2016年2月号 No.510

発行 : 2016年2月20日
【 巻頭言:主任司祭 晴佐久 昌英 】


7年間の巻頭言

主任司祭 晴佐久 昌英

 多摩カトリックニューズの巻頭言も、残すところあと1回となりました。ここまで7年間にわたり、82回分の原稿を読んでいただけたことを感謝します。遅筆の主任司祭に対する編集部からの心配そうな催促も、次回で最後かと思うと万感の思いです。
 カトリックニューズの重要な目的は多摩教会の全信徒の情報共有ですから、なるべく巻頭言も、主任司祭の目から見た、教会内の重要な話題を取り上げるようにしてきました。どんな話題を取り上げるかは、その時々の思いつきですが、それを7年分並べてみると、そこに、おのずとこの七年間が浮かび上がってきます。

 2009年度4月に転任してきた最初の原稿のタイトルは「はじめまして」です。「これからどんな『はじめまして』が待っているのか、わくわくしています」と、初々しく書いています。その後、5月の「天国の受付」、6月の「天国の入門講座」というタイトルが続くように、受付チームを作ったり、入門講座を始めたりと、人々を受け入れる教会にする工夫をし始めました。7月は「病床も聖堂」で病床訪問チーム発足、8月は「天国の応接室」で面談室設置、10月には「教会ショップ『アンジェラ』」で売店の設置と、毎月のように何かを始めています。
 10年度は、4月に「赤ちゃんは家族を元気にする」で34人の洗礼式の報告をし、「洗礼と聖体を中心とした共同体づくり」が実りを結んでいることを証しして、「来年の復活祭に向けて、新たなスタートです」と書いています。6月には「『多摩教会からのお誘い』をご活用ください」として、多くの人を教会に招くためのプリント発行を報告し、8月は「教会縁日へどうぞおいでください」で、聖堂でのバイオリンコンサートや納涼祭、バザー等のイベントを「一般の人々を神の御許へとお招きする何よりの好機に」しようと呼びかけています。
 11年度は、いうまでもなく東日本大震災の年です。震災の1週間後、3月号の「地は震えても天は揺るがない」で、「たとえ家族を亡くし、家を失い、放射能が降り注いでいる中でも、キリスト者は決して滅びないイエスの言葉に希望を置きます」「怖いのは地が震える事ではありません。私たちの心が震えて神を見失うことです。今こそ、神の愛に立ち帰るとき。地は震えても、天は決して揺るぎません」と書きました。その後、6月に塩釜、7月に釜石と宮古、8月塩釜、9月釜石、11月福島と、被災地の訪問報告が続きます。12月には、「福音の村」で、説教HPの開設が報告されています。
 12年度は、私の司祭25周年の年でした。4月号「さあその日をめざしてがんばろう」で写真詩集『天国の窓』について書き、5月号「『想定外』の25年」で、記念ミサの報告をしています。救いの普遍性について明確に語りだした年でもあり、6月号「天の救い地の救い人の救い」は、私にとって重要な概念ですが、この巻頭言が活字になった最初です。9月号「あなたはもう救われている」で、「閉じ込められていた『救い』の普遍化」について語ったラジオ放送が大きな反響を呼んでいること、10月号「十字を切る」では、普遍的救いについての私の本が出版されたことが、書かれています。
 13年度は、新教皇フランシスコについて新鮮な感動を持って書いているのが特徴的で、開かれた教会にしていこうという、積極的な内容が目立ちます。
 14年度は、心の病で苦しんでいる方々のことや、弱い立場にある人のこと、そのためのイベントなどが主な内容になっていきます。
 15年度は、インターネットの活用、教会合宿の効用、教会家族委員会の意義、聖劇ミュージカルの実りの大きさなどなど、具体的な教会活動が印象的です。

 こうして、7年間の巻頭言を振り返ると、それは、神さまが大きな恵みを与えてくださった、かけがえのない年月であったことが浮かび上がって来ます。みなさんとともに精一杯がんばった、幸いな日々でした。折に触れて読み返していただければ、幸いです。


( 晴佐久神父の今までの巻頭言は、こちら に一覧表があります。そこから読めるようになっておりますので、ご活用ください )

