受洗を終えて

吉良 元裕(きら げんゆう)

 中学2年のクリスマスのころ、はじめてプロテスタントの教会を訪ねてから数十年、迷いながらもやっとここまでたどり着きました。長い間かかって生コンクリートが固まるように徐々に自然に信仰が堅くなってきたように思います。
 もう二度と神様のもとから離れないと堅く決心して13年ぶりに訪ねたこの教会で、とある機会にあっけなく決まってしまった今回の洗礼。
 「聖心(みこころ)にかない時が満ちれば道は開かれる」のを実感しました。14年前この多摩教会を初めて訪れた際、緊張のあまり入口で固まってしまった私に声をかけ、不安で帰りかけていた私をこの教会に導いてくださった方に代親をお願いすることもできました。その方は信仰の心構えも分かりやすく教えてくださいました。あの日この方と出会えなかったら、私は二度とこの教会へ足を運ぶことはなかったでしょう。もちろん洗礼を受けることも。不思議な出会いと再会でした。
 洗礼の日、その方が後から肩に手を置き、しっかり見守ってくださっているのを肌で感じた時、すべてはこの日この時のためだったのだと知りました。

 「昨日までのすべてはきょうのため、きょうのすべては明日のため」
 
 出会いも別離も喜びも悲しみも苦しみも病いも何もかも、経験してきたことすべてが今この瞬間に繋がっている。人生のすべてに意味があることを知ったのです。完璧な神のご計画、み恵みの深さに心から感謝です。
 
 これからは、かつての私自身のように、暗闇の中で迷い、哀しみや苦しみの底であえぎ、孤独と絶望の淵で虚しさと闘っている方々や、その他どんな形であれ、現代の荒野をさまよう多くの方々と共に、歩み寄り添う人生を送りたいと願いながら、神様から進むべき道が示される日を楽しみに待ちたいと思っています。受洗してますますこの気持ちが強くなりました。
 また最後になりますが、素晴らしい準備をして下さった入門係、洗礼係の皆様、温かく迎え入れてくださった全教会員の皆様、本当にありがとうございました。カトリック教会の一員としては、まだ一歩を踏み出したばかりの新参者です。これからもよろしくご指導のほどお願いいたします。