dire “venga il tuo regno” e temere di essere esauditi.》

 という標語(?)が貼ってあるのに気づきました。前任の神父様が忘れて置いていかれたのか、後任の神父に気づかせたくてわざと残していったのかわかりませんが、私は日頃「恐れ」を感じたときにみることにしています。

 御国がきますように。
 私たちが常にささげている「主の祈り」にあることばであり、今年の主日は主にマタイ福音書が読まれていくことから、深めることができることばです。

 「さいわい(幸い)」という言葉もマタイ福音書を読むとその存在に気づきます。神の「さいわい」をうけると、安心し、更によき福音の光に照らされながら見て→聞いて→生きて→喜ぶといういのちの原則にかえることができます。人の良し悪しや、現在ただ今の状況と全く関係なくある不動のものです。

 マタイ福音書が「神は、わたしたちとともにある(1章23節)」という感動的な救い主の誕生の言葉ではじまり、「私は世の終わりまであなたがたとともにいる(28章20節)」という復活の救い主のことばでおわるのは、それらのことが共にあるという喜びを告げているかのようです。

 マタイ福音書をきいているうちに言葉のつかいかたに「縛りを感じる」という感想をいただきました。でもそのさきにある神様からの「さいわい」に心よせて、御国の本質に期待しながら秘跡を大事に、人との愛を尊びながら、与えられた一週間を大切に過ごしていきましょう。

【 連載コラム 】


「荒野のオアシス教会を目指して」

やさしく、あたたかく、心からのオアシスづくり
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第76回
「委員長2カ月を振り返って」

諏訪・永山・聖ヶ丘地区 中嶋 誠

 4月19日、「中嶋さん、『委員長就任3カ月を振り返って』で連載コラムの原稿をお願いできませんか?」と広報部からの依頼があった。「それでは」とばかり二つ返事で引き受けたものの、われに返って、「果たして、そもそも、私は委員長になって今日で何日になったの?」と文字通り指折り数えたら、ちょうど60日だった。「なんだ3カ月ではなくて2カ月なんだ」。
 2月19日多摩教会委員長に就任、24日聖書講座・友人と酒飲み、25日と26日鶴巻神父様指導の黙想会と「殉教者って?」の講演会に参加、
 3月1日灰の水曜日、3日初金家族の会での「沈黙」分かち合い会に参加、4日司牧準備会、12日司牧評議会、15日旧約聖書勉強会(於関口教会内)、17日歯科(チェック)、19日地区集会・多摩東宣教協力体会合、20日教区叙階式(於東京カテドラル)、21日カリタス・ジャパン(江東区潮見)訪問、23日病院(定期診断)、24日友人と飲み会、25日司牧準備会、
 3月27日~4月5日イスラエル巡礼旅行(成田→モスクワ→テルアビブ計16時間・カイザリア→ナザレ→ガリラヤ湖畔→ヨルダン川に沿って南下→エルサレム)、10日歯科(奥歯が欠けた)・車の定期点検、13日病院(風邪、喉ガラガラ)・主の晩餐、14日主の受難・聖書朗読A、15日復活徹夜祭・洗礼証明書授与式、16日復活の主日。
 この間の私のスケジュール表から項目だけをピックアップしただけでも、私は日々新たな、そして淡々とした、恵み豊かな信仰生活を送らせてもらっていると思う。一週間単位で新たな人との出会いがあり、気付きと発見があり、そして共感し、共鳴する日々を与えられている。心底そう思える。

 思い込みの激しい私は、そう思えるのもカトリック信者だからに違いないなどと、しなくても良い理由付けをしたがる。カトリック信者の責務? 職責?は、などと探究し解明したくなる。3年前に買った分厚い本『第二バチカン公会議公文書 改定公式訳』の教会憲章にある[信徒の定義]362にたどり着いた。

 「ここでいわれている信徒とは、聖なる叙階を受けた者ならびに教会において認可された修道身分に属する者以外の、すべてのキリスト信者のことである。すなわち、洗礼によってキリストのからだに合体され、神の民に組み込まれ、自分たちのあり方に従って、キリストの祭司職、預言職、王職に参与する者となり、教会と世界の中で、自分たちの分に応じて、キリストを信じる民全体の使命を果たすキリスト信者のことである。」

 ここで言う「王職」とはお世話役だ。考えてみれば、私はこの60日間、背中に腕を回し、かがみこんで畑地を見つめ、雑草があれば抜くも、その雑草の花に感じ入り、愛しむ隠居農夫のような世話役であった。心のオアシス、寄り道あればこその気付きと発見、共感と共鳴だったとそう思う。そう思いたい。皆さん、この隠居農夫をよろしくお願いします。

 イスラエル巡礼旅行の写真を一枚掲載します。ガリラヤ湖畔の草花、ガリラヤの風吹く丘の上で、こんな草花の上で、イエス様の山上の垂訓が行われた。「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである」。イエス様はやさしい方であったに違いない。

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【 お知らせ 】


「初金家族の会」からのお知らせ

 多摩教会脇を流れる乞田川沿いの桜花が爛漫と咲き誇った、四旬節第5金曜日の4月7日、豊島神父様はごミサの説教で「私のことば、私の差し出す手、私の祈りに、愛がこもっているでしょうか。今日のヨハネによる福音にあるように、様々な人の恨み、痛み、誤解、ねたみがイエス様を十字架に追いやったのです。御父が今、私たちを愛しておられることを感謝し、私の言葉が、家族に対して、人に対して、愛があるかどうか、いつも心に留めることが大切です」と話されました。

 続いての「初金家族の会」では、久々に一品持ち寄りのお鍋料理を囲みながら歓談のひと時を過ごしました。集まった心づくしの旬の食品数々は奥様方パワーで温かいうどん汁に変身、楽しく賞味しながら、初顔合わせの方々とも話がはずみ、信仰家族の絆を深めましました。

 5月5日には、初金ごミサはありますが、家族の会はお休みで、次回は6月2日に開催の予定です。
 「みんな違って、みんないい」、気楽な雰囲気の中で、諸先輩の貴重な体験談も聞ける1時間の「初金家族の会」です。どうぞ、どなたさまも初金ごミサのあと、信徒館にお立ち寄りください。