神のぬくもりによって(受洗者記念文集)

青井 かおる(仮名)

 いろんなことがあって、人生に行き詰まりを感じていたときに気づいたのは、自分と自分とのギャップで、時々自分の気持ちがわからないということ。自分の感情表現が、自分の気持ちとつながっていないことで、人間関係に微妙な誤差を生んでいるような気がしていました。周りの人にとって、わたしのこの微小な差異は、取る足りないことかもしれませんが、わたしにとっては、自分の基盤にあるズレなので、このまま進んではいけないと感じました。

 義姉から聞いていた晴佐久神父さまの本を読み、高円寺の教会へ行ったのが最初でした。気持ちがほっこりしたことを覚えています。その日は、高円寺最後の日だったため、多摩教会へも来てみましたが、通うには遠く感じました。友人の結婚式のために、京王永山駅に来る機会があり、あらためて、この距離であれば通える気がしたのが、昨年の4月でした。
 通うのであれば、神父さまの教会へ通いたいと思い、最初は、友人と一緒に遠出ついでに、帰り道に高尾山に登ったこともありました。9月からは、ミサの後で入門講座に参加しました。ミサでのお説教と、入門講座でのお話しを聞いていると、いつも心の詰まりが流れるようで、神父さまのお話は、いつも一貫して、神さまの温かさを伝えてくれました。

 そして、ある日のミサで主の祈りを歌っていたときに、変な言い方ですが、本来の自分の声を感じたことがありました。
 その時、自分の心がほぐれてきたのだと思いました。本来の声とそうでない声の違いは、いつも表面的な自分が、深層部の自分を守ってきたのだと思います。鏡や、ガラスなどに映る自分を見るとき、そこに映っている自分に違和感を感じることが多々ありました。それはかすかなノックとして、心に響いていました。それでも、生活に支障を来しているわけでもなく、それなりに生きているつもりだったので、気を張って、気を使う自分で生きてきました。でもそれは、あくまで自分を守るために長い間なじんだ自分の生き方なので、たとえ傷ついても、本来の自分で生きるべきなのだと感じ、神と自分とひとつになりたいと思いました。
 ひとつになりたいと望んでいる自分は、表層の自分のような気がしましたが、神さまは、ご自身がわたしとひとつとなりたいと望んでいると語ってくれました。神さまがすべてを導き、生まれる前からすでにすべてを知ってこの洗礼に導いてくれたことを、あらゆることを通して教えてくれました。わたしは、土から造られ、土に帰るものではなく、神から出て、神のもとに帰る、天に凱旋する者にされたのだと思わされ、やっと人生の起点に立てた気がしました。
 洗礼式はわたしがいつも立ち戻れる原点となりました。

 受洗後は、今まで自分で自分を守ろうとしてきたということが一層よくわかり、守られている感覚が気持ちの目盛りを上げてくれて、幸福感に包まれて生活しています。