2015年11月号 No.507

発行 : 2015年11月21日
【 巻頭言:主任司祭 晴佐久 昌英 】


洗礼台帳番号

主任司祭 晴佐久 昌英

 わたしは、1987年に司祭に叙階されました。
 若干29歳、困難を極めた神学校生活をようやく終えて晴れて司祭になり、さあ福音を語るぞ、救われた人々で教会をいっぱいにするぞと、はやる気持ちで胸はいっぱいでした。若気の至りではありましたが、純粋にそう思っていたのは事実です。
 叙階されたその年、第一回福音宣教推進全国会議という大きな会議が開かれました。これは、第二バチカン公会議で示された「教会の刷新」を日本においても実現させていこうという流れの中、司教団の呼びかけで開かれたものです。叙階されたばかりの新司祭にとっては、この会議はある種、天啓のように感じられましたし、いよいよ日本のカトリック教会も本番を迎えつつあるのだなという、ワクワクするような思いがありました。
 会議の課題は、「開かれた教会づくり」。
 熱心な話し合いがなされ、翌年の1月には、この会議の答申に司教団がこたえる形で「ともに喜びをもって生きよう」という小冊子が出ました。そこには、今後の方針が明確な文章で次のように書かれてありました。
 「私たち司教をはじめとして、神の民すべてが、教会の姿勢や信仰のあり方を見直し、思い切った転換を図らねばならないという結論に達しました」
 「第一に、社会の中に存在する私たちの教会が、社会とともに歩み、人々と苦しみを分かち合っていく共同体となることです」
 「そして、裁く共同体ではなく、特に弱い立場におかれている人々を温かく受け入れる共同体に成長したいと思います」
 私は感動しましたし、そのような教会のために働けることを誇りに思いましたし、そのような共同体を目指して、微力ながらさまざまな工夫を重ねてきました。
 特に主任司祭として一教会を任されるようになってからは、ちょうど2000年に岡田武夫大司教が東京教区長として就任し、ことあるごとに、「教会が開かれた共同体となるように」、「荒れ野のオアシスとなるように」と言い続けたこともあり、司教の手となり足となる一司祭として、ささやかな努力を続けてきたつもりです。

 これらの、バチカン公会議が打ち出した「教会の刷新」、日本の司教団が課題にした「開かれた教会づくり」、岡田大司教が目指す「荒れ野のオアシス教会」という方向性が、まさに神のみ心であることは、それを信じて、そのとおりにそれを目指すと、どんどん信者が増えていくという事実で確信することができました。教会の姿勢を改めて、人々を温かくもてなし、福音のよろこびに満たされるオアシスのような共同体をつくれば、そこに人々が続々と集まって来ることには何の不思議もありません。それを求めている人が、周囲に何十万人もいるのですから。
 福音に救われた人は当然、救いを求めている人に福音を語りますし、やがてはオアシスにまで連れてきます。多摩教会はこの6年間、「荒れ野のオアシス教会をめざして」というスローガンのもと、そんな人々を受け入れる共同体を目指してきました。もちろん、まだまだ理想に程遠いとはいえ、荒れ野をさまよっていた人たちから、涙ながらに「やっと見つけた」とまで言ってもらえる「教会家族」として成長してきたことは、事実です。それは、教会家族のシンボルである主日のミサに集まる人の数からも分かります。
 各教会には、教会創立以来の受洗者を記録する「洗礼台帳」というものがあり、受洗のしるしとして主任司祭がサインする仕組みになっているのですが、さきほど確認したところ、私が着任してサインした最初のナンバーは420番で、現在は681番でした。
 来週、待降節第一主日から、洗礼志願書が配られます。
 来年の復活祭に、台帳の番号が何番まで増えるか楽しみです。その数字こそは、その教会がどれだけ開かれているか、どれだけオアシスになっているかを示す、とてもわかりやすい、ひとつの指標だからです。

【 連載コラム 】


連載コラム「スローガンの実現に向かって」第59回
おもてなしの心で

桜ヶ丘地区 道官 玲子

 ゆで卵15個をゆでて、きれいにつるりと殻をむき、教会へ持参すること。
 今年、春の復活祭で洗礼を授けていただいた一週間後、私に与えられた最初のミッションは、地区の軽食当番で、おうどん100食をサービスするお手伝いでした。
 「無料券2食、お願いします!」
 それは、その日初めてこの教会へ来られた方への無料の軽食サービス。私が教会家族になってはじめて「おもてなし」側に参加できた瞬間?でした。
 この連載コラムに「文章を書いてもらえませんか?」と声をかけていただき、新受洗者の私には無理ではと躊躇しながら、ふと、今年のスローガンが「荒野の中のオアシス教会をめざして今年私は人にもっと優しくなります」だったことを思い出しました。
 新受洗者だからこそ、この教会に初めて出会った時のこと、ここが心のオアシスだと気付いた時のことを、これから初めて教会と出会う方たちとの接点として、お伝えすることならできるかもしれない、と思い直しました。私は皆さんに、素敵なおもてなしをしていただいたからです。