【 連載コラム 】


「荒野のオアシス教会を目指して」

一瞬の勇気で、一生の家族!
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第62回
福音を語るとは

落合・鶴牧・唐木田・町田地区 北村 司郎

 私が晴佐久さんというお名前を知ったのは、1979年10月号の寺西師の多摩カトリックニュースへの巻頭言「晴佐久さん覚えていますか」です。正確にはそれ以前にも多摩ブロックの練成会のリーダーとして2回ほど参加させていただいているので、その際に、晴佐久神父様にお会いしていると思いますが、残念ながら記憶にありません。この巻頭言は「荒れ野から」(教会の本棚にあります)に収録されておりますので、ご一読をおすすめします。また、この本のカットは神父様が神学校時代に書かれたものですから合わせて、ご覧になったらよろしいかと思います。寺西師はこの文の中で晴佐久さんご夫婦(神父様のご両親)の病床での様子を垣間見て、「私たちの中に神の国は来ている」とおっしゃっています。神父様の言葉の中によく「福音を語る」という言葉が語られますが、その原点は、晴佐久神父様の家庭の中にあったことを感じます。神の国の中では福音が語られます。福音が語られている場所、それがオアシスなのです。教会は神の国、そして、オアシスです。

 晴佐久神父様の在任中の2012年の秋ごろ、ショッキングな記事が一般紙に出ました。ミラノのマルティー二枢機卿が亡くなられた際に言われた言葉、「今の教会は200年、後戻りしてしまった」というものでした。その半年後、現在の教皇様が選出され、大きく変化していきます。教会はこの世界の中にあるわけですから、今から考えると、その時代背景を反映し大きな問題を提供し、変遷してきたことは周知の事実です。だからこそ、必要なのはイエス・キリストがどのように人々に教え、かかわったかです。それが、教会の原点なのです。神父様はそれを、「福音を語る」、「もう大丈夫、神さまが私たちと一緒にいる」そんな簡潔な言葉で話されたのだと思います。それをこの7年間、身をもって語り続けたのだと思います。
 福音書が書かれた目的は歴史書でも、倫理書でも哲学書でもなく、宣教のためです。イエスの言動は人間存在の根本的なもの、「私そのもの」( being )にかかわるものです。それに対して、この世を生きていく物質的なもの、能力的なものなど( doing )ではありません。いくら多くの財産、高い学力をもってしても、人間の幸福にはつながりません。イエスはそのようには教えませんでした。人々に接しませんでした。 being だからこそ普遍性(カトリック)があるのです。神父様の話が他宗教やプロテスタントの方々に受け入れられるのは、 being の話だからだと思います。受洗する方々が多いのはそのためだと思います。

 多摩教会の信徒数は今年の受洗者を加えると、1200名位になります。この数字は、この多摩の地に教会を、と教区にお願いしたとき、試算した数字です。多摩ニュータウンとその周辺の人口は当初40万人だったのですが、計画変更で30万人になりました。その0.4%すなわち1、200名が目標でした。聖堂もその数から250名を収容できるスペース、と考えました。当初の計画が実現していくことで、歴代の神父様6名の努力を思い起こします。私自身8年間のブランクはありましたが、この教会に属していられたことに感謝しています。
 晴佐久神父様、7年間お疲れさまでした。そして、どうもありがとうございました。これからもご活躍をお祈りいたします。

【 お知らせ 】


「初金家族の会」からのお知らせ

 立春を過ぎても大気の冷たかった2月5日は「日本26聖人殉教者の祝日」でした。
 この日の初金ミサで晴佐久神父様は、「すべての民を私の弟子にしなさいとのイエスのことばに、ハイと答えて信仰を守り通したのが26聖人です。殉教者、コル神父様を守護の聖人と仰ぐ多摩教会の信仰家族の私たち、仮に、今ここに集まっている40数人一人一人が、一年をかけて身の回りの一人の人に福音を伝えれば、来年には40数人が信徒になるのです」と身近な人への宣教を呼びかけられました。

 続いての初金家族の会では同会進行係の志賀(稲城市)がバチカン放送局在勤中の生活体験から心やさしいローマ市民の暮らしの一端を紹介しました。質素で楽しい休日の過ごし方、少々のこころづけ(チップ)活用で対人関係に融通を効かせる大人の知恵、外国からの移民や生活弱者への暖かい民間支援の実際など、おおらかで、気さくで、おせっかい好きなイタリア人のホンネの暮らし方の話でした。
 次回、3月4日には広報部・中嶋 誠さんの卓話で「五島列島の教会への巡礼計画」を予定しています。

 初金ミサのあと、お昼までの1時間、お茶でくつろぎながら楽しい話題のやりとりが出来る気楽な初金家族の会にどうぞお立ち寄り下さい。