2016年10月号 No.518

発行 : 2016年10月22日
【 巻頭言:主任司祭 豊島 治 】


おわりにあたって、はじめます

主任司祭 豊島 治

 11月を間近に迎え、町の様子は一年の終わりを感じる挨拶や風景となりました。カトリック教会の一員として特別な聖年の期間を与えられた私たちは、巡礼手帳をもって教区内の歴史ある教会を巡り、また「いつくしみ」をテーマにしてバザーを行いました。今のわたしたちは、神様のいつくしみの広さに合わせて視野をひろげることができたでしょうか。

 11月20日で閉幕する特別聖年ですので、しっかり残りの期間を意識してすごすことができるよう大事にしましょう。日頃の教会生活も大事ですが、教会として特別にこんな場をつくっていただきました。

 11月13日13時からは多摩教会の活動会のひとつ「やさしい会」の皆さんに手伝ってもらって、上映会をします(※1)。選んだ映画は『さとにきたらええやん』というドキュメンタリー映画です。10月末まで都内の映画館で上映されていた素材を配給会社ときちんとした手続きのもとで上映します。脚色・解説もないそのままのこどもの日常を描きながら、メッセージを伝えている映画です。今年9月に平成28年度文化庁映画賞において、文化記録映画優秀賞の受賞がきまりました。

 11月20日には上映された映画の舞台となった施設の荘保共子(しょうほともこ)さんによる講演会があります(※2)。この企画は多摩東宣教協力体(府中・調布・多摩教会で構成)が主催ですが、多摩教会「教会家族委員会」が担当してくださいます。普段は子どもたちと話し、分かち合う日常をすごしておられるので、大勢のおとなの前での講演会だと荘保さんのすばらしさが伝わらないかもしれません、皆さんの質問の時間を多くとりますので、参加される方は、よりよいものになるよう助けてください。

 説明が遅れましたが、映画と講演会の共通のテーマは「こどものしんどさ&すばらしさ」です。こどものしんどさは親のしんどさであり、親のしんどさは社会のしんどさを示しているともいえます。社会のしんどさをこどもが受けて生きているともいえるのです。
 映画の舞台は大阪西成区(通称釜ヶ崎)にある「こどもの里」という36年間つづけていた子どもの場とつながっている子どもたちです。翌週はそこに職員として関わった荘保さんの分かち合いとなります。「こどもの里」は運営母体がフランシスコ会⇒ 守護の天使修道女会⇒ カトリック大阪教区と時代の変遷にあわせながら、3年前独立したところです。
 毎日新聞ホームページ(10月16日版)にも記事の掲載がありました(※3)

 「こどもの里」の大きな信念が二つあります:

 1つは、子どもの最善の利益を考えること⇒ 安心して遊べる場・生活の場と相談を中心に、つねにこどもの立場に立ってこどもの権利を守り、ニーズに応えるのをモットーにすること(安心)。
 2つは、自分に与えられた境遇のなかで、子ども(人)のもつ「力」を発揮、駆使してたくましくいきている素晴らしい子どもたちを、社会の偏見や蔑視から守り、自信をもって自分の人生を選び進めるよう支援することをモットーとすること(自信・自由)。

 『いつくしみの輪をひろげよう』とバザーを行った多摩教会がこの企画によって『いつくしみを深める』ための一助となれば幸いです。

108-04 【 参照 】

※1:「上映会をします」
 10月13日(日)、カトリック多摩教会の信徒会館にて、2回、映画「さとにきたらええやん」の上映会を行います。
 第1回:13時~ 第2回:15時~
 ご案内を、こちら に掲載しておりますので、ぜひご覧ください。
・・・< 文中へ戻る

※2:「荘保共子(しょうほともこ)さんによる講演会があります」
 10月20日(日)14時30分から、カトリック多摩教会の信徒会館にて行います。
 ご案内を、こちら に掲載しておりますので、ぜひご覧ください。
・・・< 文中へ戻る

※3:「毎日新聞ホームページ(10月16日版)にも記事の掲載がありました」
 以下が該当のページです。一定の期間後、リンクが外れるかと存じますが、ご了承ください。
 ・ 「大阪・西成 こどもの里(その1)『つながる力、支えに』・(その2)『安心できる居場所』」(「毎日新聞」2016年10月16日 東京朝刊)
・・・< 文中へ戻る

【 連載コラム 】


「荒野のオアシス教会を目指して」

一瞬の勇気で、一生の家族!
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第70回
日々のオアシス

A・W(ペンネーム)

 私が受洗したのは高校2年生の復活徹夜祭の時です。キリスト教との出会いをさかのぼると、母が持っていた十字架のペンダント(ロザリオに似ていて薄紫色の透明なガラス玉が連なっているが、ロザリオの様なT字型にはなっておらず、ご像がついていた)をきれいだなと憧れや畏れをもって眺めていた幼い子どもの頃にさかのぼります。
 そのペンダントは戸棚の中にしまってあったのですが、こっそり戸棚をあけては拝んでいたりもしたように覚えています。母はプロテスタント系のミッションスクールの出身だったので、家の中に新約聖書や讃美歌集がありました。時折「主われを愛す・・・」と口ずさんだりもしていました。

