巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英「バチカン庭園の聖母像」

バチカン庭園の聖母像

主任司祭 晴佐久 昌英

 先月、「晴佐久神父と行くヨハネ・パウロ2世教皇列聖決定記念バチカン・ローマ巡礼旅行」という、長たらしいタイトルのツアーを催行しました。
 これは、ヨハネ・パウロ2世教皇を慕ってローマのゆかりの場所を巡るもので、彼を特別に慕う人たちが、来年4月の列聖式を待ちきれずに出かけてしまったというフライングツアーです。彼がまだ若い司祭としてローマにいたころ、毎週ゆるしの秘跡を授けに通っていた小教区聖堂を訪れて、彼がゆるしの秘跡を聞いている姿のブロンズ像の前で祈り、回心を願ってミサを捧げるなど、相当マニアックなコース設定でした。
 10月20日の主日には、聖ペトロ大聖堂に安置されている彼のご遺体の前で祈り、地下の聖ペトロの墓前の小聖堂で主日ミサを捧げ、感極まって宣言してしまいました。
 「私は、ヨハネ・パウロ2世教皇を、列聖します!」
 世に言うフライング列聖式です。以降、巡礼団は、勝手に「聖ヨハネ・パウロ2世教皇」と呼んでおりました。
 旅の中心は、10月22日の、彼の記念日です。この日は聖なる教皇をしのんで、バチカン庭園を訪問しました。ありがたいことに、この日は私の誕生日でもあり、素晴らしい天気にも恵まれて、忘れられない一日になりました。

 バチカン庭園は、聖ペトロ大聖堂の裏手に広がる庭園です。バチカンの約半分の広さで、美しい森の小道や精緻なイタリア式庭園、噴水や13世紀そのままの建造物などがあり、また、教皇専用の鉄道駅やヘリポートなどもあります。庭園内はほとんどひと気がなく、サンピエトロ広場の喧騒がうそのように、静寂そのものです。
 普段は教皇が散策することもある場所ですから、一般公開はされていません。今回は事前に予約して、イタリア人女性のガイド付きで見学することができましたが、ガイドからは、「ガイドの言うとおりに動け、ガイドから離れるな、走るな、大声出すな」などの諸注意がありました。
 まず印象的だったのは、庭園を囲む城壁内部の道です。ただの道ですが、ガイドさんが「ヨハネ・パウロ2世教皇は、よくここでジョギングをしていました」と言うので、思わずガイドの目を盗んで走ってしまいました。ほんのちょっとですが。そうか、パパ様も走っていたか。やっぱり健康第一、福音のためにちゃんと走らなきゃ、と思わされました。
 また、前教皇の現在の住まいも印象的でした。前教皇ベネディクト16世は生きているうちに引退したので、なんと「名誉教皇」としてこの庭園内に住んでいるのです。そこはマーテル・エクレジエ(教会の母)という名の修道院で、これはヨハネ・パウロ2世教皇の要望で造られた観想修道院です。世界中の女子修道会にバチカンでの観想生活を提供する目的で建てられ、各修道会が数年交代で暮らして、教皇と教会のために祈り続けています。
 たまたま、この修道院の下で、ドイツ人の見学グループが口々に大声で「ビバ、パパ!」と叫び出して、飛んできた警備員に厳重注意されている場面に出くわしましたが、彼らの気持ちは痛いほど伝わってきました。言うまでもなく、前教皇はドイツ人でしたから。

 見学コース最後の方で、ファチマの聖母のご像の前を通ったので、ガイドさんに「ご像の前で、みんなで祈りたい」と申し出たら、ちょっと驚いた顔をしましたが、「どうぞ」と言ってくれました。
 1981年5月13日、ヨハネ・パウロ2世教皇は、サンピエトロ広場で狙撃され、重傷を負いました。この日はファチマの聖母のご出現の記念日だったので、彼は聖母が守ってくださったのだと感謝し、聖母への信頼を一層深めたのです。彼がその2年後には犯人を刑務所に訪問し、赦しを与えて、完全な信頼関係のうちに会話したのは有名な話です。
 私は「パパ様にならって、愛をもって暴力に打ち勝とう」とお話をし、みんなでロザリオの祈りを捧げました。
 生前、この庭園のご像の前で、あの教皇様は何を祈られたのでしょうか。
 別れ際に、ガイドさんが言いました。「みなさんが本当にパパ様を慕っている姿に感動しました。多くの見学者を案内してきたけれど、庭園で祈った人たちは初めてです」


庭園側から眺めた聖ぺトロ大聖堂
庭園側から眺めた聖ぺトロ大聖堂

(上記画像はクリックすると大きく表示されます)