巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英「お墓の上の列聖式」

お墓の上の列聖式

主任司祭 晴佐久 昌英

 午前2時に起きて、午前3時にホテル出発。
 ヨハネ・パウロ2世教皇の列聖式に参列するために、巡礼団はまだ暗い道を歩き出しました。バチカン近くのホテルをいち早く押さえた巡礼団としての使命感もあり、異例の早朝出発となりましたが、すでにバチカン近くの道は各国のグループで溢れ、サンピエトロ広場とその前のコンチリアツィオーネ通りは徹夜組でいっぱいでした。
 ぎゅうぎゅう詰めの人込みの中、なんとか遠くに祭壇の見える正面まで進むことができましたが、結局、式が終わるまでの9時間、全く身動きが取れずに立ちっぱなしという、極限体験をしました。満員電車に9時間乗っていると想像してください。80歳を越えた参加者も含め、全員その間トイレにもいかずに過ごしたのです。もっとも、トイレを使わずに済むようにと、みんな起きてから飲まず食わずだったのですが。
 全世界の信者たちがひしめきあう中、押すなとか割り込むなとかの小競り合いはいくつかあったものの、全世界から集まった信者たちが互いに譲り合い、祈り合いながら、家族的な気持ちで集まっている様子は、さすがは列聖式と言うべきでしょう。
 特に聖体拝領の時、ご聖体を持った司祭たちが来る通路付近は大混乱になりましたが、それでもなんとか一人でも多く拝領させてあげようと、互いに協力しあう様子は感動的ですらありました。すでに拝領が終わった人たちが、まだの人の体を支えて持ち上げ、その手を引っ張って司祭のほうに差し出す姿を見た時は、秘跡を信じる仲間たちの熱い思いが胸に迫って、涙が出そうになりました。

 みんな、あの教皇様が大好きだったのです。あの旅する教皇、空飛ぶ秘跡の使徒が。
 私にとってのヨハネ・パウロ2世教皇は、人生において教皇というものを意識した、最初の方です。それまでは教皇なんて、どこか遠くの世界の人で、正直どうでもいい存在でした。しかし、ポーランド出身の若きパパさまは、全世界129か国を飛び回り、人々に福音を語りかけ、日本にまで来て神の愛を証ししたのです。たぶんそのとき、幼児洗礼の私は、教皇というものを始めて意識したと同時に、「カトリック教会」の本質を始めて意識したのだと思います。イエスさまからペトロを頭とする使徒へ受け継がれ、今日のこの私の信仰へと連なる、聖なる普遍教会の本質を、誇りと共に。

 列聖式はそのような思いを新たにするのには格好の場でした。
 なにしろ、第261代教皇ヨハネ23世を列福したのは、第264代教皇ヨハネ・パウロ2世であり、この第264代教皇を列福したのは、第265代教皇ベネディクト16世で、その第265代教皇が共同司式する中で、第266代教皇フランシスコが、第261代と第264代教皇の列聖式を司式しているのです。
 第1代のお墓の上で。

 バチカンは言うまでもなく、歴代の教皇のお墓であり、歴代の教皇の誕生の地でもあります。列聖式の翌々日、そのお墓と、誕生の場を巡礼しました。
 サンピエトロ大聖堂に入ってすぐ、右側のピエタ像の隣の脇祭壇に、聖ヨハネ・パウロ2世教皇の石棺が安置してあります。また、その先、秘跡の小聖堂の先に、聖ヨハネ23世教皇のガラスの棺が安置してあり、ご遺体を見ることができます。その先、教皇祭壇の下が、聖ペトロのお墓です。
 また、裏手からバチカン美術館に入館すると、システィーナ礼拝堂にも入ることができます。言うまでもなく、教皇選挙の行われる、教皇誕生の場です。入って奥の左側、再び美術館へ戻る方の出口の上の壁に、イエスさまが聖ペトロに天国の鍵を渡している絵が描かれています。イエスさまがペトロに「あなたの上に教会を建てる」と宣言している場面です。まさにそのペトロのお墓の上に、サンピエトロ大聖堂が建っているわけですが、歴代の教皇は、選ばれた直後、この絵の下で祈るそうです。絵の中のペトロは、片手で鍵を受け取り、「この私が?」と言うように、もう一方の手を胸に当てています。
 新しい教皇の誕生は、第一代から続いてきた天国の鍵が、また新しい世代へと受け継がれる瞬間でもあるのです。



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