洗礼を受けて(受洗者記念文集)

響 めぐみ(仮名)

 私は今まで、海外のカトリック系の音楽学校でミサ曲や宗教曲を学んだり、教会で合唱曲を歌ったり、神父様に悩みを聞いていただいたり、身内がカトリック信者だったりと、教会やカトリックに触れる機会はたくさんあり、身近な存在でした。そういうことからか、教会へ足を踏み入れると気持ちがとても落ち着き、いつか自分も洗礼を受ける日が来るんだろうと、漠然と感じていました。しかし、たびたび聞こえてきたカトリックの教えの中で自分が納得できないものがあったため、神を完全に信じることができず、なかなか信者にはなれずにいました。
 そんなある時、晴佐久神父様という有名な方の入門講座があるから出てみない、と誘われ、講座を受け始めました。この講座は、「私は神から愛されている」ということと、「私は救われている」ということをいつも感じられるような内容で元気が出ましたし、また、ずっと疑問に思ってきたカトリックの教えの一部についても、フランシスコ教皇が見直すべきというような内容の演説をされたということを聞き、だんだんと引っかかっていたモヤモヤが晴れていくような感覚を受け、自然と、洗礼を受けようという気持ちになりました。
 洗礼を受けることを決心してからは、受洗後もそうですが、ミサの内容や意味をより深く考えるようになり、宗教曲に関しても、ただ歌ったり聴いたりするだけではなく、やはり今までとは全然違った感じかたをするようになりました。
 洗礼を受けてから、自分の中で何かが劇的に変化したということはありませんが、洗礼式で水をかけられて以来、以前に比べてとても清々しい気持ちで日々を過ごせるようになりました。
 私はこの多摩教会でこの年に洗礼を受けたということは、すべて神様の導きだと感じています。これからも感謝の気持ちを忘れず、いろんな人のために祈ろうと思います。