連載コラム:「侍者席から見えるオアシス」

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第37回
「侍者席から見えるオアシス」

南大沢・堀之内地区 平井 達彦

 2年ほど前から土曜ミサの侍者をしています。侍者経験のない50才を過ぎた中年おじさんが、なぜ侍者を始めたか、また侍者を始めて目の前に現れたオアシスについて、少しお話させていただきます。

 私は大学3年生の時に、名古屋の南山教会で洗礼に与りました。その後、大阪で就職、住居が変わるたびに堺教会、北浜教会、千里ニュータウン教会、宝塚教会に転出・転入を繰り返し、20年ほど前に東京に転勤となり、府中教会、そして多摩教会にたどり着きました。
 教会にはいろいろな仕事があり、皆さんがそれぞれのタレントを生かし献身的な奉仕をされています。私は、いままで奉仕らしい奉仕をしてきませんでした。いわゆる「不良信者」です。言い訳になりますが、転居が多く、どの教会でもお客さん気分が抜けず、東京に来てからは仕事が忙しく休日出勤が続き、また家庭においても子供の世話などがあり、ミサに与ることができないことが続きました。2人の娘がいますが、幼児洗礼、初聖体まではなんとかこぎ着けましたが、その後は教会学校に通わすことができず、いまでは2人とも教会はご無沙汰しています。

 こんな私ですが、2年前ある方から突然「平井さん、土曜日のミサの侍者をしていただけないでしょうか。人数が少なくなって困っています」とお話をいただきました。その頃、私は立ち行かない悩みを抱え、途方にくれ、心落ち着かせるために、かおり保育園の早朝ミサに何度か与っていました。ある方とは、その早朝ミサでお知り合いになった方です。侍者奉仕のお話を伺って、大げさな話ですが「これは、神様が私の信仰を試しておられる」と強く感じました。
 それから、毎週土曜日、先輩侍者の皆さま教えを受けて、中年おじさん侍者の見習い修行が始まりました。神父様からも鐘の鳴らし方のご指導を何度か受けました。見習い期間は、3カ月ほどあったでしょうか。無事卒業することができ、通常の主日のミサはなんとか役割が果せるまでになりました。

 侍者を始める時に、先輩侍者の方から「祭壇から会衆席を見渡すとミサの見方が変わるよ」とお話をいただいていたのですが、実際に侍者席に座っていると、神父様のお説教の一言一句に「眼を輝かせ、うなづいている人」、「一生懸命ノートを取っている人」、「声を出して笑っている人」、「涙で頬を濡らしている人」がリアルに目の前に現れてきます。また、聖体拝領の時の、感謝を表すアーメンの言葉。恐る恐る祝福を受ける方の表情。まさに、ミサが人を救うオアシスとなった瞬間です。会衆席の人々の表情を見ているだけで救われた気分になります。
 まだまだ、不慣れな点、わからないことが数多くあり、時に失敗をやらかすこともあるのですが、これからも先輩侍者の方々に教えていただきながら、できるだけ侍者の奉仕を続けて行きたいと思っています。
 立ち行かない悩みの方も、侍者を始めてからもすべて解決された訳ではありませんが、神父さまのお説教でよく話される「今は旅の途中、試練は生きている証し」の言葉に励まされ、解決できることと、そのまま受け入れるものに分けて、うまくつき合って行こうと思っています。

 最後に、新米が僭越ながらひとつ皆さんにお願いがあります。土曜日のミサの侍者の人数が足りない状況が続いています。興味がある方は、ミサの前後に香部屋の侍者まで声をかけていただければと思います。
 一緒に侍者席からオアシスを眺めて見ませんか。ぜひお待ちしております。よろしく。