『十字を切る』を読んで(受洗者記念文集)

鈴村 さくら(仮名)


 4月19日、無事洗礼を受けることができました。晴佐久神父さま、そして関わってくださったすべての方に、心から感謝申し上げます。
 自分でも驚いたことに、聖木曜日から熱を出してしまい、復活徹夜祭当日は39度以上ありました。どうにか洗礼式に出席した、という状態でしたが、ともかく、無事水をかけていただくことができました。本当に嬉しく思います。
 私が洗礼を受けたいと思ったきっかけは、晴佐久神父さまの『十字を切る』でした。
 一昨年の年の瀬、なぜか、ふと「十字ってどうやって切るんだろう?」と思ったのです。
 インターネットで調べてみると、すぐにわかりやすい解説が、いくつか見つかりました。と同時に、ヒットしたのが『十字を切る』でした。
 気軽な気持ちで購入し、読み始めました。そして、〈はじめに〉に書いてあった「それは、あなたが神に愛されているしるしです」という文章を読んだところから、もう泣き出していました。
 そのまま泣きながら、読みました。読み終えると、また最初から読み始めました。
 自分でも気がつかないくらい深いところにあった悲しみを、なぐさめてもらった気がします。
 10回以上繰り返して読みました。文字通り、風呂場まで持ち込んで、ぽろぽろと涙を流しながら読み続けました。

 当時、私は大阪に住んでいました。が、生活を大きく変えなければならない状況に陥り、埼玉の実家に戻ることを決めたところでした。ですので、「埼玉に帰ったら、絶対に晴佐久神父さまの話を聞きに行こう」と心に決めました。そして、その希望通り、一年間入門講座に通うことができました。
 『十字を切る』には、さほど書いてあるわけでもないのに、読み終わってすぐに洗礼を受けたいと考えていたように思います。でも、頭では必死で抵抗しました。その理由はいくつかありますが、一番悩んだのは、「楽をしたら悪いかな」ということでした。「洗礼を受けたら、ある部分、すごく楽になるんだろう。でも、それは、自分ときちんと向き合っていないことになるのではないか」という思いです。
 でも、それもそのうちに「楽をしてしまってもいいかな」という考えに変わりました。悲しいこと、つらいことはこれからも起こります。それと向かい合うとき、神さまと一緒だからということで、逃げていることにはならないだろうと。
 それに、頭で一生懸命否定しても、こんなにも洗礼を受けたいと思っているのだから、そこにも意味はあるのだろう、と考えました。

 水をかけていただいた時には、やはり感動して涙が溢れてきました。確かに力をいただいたように思います。
 晴れてキリスト者となりました。十字を切って、ご聖体をいただいて、いつも自分の中に神さまがいてくださると信じて、毎日を過ごしていきます。
 晴佐久神父さまの言葉が、私を、生きている神さまのところへと導いてくれました。
 本当にありがとうございました。