 母の葬儀ミサ後、初めての土曜日、聖堂の一番後ろの席でミサに与っていた私に、「神父様にご挨拶をされていかれたら? 神父様も喜ばれると思いますよ」とそっと優しく声をかけてくださった方。
 道端に雪が残る夜、明かりの灯る信徒館の入門講座で、「はじめての方ですね! ようこそ〜」と温かいハーブティを笑顔で差し出してくださった方。
 ドキドキしながら神父様と面談をし、洗礼許可証にサインをいただいた直後、ボーっとしている私を促して、神父様は許可証を手に持ったまま、隣の会議室にいた10名ほどの方に声をかけられたのです。
 「皆さん、お祈りいたしましょう。神さま、天の父よ・・・○○さんをこの教会の家族として、兄弟としてお迎えいたします。どうか・・・」
 家族?? 兄弟??
 自分ひとりで、神さまと向き合うことばかりを考えていた私の目の前に、目を閉じて十字を切り、手を合わせて私のために祈ってくださる皆さんの姿が飛び込んできたのです。
 「安心の涙」が溢れてきて止まりませんでした。

 7月、そうめんパーティに、数カ月前から入門講座に通い始めた若い女性が参加してくれました。
 ヒノキの飯台に沢山のロックアイスを使い、氷の間に涼やかに盛り付けられたそうめんは、まるで渓谷の水の流れのようでした。その上にそっと山若葉色のもみじの葉も添えられていました。
 夢中でそうめんをいただいていた私に、口数の少ない彼女が「美味しい。こんなに沢山のロックアイスと一緒にきれいに盛り付けられているそうめんを食べるのは初めて」とつぶやいてくれたのです。おもてなしの心が優しく添えられた一皿が、彼女の心に届いた瞬間だったように感じました。
 神さまの家である教会が差し出す一杯の水。ひとつひとつの小さなおもてなしが、ある日心の中でつながった時に、不安や困難の中にあっても、人は「あっ、私は神さまに愛されている」と気付くのではないでしょうか。
 私たち新受洗者は、生後やっと7カ月になりました。時々、前のめりになったり、後ずさりしたりしながらですが、毎週、晴佐久神父様から「福音」という栄養をいただき、少しずつ成長中です。
 荒野の中の本物のオアシスへ、もう一人の誰かが出会えるように。
 私も幼子のように小さなおもてなし、笑顔から始めてみたいと思います。

【 お知らせ 】


「初金家族の会」からのお知らせ

  11月6日、初金ごミサの中で赤ちゃんの洗礼式があり、可愛い笑顔に心がなごみました。
 晴佐久神父様はお説教で「この日の福音で、金持ちの管理人が主人に借りのある人、一人一人を呼んでその人たちの主人に対する借金証文の金額を少なく書き直させたことを、『この抜け目のないやり方は大変賢いふるまいだと主人は褒めた』という譬えは少しわかりにくいかもしれません。神様からいただいた命、心、時間、才能、家族など沢山の大きなお恵みをどのように生かし、他人のために活用するかが大切、人間にとって最高の幸せは、困っている他人のために幸せを分けてあげることという教えなのです」と話されました。

 続いての初金家族の会では、藤沢からの青年二人も初参加、卓話では長年教会の広報で活躍された府中市の松原 睦さんが「“面倒くさい、後でしよう”からの脱出」と題して生活の知恵の数々を披露なさいました。≪逃げずに、とにかく手を付ける、予定を立てメモを書く、単純なことからまず手をつける≫など、具体的な「スグやる実行例」を挙げてのお話で、日常的な事柄の体験談が家族の会の雰囲気に溶け込み、「なるほど、今日帰ったら早速机の上を片づけよう」などの声が笑いを誘ったひとときでした。

 初金家族の会は教会内外の顔ぶれからよもやま話あれこれをやりとりできるなごやかな集いです。お昼前のひととき、どうぞどなた様もお気軽にご参加ください。
 次回12月4日には、聖堂で波多野直子さんが楽しいクリスマスの曲をオルガン演奏してくださいます。