 教会にはじめて行ったのは小学生になってからです。学校の帰り道に見知らぬ女性が声をかけてきたのです。私の記憶ではその人はシスターのようにベールをつけていました。「日曜日に教会に来て見ませんか?」現代の子供ならば不審者!? と逃げ出し、学校も家庭も大騒ぎになりそうな話ですが、私が小学生だった頃は今思えばのんびりしたもので、素直な子供だった(?)私は友達と一緒に次の日曜日に教会に行ったのでした。初めて行った教会で何のお話を聞いたのか何も覚えていませんが、それがはじめての「教会」との出会いでした。しかし一度行って、それきり続けていくことはありませんでした。
 大人になって、その教会はどんな教会だったのだろうと「グーグル・マップ」で検索したら、便利なものでちゃんと見つかりました。プロテスタント系の教会で、今も福音を伝える活動をされているのをホームページで知ることができ、なんだか嬉しくなりました。

 カトリック教会との出会いは私を声楽に導いてくれたピアノの先生です。中学3年生の時にカトリック小田原教会に連れて行ってくれたのです。聖歌隊と一緒に毎週の歌ミサで歌うことがとても嬉しかったことを思い出します。
 洗礼を受ける決心をした日のことは今でも覚えていますが、学校帰りに寄り道して横浜(当時、横浜高島屋内の有隣堂の一角に「サンパウロコーナー」という女子パウロ会が運営するキリスト教に関する本や聖品を扱うお店がありました)から帰る相鉄線の電車内で夕日を眺めていたら、「私は神様から愛されている!」という確信が唐突に心に湧きあがったのです。
 そう思うに至るまでに様々な出会いがありました。教理の勉強をもう一人の求道者の男子高校生と1年間受けましたが、彼は受洗直前に世を去りました。キリスト教の勉強をしていると知って、初対面の神父様が本をプレゼントしてくださいました。また、私が気づかないところでも、たくさんの方が祈ってくださったのだと思います。ピアノの先生に代母になっていただき、先生と同じ「セシリア」と、聖人伝を読んで共感した「幼きイエズスの聖テレーズ」の霊名をいただきました。・・・それから四半世紀を超え、今回、このように普段は思い返すこともない自分の歩んできた道のりを振り返ってみると、月並みな言い方ではありますが、全てが神のみ摂理のうちにあるのだと気づかされます。

 さて私にとっての「オアシス」とは何か。
 それは日々の生活の中で、人と心が通ったときに感じる喜びで、それは心を照らしてくれます。「砂漠のオアシス」は人を憩わせますが、それ自体は静かで単純で誇りません。そのような在り方を目指して歩んでいきたいと思います。

【 お知らせ 】


「初金家族の会」からのお知らせ

 「ロザリオの聖母記念日」10月7日の初金ミサで豊島神父様は、「万国共通のロザリオの祈りは、いろいろな心配ごとを聖母の取り次ぎで神様にお任せいたしますというお祈りです。大切にしましょう」と話されました。

 続いて初金家族の会は神父様のお祈りに始まり、多摩市・鶴牧の中村安男さんのミャンマーでの奉仕活動のお話でした。
 長年、飼料生産会社で勤務された中村さんが、お仕事を通して知りあった現地の人々との交流から、畜産や稲作の指導をはじめ貧しい村の子供たちに文房具を届けたり、そろばんを教えたり、時にはうなぎの蒲焼を紹介するなど、多岐にわたる体当たりボランティア活動の数々を披露されました。
 中村さんは特許までとられたご自身の体験から生ごみに発生するメタンガスでの発電方法を現地で教えたいと、まだまだ身近で役立つ生活指導の意欲に燃えておられます。

 ミャンマーで道路の穴を修理している人に、何故そんなことをしているのかと尋ねたら、「生まれ変わって蛙にならないための奉仕だよ」と素朴な答えが返ってきたそうです。
 たとえ豊かではない暮らしでも、明日のことを心配せず、家族を大事にし、地域での助けあいを第一にと考える、《ほほえみの国》、東南アジア、ミャンマーの人々から学ぶことは数知れないというお話の締めくくりは、中村さん自作の次の一句でした。

 ★ 聖霊に (ゆだ)ねて一路(いちろ) 去年(こぞ) 今年(ことし)

 次回、11月4日の初金家族の会では、カトリック信徒の日常や神学生の養成などを紹介したNHKの新日本風土記「長崎の教会」をご一緒に視聴して、皆さんで話し合う予定です。

 「みんな違って、みんないい」、様々な話題のやりとりでお互いの信仰を深める楽しい集い、初金家族の会です。ご参加を歓迎いたします。