天国への扉は開かれた(受洗者記念文集)

Elizabeth(仮名)

 今はただ、洗礼の恵みの不思議さに圧倒されています。「常に喜び、絶えず祈れ、すべてのことに感謝せよ」の御言葉を胸に、祈りに立ち返ろうと必死に努力してきた日々がうそのように、今は、常に祈りと賛美が心の奥から自然と湧き上がります。
 洗礼式は夢の中の出来事のようでした。額にかけられる水はとても冷たく、しびれるようで、一瞬のはずなのに、とてもながく永遠のように感じられました。初聖体を頂くと、聖なるキリストのからだにそぐわない自分の罪が、ゆっくりと体の中から浮き上がってくるようでした。
 今、毎日が喜びです。福音の嬉しさを誰かに伝えるたびに、心のなかの福音の泉の流れはどんどん豊かになるようです。心の奥に、神さまとの懸け橋がかかったようで、いつも心に光が灯っているようで…信仰の神秘を、実感しています。

 悩み、教会を探し求め、晴佐久神父さまの『福音の村』に出会いました。説教を読んで涙が止まらず、カトリック多摩教会へ行って洗礼を受けなければ!と、切羽詰まって、やっと初めて来た日が洗礼志願式でした。「間に合わなかった」と落胆する私に、入門係の方々が祈りをもって導いてくださいました。神父さまから洗礼許可書にサインを頂けた時は、嬉しくて跳び上がりそうで、天にも昇る喜びを、人生で初めて味わいました。
 神父さまに無理を申し上げ、「お願いします!」と幼子のごとく求めて本当によかった!
 大学時代に聖書と出会い、孤独で高慢だった私は変えられました。けれど、無教会の京都召団の家庭集会で「キリスト者になることは、十字架を共に背負い歩むことだ」と知り、「それは無理だ!」と思った時もありました。今振り返ると、25年の間、逆境の時にはいつも御言葉に支えられ、イエスさまは共にいてくださいました。御言葉なしには一歩も前に進むことはできなかったけれど、その日々が今をつくってくれました。

 今、毎週のミサに、子どものようにわくわくして喜びあふれて来ています。大勢の方たちと共に神を賛美できる幸せ。司祭と会衆が一緒につくり上げるミサの一体感と楽しさ!本当にミサは完璧です。今、私はミサに夢中です。
 十字を切るだけでキリスト者として証しできることも、本当に大きな感謝です。十字を切ると、「父と子と聖霊のみ名によって」と神父さまの声がゆっくりと心に響いてきます。
 「ゆきましょう! 主の平和のうちに」という派遣の言葉も日々背中を押してくれます。
 急な代母をお引き受けくださり、導いてくださったOさん、入門係の皆さん、いつも優しい兄弟姉妹の皆さん、多摩教会に迎えて入れていただき本当にありがとうございます。今や御言葉だけでなく、多摩教会という素晴らしい信徒の交わりとミサが私を支えてくれています。信仰浅い私が、謙遜に「御心が行われますように」と、祈り続けられるように、どうか信徒の皆さまお祈りください。これからよろしくお願いいたします。